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復讐……?
翔太郎は夕方近くになって部屋を出た。誠もそれについて出ようとしたが、
「着替え取りに行ってこい」
と翔太郎がやんわり突き放した。誠は即座には首を縦に振らなかったが、幸か不幸か、美央のような傲慢さを持ち合わせてはいなかった。翔太郎がこれから何をしに行くにせよ、本当なら誠はどこへでもついて行きたかった。だが「ついてくるな」ではなく「別の所へ行け」と言われてしまうと、もう誠には断ることが出来ないのだ。
翔太郎が一人で『合図』に向かうと、まだ夜営業のバーではなく喫茶店としての顔をしている店内に、物々しい雰囲気を撒き散らす獣たちが待ち構えていた。竜二と大成、そしてアキラである。他にはカオリと上山の顔があったが、こちらは憔悴ともとれる青ざめた顔を俯かせていた。理由は明白だった。アキラの人相はすでに人を殺して来たような凶悪さで固められていた。手島と新永の容態が急変したとは聞いていない。だがそれとは関係なしに、アキラは自分を抑える気はないようだった。
「誠は?」
とカオリが問う。
「置いて来た」
答える翔太郎に、
「なんで」
と聞いたのはアキラだった。
「なんでってなんで」
「連れてこいよ。聞きたいことあんだ」
「なにをだよ」
「お前に聞いてんじゃないよ」
おい、とカオリが間に入る。「アキラ悪いな、翔太郎、ちょっといいか」
カオリに連れられ、翔太郎は二人して店の奥へと向かう。
「別にアキラもアタシらも誠をどうこうする気はないよ。でも昨日ここへ来た三井ってヤクザの話じゃ、エンジンての相当やばいらしいじゃん」
「で?」
「何かしらの関係性があるんなら、誠からも情報を得られるかもしんないしさ、誠自身ふらふら一人で出歩かせない方が身のためなんじゃないか?」
「分かってるよそんなこと」
「じゃ今どこにいんだよ」
「俺の部屋」
「ずっと?」
「……いやずっとってか、そらコンビニ行ったり着替え取りに行ったりくらいはすんだろうよ、そんなんあいつの勝手じゃないか」
「でも相手が何考えてっか分かんない以上さ、一応は側に置いとく方が安心じゃん」
「ガキじゃないんだから」
「ガキだろ、お前何言ってんの?」
「……」
「お前誠んとこ戻れよ、こっちはアタシが何とかするから」
「カオリが?何で。あんたは首突っ込まない方がいいって」
「アキラがああなってる以上アタシだけ見て見ぬフリは出来ねえよ」
「いや、しろよ、見ないフリ。あんなん放っておけって」
聞こえてんぞ、というアキラの怒号が飛んで来る。翔太郎は苛立ちを奥歯で噛みながら煙草を咥える。しかしカオリがその煙草を抜き取り、自分の唇に挟んだ。
「火」
言われて、翔太郎がライターを擦る。
「翔太郎さ。その優しさを誠にも向けてやんなよ」
「何だそれ、面倒くさ」
「とりあえずさ、お前はその、なんだ、三井ってのの組、山規組か、そっちを当たってくんない?」
「何で俺が」
「だってお前一人で街に出したらエンジン探し回って大暴れして、んで事態をややこしくして帰ってくんだろ?」
「それアキラに言えよォ」
「アキラもお前も一緒なんだよ。な、一緒なんだよお前らは。だからさ、竜二と大成とも話し合って決めたことなんだ。とにかく情報集めてくれ、あの街で一体何が起きてんのか、誰が何の思惑で動いてんのか。な、頼むよ翔太郎」
カオリはそう言って咥え煙草の前で両手を合わせる。翔太郎は肩を落として溜息を吐き出した。
「そんなことすんなよ」
「この通りだ」
「……わーったよ」
「良かった!」
カオリはホッとした顔で頷き、真っ白い溜息を盛大に吐き出した。「……あとはアキラだ」
「独り言がでけえ」
言いながら翔太郎は、店の出入り口に向かって歩き出した。
「お、もう行ってくれんのか?」
カオリの声を背中に聞きながら、翔太郎は竜二たちに目もくれずに外へ出た。
「甘いんだよカオリは」
納得のいかない不貞腐れ顔でアキラがぼやく。
「まあそう言うな、あれはあれで色々考えてる顔だよ。私は翔太郎を信じる」
カオリはカウンター内に戻って、スツールに座る幼馴染たち三人の顔を見渡した。
「無茶だけはすんなよ、お前らはこんなとこでくすぶってていい男たちじゃないんだから」
もう聞き飽きたよ、と言いつつ苦笑を浮かべて竜二がフロアに下りた。
「テツ行くぞ」
歩き出した竜二に「うす」、と上山鉄臣が従った。
「どこ行くんだよ」
大成の問いに竜二は立ち止まり、
「メバルと話してくるわ」
と答えた。
「あいつ今藤和会のヤクザだろ、面倒なことにならないか」
「何で、同級生じゃねえか、積もる話があるってもんよ。結構こっ酷く翔太郎にやられたかんな、今頃は病院のベッドの上だろ。心配すんな、別に事務所にカチ込むわけじゃねえんだからさ」
明るく笑い飛ばす竜二に、
「なら俺も行くわ」
と大成がスツールから降りた。
そこへ、アキラが無言で並び立った。
「お、お前も来る?」
にこやかな竜二を見返し、
「行くかぼけ」
とアキラはにべもなく答えた。昔から彼らを良く知る上山が思わず下を向く程、その場の空気が一瞬でひりついた。お互いの間にある見えない空気が、まるでヒビ割れた窓ガラスさながらの様相を呈していた。
「じゃあどうすんだよ」
とカオリが割って入った。竜二の明るさが単なる天然の陽気さから来るものじゃないことくらい、付き合いの長いアキラには分かっている筈だった。気を使って明るく振舞う竜二にまで食って掛かるアキラの危うさが、カオリには心配でたまらなかった。
「お前も翔太郎みたいに街に出て見境なく暴れ倒すつもりか?そんなことしたって何の意味もねえだろう」
「意味なんかいらねえんだよッ!」
反射的にアキラは吼えた。そして目を見開いたカオリの表情に傷ついたような顔を見せた。
「アキラ」
だがアキラはカオリの言葉を待たず、そのまま足早に店を出て行った。
「駄目だ、大成頼むよ」
カオリに請われ、
「分かった」
と大成はアキラの後を追った。
「まったくよー」
竜二は呆れ、両手を上着のポケットに突っ込んだ。「面倒くせえ奴ら」
同じくカオリは溜息をつき、カウンターに手をついて身体を支えた。
「今回の件、アタシはただの喧嘩で終わる気がしないんだよ」
ポツリとカオリが呟く。とこそへ、
「すんません」
と上山が頭を下げた。
「何でテツが謝んだよ」と竜二。
「だって、最初に翔太郎さんが飛び出してったのって、もとはと言えばルイのせいっすから。あいつが変な薬に手を出したりしなきゃこんなことには」
「済んだ話はもういいじゃねえか」
竜二はそう言って上山の肩を拳で突いた。「遊び半分で気軽に手を出したってんなら今頃手痛いしっぺ返し喰らって反省してんだろ。でもそうじゃないかもしれねえ。相手のある話だ。もうルイだけの問題じゃねえよ」
「すんません。もしもニイや手島さんに万一のことがあったら、俺」
「そいつは言いっこなしにしようや。今はやれることをやろう」
その時、二人の話に耳を傾けながら真剣な眼差しで何かを考えていたカオリが、不意にこんなことを呟いた。
「あの街でさ、ルイを落とした薬を流してんのが、例のベイロンだったんだよな?」
ああ、と竜二が頷く。次いで上山も。
「そのベイロンを翔太郎が叩いた。んでもさ、そういう組織の売人が機能しなくなったからって、普通は市場の流れみたいなのって止まらないよな?」
上山と顔を見合わせ、竜二が言う。
「詳しくは分かんねえけど、そもそも売人なんて一人じゃねえと思うぞ。あの街を仕切ってたのがベイロン一人だったとしても、何かあれば他の奴が出張ってくんじゃねえの。何で?」
「エンジンがニイを襲った理由って、本当に単なる復讐なのかなって」
「どういう意味だ?」
「分かんないけどさ、アタシはなんとなく、復讐じゃない気がすんだ。アタシも自分のツレに頼んでハイウインド調べて貰ったけど、もともと薬をやってる連中じゃないらしんだよ。自警団って言ってたかな。でもその中でベイロンて跳ねっかえりがエンジンに黙って薬をさばいて、それで得た報酬でチームをデカくしていったって」
「そいで?」
「そのベイロンを潰された。でもエンジンにしてみれば別に痛くも痒くもねえじゃんか。もともと自分と関わりのなかった組織がやってた薬の売買を潰されたからって、警察沙汰になるような真似するかな、あんだけ派手に」
竜二は再度上山を見やり、そしてカオリにこう答えた。
「事情は分かんねえけど、じゃあカオリは、もしも翔太郎がアキラやられて大人しく黙ってると思うか?」
「いや、そりゃあさぁ」
「向こうの人間関係がまずよく分かんねえし、まるっきり復讐じゃないとは言えないんじゃないか。例え一枚岩じゃないにしたって、面子だってあんだろ。ガキなりに」
「だったらなんでニイなんだよ。なんでニイを叩く必要があるんだ?しかも闇討ちじゃなくあえて勤務先で、他の客たちのいる前で」
「……それだよな」
と竜二はカオリと同じ疑問に頭を振った。「昨日美央と話した時も、翔太郎もそこを聞いてたんだ。ただの復讐じゃないってのは俺も賛成だ。でもそっから先が全然分かんねえ」
「竜二さんすんません、やっぱ俺、もう一度街に出てみます」
と上山が言う。「名張んとこへは、竜二さん一人でお願いできませんか」
「かまわねえけど、お前ひとりで平気か。聞いた話じゃ、あっちはいくつかの愚連隊が合わさった組織らしいじゃねえか。いけんのかよ」
「よして下さいよ、喧嘩だけが取り柄みたいなもんすから、俺」
「無茶すんなよ」
とカオリが言う。憧れの女性でもあるカオリが、自分みたいな者でも心配くれているんだと実感し、上山は笑顔で頷いた。
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