天才と天才の噓と本当

1/1

199人が本棚に入れています
本棚に追加
/65ページ

天才と天才の噓と本当

「騒々しいなあ、まじで警察呼ばれたらどうすんだよ」  離れた位置に停まっているバンを横目に見ながら竜二が愚痴をこぼす。  あの光景が漫画なら、車全体が揺れているような表現で描かれる程の叫び声がバンから聞こえてくる。叫んでいるのはおそらく三井だろうが、アキラと上山がいる以上、誠が危険な目に合うことはあるまい。後部席の窓が開いていて、誠の横顔が遠目に確認できる。この時誠は両手で顔を覆っていたが、その雰囲気からは危険な気配は感じられなかった。翔太郎はバンに背を向けると煙草を咥え、火を付けた。 「あのー、この距離はさすがに煙たいんですけどー」  美央は言い、翔太郎と竜二から後ずさりして離れた。 「まあそう嫌うなよ。俺が知りたいことなんてそんなに多くはないんだ」  翔太郎は言い、美央の脳内を見透かすように目を細めた。美央は両目を丸くパチクリとさせ、 「あー、その目は何だかエッチなこと考えてたりします?」  と、お得意の角度に顔を傾けて言った。竜二は嫌気がさしたような声色で溜息を吐き、しかし言葉では何も言わなかった。翔太郎は少し考える間を置いて、 「お前本当に、ニイの味方だって考えていいんだよな」  と聞いた。途端に美央の顔から余裕の笑みが抜け落ちた。 「どういう意味?」 「そういう意味だよ」 「まだ私を疑ってるってわけだ?」 「お前を信じろって方が無理だろ」 「私、まだ伊澄さんのこと許してないんで」 「何が」 「頭からお酒引っ被って、その上お前を信じないなんて言われて」 「悪かったよ」 「本当にそう思ってます?」 「思ってない」 「……」 「……お前いっぺん頭冷やせ」 「はあ?」 「頭いいくせに使い方間違ってんだよ」 「私これでも超進学校通ってるんですよね。誠に聞いてもらえば分かりますよ。街のチンピラにそんな偉そうなこと言われる筋合いありません」 「だから」 「何ですか」 「恥の上塗りしてるだけだぞって」 「……」  翔太郎と美央の会話を、竜二は自身も煙草を咥えて聞くに徹した。竜二の眼から見ても、やり美央は頭のいい子に思える。片や長年の付き合いがある翔太郎のことも、言葉では表現出来ない深い部分で強く信頼している。果たして二人の言葉のどちらに、より真実が隠されているのか、まだ竜二にも判断がつかなかった。 「もし」  口火を切ったのは翔太郎だった。「お前がヤクザにレイプされたと言い張るんなら、もうお前は理解出来てる筈なんだ」 「……」 「ヤクザは決して自分の掌で転がせる組織じゃないってな。もちろん組にもよるだろうが、大抵の連中は一枚岩じゃない。トップの顔を立てて見かけには縦社会気取ってるけど、下の人間なんて腹ん中はドス黒いもんだ。お前がどんな絵図を抱えて乗り込んだにしろ、例え目の前の奴から何かしらの約束を取り付けたとしても、別の奴が平気な顔でひっくり返してなかった事にして来る」 「馬鹿ばっかりですね」 「それが分からない方が馬鹿なんだよ」 「……」 「じゃあ仮に、お前がレイプなんてされてないとしたら、何故こうなったのかが問題になる」 「こうって?」 「お前がメバルを引き連れて戻った理由だよ」 「企業秘密です」 「お前本当に分かってて言ってんのか?」 「さあどうでしょう」 「三井に啖呵切ったのはお前だろ。山規にしろ藤和にしろお前が襲われたことが事実なら、お前がヤクザを従える理由はどこにもないんだぞ」 「そうかな?」 「ヤクザにやられたって言い張ってんのはお前だけだろ。復讐のためだって?そんな事のために、いつまたお前を襲うかもしれない人間を側に置く程馬鹿じゃないだろ」 「それはそうかも」 「山規の事務所でお前が襲われた話は三井が噓だと言ってる。俺もそう思う。あるいはお前が勘違いして藤和を山規だと思い込んだなら、藤和の構成員であるメバルを連れて戻るのは矛盾してる。それでもお前が襲われたと言い張るなら、どこの、誰に、そこが新たな問題になる。だがお前の話がまるごと全部噓っぱちなら、新永と手島さんをあんな目に合わせた片棒を、お前も担いでることになるんだぞ」 「な」  美央の眼の色が変わった。「何でそうなるのよ!馬鹿じゃないの!?もとはと言えばあんたがベイロン潰したりするから話がややこしくなったんでしょう!」 「もとはと言えばお前が三井からピストル奪ったりするからだろ?」 「ま、誠だってあの汗っかきのキモオタからお金盗んでるし!」 「だからなんだよ」 「だ……はあ?なにそれ……」 「あいつの犯した罪とお前の犯した罪は別物だろ」 「へー、その口振りじゃあもう知ってるんだ。誠から聞いてるんだねえ、あの子いい子ちゃんだもんねえ」 「お前が山規にエンジンを売ったって話も聞いたぞ」 「……」 「俺はその話も信じてないけどな。お前はベイロンを潰したのが山規だと思ったらしいが、もし本当に会って話を聞いたならそれが勘違いだとすぐに分かった筈だ」 「何でそうなるわけ?」 「三井に直接聞けよ。お前は山規組がどういう連中なのかまるで分かってないんだよ」 「何よそれ」 「それに三井が言ったさっきの話が本当なら、そもそもお前は山規組にも藤和会にも乗り込んでない。もう訳がわかんねえな、お前のやることなすこと全部」 「あは、全米が泣いちゃうくらい、あなたに理解力がないんでしょうねえ」 「そうかもしれないな。実際俺にだって何にも見えちゃいないんだ。だからさっき聞いたんじゃないか。お前は本当に、ニイの味方なのかって」  美央の目に涙が浮かんだ。  美央は慌ててその涙を手で拭い、翔太郎から目を逸らした。竜二は美央の涙に噓はないと感じた。だがその涙の由来がどこにあるのか、やはりそこまでは分からなかった。 「もしも俺がこの一件の原因を作ったってんなら、何でエンジンは直接俺をやりに来ない?」 「し、知らないわよ。あんたが何者なのか分かってないんじゃないの!?」 「お前みたいのが簡単に俺を探し出せたのにか?」 「私が伊澄さんを探したのはベイロン潰した犯人だって知ってたからじゃないもん」 「そういうことじゃないだろ。探せばそこら辺ぶらついてる俺を探し当てることなんか誰にだって出来るって言ってんだ。なんでエンジンはそうしなかった。なんでわざわざリッチモンドに襲撃かけたんだ」 「そんなの私が知るわけないじゃん!」 「火種を巻いたのが俺だと分かっててエンジンがリッチを襲ったんなら、少なくともニイと俺には繋がりがあると前々から知ってたことになる。ならなぜ俺じゃないんだ。お前、もともとエンジンの所にいた人間だろ。そこら辺の事情だってとっくに分かってたんじゃないのか?」 「知らない」 「考えろよ、進学校通ってんだろ」 「関係ないでしょ」 「もしもベイロンの後釜として薬の売人に収まろうなんて本気で考えてるなら、お前、とことん救いようがないな」  おい、と竜二が翔太郎を窘めた。未成年相手に言い過ぎだ、と感じているらしい。それにまだ、三井の話に出て来た若い女の売人が美央であるとは判明していない。翔太郎は一旦口を閉じはしたものの、特に反省している様子はなかった。それどころか美央の返答次第ではいくらでもやる気でいた。だが、美央は声を震わせ、こう聞いて来た。 「……何で、私がニイちゃんを痛めつけたことになるのよ」  翔太郎は吸い込んだ煙を自分の頭上に向かって吐き出した。そしてそのまま数秒間美央を見つめた後、黙って踵を返した。 「な、ちゃんと答えなさいよ!」  激昂する美央を無視し、翔太郎は誠たちの待つバンに向かって歩き出した。慌てて竜二が追い縋る。 「おい待てよ翔太郎。俺にも訳がわかんねえぞ。なんであの子がニイの敵になるんだよ」 「それをあいつに教えてやる気はねえよ」 「俺にもかよ」  翔太郎は立ち止まり、まるで手負いの獣のような目で自分を睨みつけている美央を見やった。今にも牙を剥き出して飛び掛かって来そうだった。かなり怒っている。翔太郎はそんな美央を冷静に見据え、やがて頭を振って再び歩き出した。 「おいおい、このままあいつ置いてく気か?」 「竜二、お前は何でニイが狙われたと思う?」 「え?」 「あいつが地元で厄介な連中と事を構えたりするわけないんだ。だから、個人的な怨恨が理由じゃないと思う」 「じ、じゃあ……?」 「あの美央って子が全くの蚊帳の外にいるとは俺にはどうしても思えない。あいつが何を考え、ニイをどんな風に思っていようとな」  竜二は翔太郎の隣を歩きながら、一瞬背後を振り返り見た。美央はさっきまで自分たちといた駐車場の隅に立ったまま動かない。だが明かりの側から離れたせいで、既に竜二からは美央の表情は見えなくなっていた。 「もし」  と翔太郎は言う。「俺がベイロンを潰したせいでエンジンが出張って来たならこの一件は俺の手で終わらせる。それで終わる筈だ。けど……」  翔太郎にはどうしてもその程度の単純な話には思えなかった。確信があったわけではない。だが、まだ何かあるに違いないと感じていた。まだ目に見えていない裏がある。そのせいで新永はやられたのだ。 「どう動く」  竜二の問いに、翔太郎はしかし答えなかった。そしてバンの後部席に座って不安げな顔をしていた誠の側に立つと、 「下りろ」  そう声をかけた。「……帰るぞ、誠」  
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

199人が本棚に入れています
本棚に追加