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獣たちのバラッド.1
その夜はいつもより客入りが少なかった、という。
普段なら、昼営業の閉店時間である17時を待たずして客足が途絶え、逆に夜営業に切り替わる19時よりも早い段階から、常連たちが顔を見せに来る。
昼間に喫茶店を切り盛りする五十代の女性とカオリはいわば共同経営者の関係で、後に代替わりするまでは営業時間の線引きもなあなあで曖昧だった。喫茶営業の時間から居座る客はさすがにいなかったが、カオリの機嫌と私用のあるなしによっては、19時よりも早い時間にバーをオープンすることも多かったのだ。
だが、この日は珍しく誰も顔を見せなかった。最も多く顔を見せに来る常連客といえば、やはり翔太郎やアキラたちである。物騒な事件が隣町で起きてからというもの、いつにもまして顔を出してくれるようになった。ただ、彼らの後輩である上山の従妹、そして最近翔太郎が知り合った関誠という名の少女、この二人が事件に関わっていることで、幼馴染たちは四人ともが鼻息を荒くして街に出ていた。
―――今日は誰も来ないかもしれないな。
翔太郎に山規組を当たってくれと言ったのは他ならぬカオリである。現在ヤクザに身をやつしているという学生時代の知人を訪ねた竜二は、性格上意気投合して他所で酒でも酌み交わしかねない。アキラはあんな風だし、側についていてくれるよう大成にも頼んであるから、事態に変化が見られない限りは今夜この店に戻ってくることはないだろう。
「つまんね」
カオリは声に出し、店内BGMのボリュームを上げた。
『合図』前の通りは静かだった。
近くには収容人数五百人を誇るクラブ『メリオスボール』がある為、平日でも人通りが途絶えることはない。だがこの日ばかりは違った。正確に言えば人気がなかったわけではない。この街の若者たちは、今日も自分たちのテリトリーに繰り出していた。だがいつもと違ったのは、普段ならこの街にいない連中が大挙して往来を占拠していたことである。
『メリオス』や『合図』目当てに通りへやって来た者たちは、見かけない連中が交通整理をしているのに出くわし、敏感に事態を察知して足早にその場を離れた。見かけない連中はそのほとんどがスカーフやマスクで顔の下半分を覆っており、静かだが有無を言わせぬ無言の圧力でもって常連客を追い返した。
暴力的ではなかった。だが店の前を通りかかる通行人を執拗に目で追い、我関せずを装い『合図』へ入って行こうとする人間の腕を取って、首を横に振った。口元に人さし指を当て、
「悪いことは言わない。そのまま回れ右して帰れ」
そう小声で囁くのだ。そしてそれを見た察しのいい人間たちは、顔の見えない余所者らがタムロしている異様さに怖れをなして逃げた。
「話せる状態じゃなかったらどうする」
と大成は言った。「向こうは俺たちを知らないんだ。顔見た瞬間騒がれる可能性だってあるぞ。そうなりゃこっちが不利だ」
「っせーな、帰れよじゃあ」
自分の後をついてくる大成を振り返りもせずアキラは言い、病院の廊下を進んだ。
ベイロンの入院先を特定するのは簡単だった。翔太郎が単独で乗り込んだ場所が元山規組の事務所で、カラオケボックス『キュー』へと様変わりした建物であることは知っていたし、そこで怪我を負わされ救急車で運ばれたとなれば、近くの病院にあたりをつけることなど造作もない。
アキラたちはベイロンの本名を知らなかったが、今の若者たちが互いをあだ名で呼び合い、名前を知らないままでいることなどさして不思議ではなかった。だからアキラが友達の振りをして病院に電話をかけ、
「今キューに来てるんですけど、なんかここで俺のツレが怪我させられてそこに入院したらしくて、今から見舞いに行きたいすけど、いいすか」
と言えばそれだけで良かった。その病院にベイロンがいなければ、
「こちらにはそういった患者さんは運び込まれていませんが」
と言われ、
「あれ、間違ったかな」
ととぼけて電話を切ればいい。あとはそれを繰り返し、
「面会時間内なら大丈夫ですよ」
という答えが返って来るまで、虱潰しに電話をかけ続けるだけでいいのだ。
だが、大成は反対した。今のアキラがベイロンを見つければ、ただでさえ翔太郎に病院送りにされた男を本気で殺しかねない。実際、入院中のベイロンと『リッチモンド』襲撃がどの程度密接な関係にあるかは今の所分からない。それでもアキラには理由がある。……エンジンの仲間であるベイロンから情報を聞き出す。何が何でも口を割らせる。ひいてはそれが上山の従妹に成り代わった復讐ともなりえるのだ。
「お前翔太郎に言ったよな」
大成の言葉に、アキラが足を止めて振り返った。
「今はもう事情が違うだろ」
アキラにも大成の言いたい事は理解出来た。単身敵地へ乗り込んだ翔太郎をやんわりたしなめたのはアキラである。あの時は竜二と翔太郎が揉め、側には未成年の誠が居た為とことんまで話し合うことは出来なかった。だが今まさにアキラが成そうとしていることは、結局自分以外の仲間を傷つける可能性を孕んでいる点では、翔太郎のしたことと同じである。
「俺がやるわ」
と、大成が言った。
「なにを」
「話を聞けばいいんだろ、ベイロンてのに」
「お前が?」
片眉を下げて聞き返すアキラに、大成はサングラスをずらして睨み返した。
「何か問題あるか?」
「……」
しばし睨み合い、やがてアキラは溜息を吐き出して廊下に背を預けた。「エンジンの居場所だけでいい。事件を起こした後身を隠す場所とか」
「翔太郎の話じゃ、まだ何かを企んでるなかもしれない。次があるなら、その件も一緒に聞き出してみる」
だが、何とか理性を保ったままベイロンのいる病室まで辿り着いた二人に、予想外の展開が待ち受けていた。
「面会、ですか」
偶然病室から出て来た看護師にそう問われ、
「ああ、まあ」
と頷き返した所、
「お話は無理ですよ」
と先制パンチで釘をさされたのである。
ビキ、とアキラのこめかみに青筋が浮いた。
「それは、何故」
大成が問うと、看護師は頬を赤らめてこう答えた。
「お口の中が傷だらけなんです。喧嘩でしょうか、歯が何本も折れて、折れた歯が口腔内を……口の中を一杯切っちゃって。痛くて全然眠れないって、もの凄く機嫌も悪いし」
アキラと大成は顔を見合わせ、あいつ、と翔太郎を疑った。
―――どんだけ痛めつけたんだ。
だが実際にはベイロンの歯を砕いた犯人はエンジンである。一度は退院したベイロンを、カラオケボックスのマイクでぶん殴ったのだ。当然アキラも大成もその事実を知らず、肩を落としつつ曖昧な返事で看護師を見送った。ただし、そのまま帰るという選択肢はなかった。例え口頭では無理でも、目覚めてさえいれば意思疎通は可能である。
ピリリリ、ピリリリ……。
「あいよ」
翔太郎は携帯電話を耳にあてがい、開いた手で煙草を咥えて火をつけた。
「今どこだ」
相手は竜二だった。
「病院。の、喫煙所」
「病院?」
「おん」
「どこの。誰かと一緒か?」
「ああ。何だよ、お前は?」
「俺もさっきまで病院にいた。メバルに話を聞いて来た」
「ああ、そいで?」
「ちょっとややこしい話になっててな。これから会えるか」
「いや、俺もちょっと急ぎがあって。すぐには無理だわ」
「そうか」
「今話せよ」
「どうやらまだ顔を見せてない登場人物がいるらしい。エンジンて野郎のバックにそいつがいる」
「ヤクザ?」
「分かんねえ。でも多分そうじゃねえかと思う、話を聞く限りただの一般人じゃねえだろうな」
「なんでそう思う?」
「メバルの言い分を信じるなら、あいつは罠に嵌められて藤和会を破門になったそうだ。あいつの過去を利用して罠に嵌めたのがその正体不明野郎だ。一般人のやり口じゃねえよ」
「メバルを破門にして何の得がある?」
「言いくるめて自分の手駒に加えたらしい、用心棒として。そいつ、お前に似てるらしいぞ」
「はあ?何だそれ」
「知るか」
「エンジンのバックにいるってことは、そいつベイロンとも関係あるのか?」
「ああ。ドラッグ売買の新規ルート開拓にベイロンとメバルを引き込んだってことらしい。表向きハイウィンドは薬を扱ってないが、地下でこそこそやってんだ。エンジンてのは思ってるより曲者なのかもな」
「ややこしい話って?」
「……今の話、ややこしくない?」
翔太郎は強めの一服で頬をへこませ、一拍置いた後、
「どーこーがぁー」
煙と共にそう吐き出した。
「いやいやいやいや」
と竜二は続ける。「肝心なのはそこにあの女が絡んでる事だよ、押鐘美央だ」
「ああ、そりゃ確かにややこしい」
「だろ?メバルは自分でもその正体不明マンを頭から信じてなかったそうだ。けど藤和を首になって自暴自棄になって、そのタイミングで引き込まれて甘い汁吸ったもんだから」
「メバルの話はもういいよ、あのガキがなんだって?」
「待てって。メバルは自分を厄介払いした藤和会から連絡を受けて、山規に協力しとろと迫られたらしい。もし上手くやれば絶縁を白紙にしてやるって」
「……」
「変だろ?しかもそのメバルに、お前正体不明マンに騙されてるぞって忠告したのが押鐘美央だっていうじゃねえか。それでようやく目が覚めて、メバルはあの女に協力したって筋書だ」
「っへえ。そこまで分かったんなら、あとはその正体不明マンを捕まえれば話は終わりじゃないか」
「そうじゃねえよ翔太郎、お前、疑問に思わねえか?」
「……」
「一度は絶縁したメバルに、そんな簡単に藤和が連絡なんか寄越すか?しかもその間たったの一ヶ月だ」
「……まあ、ないな。絶縁てな破門よりも重いんだ。そんな簡単に白紙に戻せるような薄っぺらいもんじゃない。全国に札が回って、今後メバルは日本中どこへ行ってもヤクザとして食ってくことは出来ない」
「だよな。けど俺思うんだよ、もしかしたらメバル、最初っから絶縁なんかされてないんじゃねえか?」
「……当たってみるわ」
翔太郎の思わぬ返事に、
「あ、当たるって誰に」
竜二は驚いて尋ねた。「っつーかお前、どこにいんだよ。どこの病院だよ、そこで何してんだ?」
「ほんまもんのヤクザに聞いてみるって言ってんだ。……山規の親分に」
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