渡世人

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渡世人

 上山鉄臣はすぐさま自分の街から悪友を呼び寄せ、ハイウィンドの調査に乗り出した。分かったことはそう多くなかったが、『リッチモンド』襲撃に関してはまだ一人の逮捕者も出ていない、という事実には少なからず驚いた。  上山はこの街の実態に詳しいわけではない。しかし、地元で幅を利かせていた自称自警団が、本来治安を守るべき街で一般市民を巻き込んだ襲撃事件を起こしたのだ。当然顔だって知られていただろうし、聞けば数年前にヤクザを追い払った逸話は半ば伝説と化しているという。そんな連中が暴力事件を起こし、一人も逮捕されないなんてことが本当にあり得るだろうか?  考えられる理由としては、報復を恐れて目撃者たちが口を開かないのではないか、というのがまずある。実際上山と友人たちとで行った街中での調査は、学生や仕事終わりの会社員が多い時間帯に起きた事件である為、昼日中の聞き取りや事実確認が思うように成果を上げなかった。事件直後に話を聞かせてくれた、オリヴィアの知人である女性客の証言から、あの店に居合わせた客の大体の人数や年齢層、ハイウィンド側の面子などもある程度は把握出来た。だがそれ以上の進展がなかった。つまり何故あの日、あの時間にエンジン一派が襲撃して来たのか、何故新永を執拗に攻撃したのか、そこがはっきりとしないままなのだ。 「人を探しているようだった」  という話は聞いた。だが結局あの夜、エンジンらが目的の人物を見つけた様子はなかったという。そしてその他の客たちから話を聞こうにも、こちらは特定からして難しかった。あるいはオリヴィアの知人女性に無理を言って顔の特徴や学校の制服などを教えてもらっても、何の権限もない一般人である上山らが押しかけては、そこからまた別の事件に発展しかねない。   もちろん、目立った動きをすれば当然ハイウィンドの耳にも入る。今回の事件の被害関係者でもある上山自身はそれでも良かったが、助っ人に呼んだ友人らを面倒ごとに巻き込むことはしたくなかった。ただ、ハイウィンドの中から逮捕者が出ていないことに関して言えば、その答えに最も近しい証言が意外な所からもたらされた。 「俺だよ」  そう言ったのは山規組の構成員、三井だった。その夜、友人らに礼を言って別れた上山は、街の小さな飲み屋で三井と落ち合った。情報収集の矛先を変えるつもりで呼び出したのだ。三井はまだ病院に行けてないのだろう、ボコボコの顔に貼り付いた絆創膏が、乾いた血と一緒になって剥がれかけていた。 「警察も馬鹿じゃない」  と三井が言う。「居合わせた客の証言から犯人どもの目星は当然ついてる。でも証拠がない」 「証拠?」  上山は首を傾げた。あれだけの事件で、証拠がないだって? 「入店して来たのは幹部っぽいのが三人だけで、他の連中は中まで入って来なかった。任意で話を聞かれたりはしてるだろうが、まあ、証拠不十分だろうな」 「何で」 「俺があん時、バックヤードで店の防犯カメラを消してしまったから」  上山は危うく、コップで酒を煽る三井を真正面から殴り飛ばす所だった。そもそもあの日、三井と藤和会からの助っ人である桐島清一は『リッチモンド』で何をしていたのか。 「人を探してた」  と三井は言う。誰だと凄む上山を見返し、  ―――こいつもやばいな。  三井はそう感じ取った。……あのアキラとか呼ばれる男の仲間内は揃いも揃ってヤバい面構えしかいない。中でもあのショウタロウとかっていう男。あいつは何だか以前どこかで顔を見た気さえする。本当はこいつら全員、どこぞの組の構成員なんじゃないか? 「名前は分からない」  と三井は素直に答えた。「女だ、髪が長くて、めちゃめちゃ綺麗な顔をしてる。そういうのが、二人いる」 「ふざけてんのか」  凄むでもなく上山は訪ねた。そんな女、東京にゃあ掃いて捨てる程いる。 「いや、その内の一人はこないだあの病院にもいた」  三井は言う。「それに、手島さんに頼まれてメリオスボールに向かった時には、俺の探してるその女どもが二人とも顔を揃えてたんだ。色々あって一度は見失ったけど、あの病院で再会した時、お前も話ししただろ。あのやばい女だよ」 「押鐘、美央か?」 「そういう名前なのか」 「中学生だぞ。何で探してたんだ、お前みたいなヤクザ者が」  あの時同院内には関誠もいたし、上山に連れて来られた三井もそれには気が付いていると思っていた。だが強か殴りつけた後だったことと、直後にアキラの手で失神させられたせいもあってか、三井は誠の存在を認識しないままだったらしい。上山はあえて、この場で誠の名前を出すのをやめた。 「俺がヤクザと分かっててその口の利き方だもんなあ」 「あ?」 「な、何でってそりゃあ」  慌てる三井に、 「最近のヤクザはついに未成年まで商品として取り扱ってんのか」  上山の嫌味が飛ぶ。 「ついにも何も、昔からよくある話さ」 「調子に乗るなよ」 「……」  チ、と舌打ちしながら三井は内心怯え切っていた。何杯酒を煽っても酔えない。「あ、あの二人が俺から大切なものを奪ったんだよ。それを取り返そうとして探してただけさ、悪いかよ。藤和の桐島があの喫茶店で女を見たって言うから、それで」 「忍び込んだわけか」 「まさかたまたま行き着いた喫茶店のオーナーが……あの手島さんがもともとこっち側の人間だったなんて知らなかったんだ。知ってたらもうちょっとやり方考えたよ。それは桐島も同じだ。めっちゃくちゃビビったぜ」 「何で防犯カメラを切った」 「そりゃどこにカメラがあるか分からんわけだから、一応全部切るだろ、消すだろ」 「チ」  と今度は上山が舌を鳴らす。「お前らが余計なことするから今でもエンジンらが野放しになってんだぞ」 「そんなもん時間の問題だって。いくら地下に潜ったって目撃情報は山程出るさ、そうなりゃローラーかけられて即アウトだよ」 「この街から行方眩ませることだってあるだろ。その間に次また誰かが犠牲になるかもしれねえだろが!」  その時、上山の言い分に一瞬三井の眼が鋭く窄まった。 「……何だ、次の犠牲って」  しまった、と上山は唇を噛んだ。  相手は、風前の灯火とは言え、本物のヤクザだ。街のもめごとがヤクザにとって格好の飯の種になることくらい、上山も理解していた。ましてやエンジン一派は自分の組事務所を追い込んだ愚連隊どもだ。本体がどこにいてどこまで情報を掴んでいるか知らないが、三井にとっても上山から聞く話は全てが重要な意味を持っているのだ。 「兄さん、ちょっくら腹割って話そうや」  三井はそう言い、自分が空けたコップに日本酒を注いで上山の前に滑らせた。 「……何のつもりだ?これ」 「怖い顔するなよ。見た所兄さんらは多分こっち側だから、ちょっと俺の抱えてる話も聞いてほしくて」  口端に笑みの浮かんだ三井の表情に気持ち悪さを感じ、上山は首の骨をゴキゴキ鳴らしながらコップ酒を右手の甲で遠ざけた。「何だよ」  三井は笑い、 「うちが、何で今このタイミングで戻ってこようとしてるか、兄さんらは知ってるか?」  と尋ねた。もしもこの時三井の前に座っているのが上山でなく伊澄翔太郎だったなら、あるいは的確な答えを返せたかもしれない。翔太郎は自身ではなく親の世代が山規組と懇意にしていたこともあって、ある程度そちらの事情を推し量ることも出来た。だが上山はただ喧嘩の腕に自身のある一般市民である。翔太郎もプロではないが、持っている知識の差から来る判断力の違いはどうしたって否めない。 「今、このタイミングで?」  しかし上山は考えた。学はないが、こういう手合いの話は性格的に嫌いじゃなかった。「そりゃ、復讐だろ」 「リベンジか?」 「ヤクザはもっとも面子を大事にするって言うだろ。素人相手にやられっぱなしで終われないだろ、山規の親分さんも」 「まあ、普通はそう思うわさ」 「違うってか?」 「もちろん面子は大事だよ。だからこの街へ戻ったんだ。だけどうちの親分はそういう、血で血を洗うような抗争を好まない人なんだよ」 「お前見てりゃそれは分かるな」 「ちゃかすなよ」  三井は言い、上山の前に先程のコップ酒を戻した。「飲めって」 「いらね」 「ここで話終わりにする?」 「……」  三井の脳裏にアキラの顔が掠めた。やはり、何をしてでもこの事件を終わらせるための情報が欲しい。 「おー、いいね、いい飲みっぷりだ」 「あんまり酔わせるなよ。知らねえぞ」 「こわ……ま、いいや、飲んでくれたし、話すよ。実はさ、うちの親分、もう長くねえんだ」 「……え」  思わぬ話の流れに、上山は一瞬素に戻った。  ―――これ、俺、聞いていい話か?  そう思った。 「病気でさ」  と三井は言う。「面子って言えば、だからそうなんだよ。この街じゃなきゃなんないんだ、やっぱり。もともと親分は東京者じゃないんだけど、自分が昔世話になった組から独立して、自分で看板ぶち上げた。もう何十年も前。そいでも、世話になった古巣とは同じ土地にはいられないってんで、この街で小さな城を構えたってわけ。変わった人でさ、昔気質ってのかな、なんか哲学的なことばっか言うんだよ、人の死とは何かとか、生きるってことはどういうことかとか、極めの道ってのはー……とかさ。聞いてる?」 「聞いてるだろ」 「だから、親分自身は、もういいって言ってるんだ。時代の流れってこういうことだよって笑って、あの薄汚い連中にあっさり自分の城を明け渡した。必死に抗って、しがみついて、喰らい付いて、そうやって俺たちが傷つくことの方が我慢ならんって」 「……」 「親分は……親父は、どうせ死ぬ時は一人だし、野垂れ死んでこそ渡世人の本望だろって。だから、本当は俺たちなんだよ。俺ら親父の息子たちだけで決めたことなんだ。親父を絶対に自分の城に戻してやる。あの城で死なせてやろうって」 「今更戻って来たのは、そういう理由でか」 「親父」 「泣いてんじゃねーって」  上山は開いたコップに酒を注ぎ、テーブルに突っ伏して泣く三井の前にそれを滑らせた。
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