獣たちのバラッド.2

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獣たちのバラッド.2

 廊下に掲示されていた「今週の献立表」を画鋲から外し、その裏面に、受付カウンターから拝借したボールペンで文字を書いた。廊下の壁に紙を押し当てアキラがベイロンへの質問事項を書く間、見張り役として大成が隣に立った。 「……あのさ、アキラ」 「もうちょっと」 「だから、アキラさ」 「っせえな。あれ、襲撃のシュウって集まるって字じゃないよな?」 「いや、あんな」 「ゲキって芝居の劇でいいのか?カタカナでいいか」 「いや、アキラ。今更言うのもあれだけどさ」 「何だよ!」 「ベイロンには口で言えば伝わるんじゃないか?紙に書かなくちゃなんないのは俺らじゃなくて、喋れないあいつの方だろ?」 「……」 「何でお前が今書き始めたのかなーって、思って」 「……」  その時だった。何とも言えない感情を抱えて見つめ会う二人の背後から、不意に声をかけて来る者があった。 「ちょっと、よろしいですか」  振り返ると、廊下の奥からスーツ姿の男が近付いて来ていた。アキラも大成も、ひと目見た瞬間その男が刑事であると直感した。刑事の背後には先程話した看護師の姿がある。ベイロンの関係者であると疑われ、院内にいた刑事に報告されたのだろう。あるいはアキラが当該病院へ電話をかけ、見舞いに行きたいと申し出た段階で通報されていたのかもしれない。ベイロンは薬物患者でもある為、刑事が張り付いていることは想像出来た筈だった。これで、ゆっくりと話を聞き出す時間はなくなった。 「大成頼むわ」  アキラが刑事に向かって歩き出した。おい、と大成が腕を掴むも、アキラは勢いよくその手を振り払って刑事へと向かっていく。大成は舌打ちし、そのままベイロンが入院している病室の扉を開けた。だがしかし、ベッドの上で痛みに転げ回っているはずのベイロンの姿は、どこにも見当たらなかったのである。 「あ、アキラ!」  病室から出て来る看護師と話をし、その場を離れて廊下の献立表とボールペンを入手して戻って来るまで、おそらく十分もかからなかった。だがその十分弱の間に、二人はベイロンを取り逃がしていたのだ。  今にも刑事に掴みかかりそうだったアキラが驚いて振り向く。 「き、君たちは何者かね」  と刑事が声をあげた。……そこの患者とは一体どういう関係――― 「逃げやがった」  そう呟いた大成の一言に、アキラは両目を見開いた。  木製の重たい扉がゆっくりと開いた。 「お、らっさーい……」  振り返ったカオリの顔から、笑みが消える。「……いらっしゃい」  最初に顔を覗かせたのはボーノだった。グリっとした大きな目が特徴的で、笑うと顔中に皺の入る、愛嬌のある顔立ちの男だった。額には白いバンダナを巻いて、自分の後ろへ回した右手には金属バットを握っていた。 「見ない顔だね。一人?」  カオリが問うと、ボーノは首から下を店の中に滑り込ませながら、 「いや」  と答えた。「五十人くらい」  ボーノの後ろからジョッキを顔を突き出して入店して来る。茶色いサングラスをかけた男で、左頬には500円玉サイズの火傷跡が広がっていた。ブランド物のスーツの胸元を指で整えると、内ポケットから携帯電話を取り出して店内を撮影し始めた。 「何やってんだよお前、勝手に撮るなよ」  注意するカオリに目をやり、ヒュー、とジョッキが耳障りな口笛を鳴らした。ボーノが扉を掴んで大きく開き、外に向かって「おい」と声をかける。すると遅れて、背の高い男がのそりと入って来た。上下ジャージ姿の、胸板の厚い猿顔である。 「お前がエンジンてやつか?」  カオリは手探りでカウンター内に手指を走らせ、天板にセロテープで貼り付けていたナイフを剥がした。だが、指が滑ってナイフがコンクリートの床に落下し、派手な音を立てた。エンジンはその音に気付いてボーノとジョッキを見やり、次いでカオリに視線を戻し、ゆっくりと首を傾げた。カオリは無表情を装い、ゴクリと唾を飲み込んだ。 「まあ、いいよ。酒飲みに来たんだろ?座れよ、五十人は入れないけどな」  カオリがそう言った瞬間、ボーノが持っていた金属バットでボックス席の机を下から叩いた。重厚感のあるアンティークテーブルが破片となって宙を舞う。カオリは反射的に、 「やめろ!」  と叫んだ。「アタシだけの店じゃないんだよ。その机だって長年大切にされて来たんだ。元に戻せないもんをそんな簡単に壊すんじゃねえ!」  必死に訴えかけるカオリの姿を、薄ら笑いを浮かべながらジョッキが写真に収めていく。カシャカシャと響く軽薄な音にエンジンは微笑み、カオリは唇を噛み締めた。 「送ー信」  手元の携帯電話をイジリながらジョッキが言う。外の連中に店内とカオリの写真を一斉送信したのである。外の連中はさらに多くの仲間へとその写真を転送するだろう。やがてその写真の存在が、回り回って翔太郎たちの目に触れることになるのだ。 「何のつもりだよ。何しに来やがったお前ら!」  ―――店員と客のふりはやめだ。  カオリは敵意を剥き出しにして叫んだ。上山の従妹を薬漬けにし、新永と手島を死の淵に追いやった野郎どもだ。一瞬でも我が身可愛さに酒をふるまってやろうとした自分に吐き気がする。  だがエンジンはひと言も発さず、ジョッキがバットで壊したテーブルの破片を手で払いのけ、そのボックス席に腰を下ろした。そしておもむろに、右手でサインを送る。エンジンの不気味な仕草に、 「何なんだよお前」  カオリが眉根を寄せた。その瞬間ボーノとジョッキが動いた。二人は勢いよくカウンターを飛び越えると、嫌がるカオリの手足を掴んで抱え上げた。 「やめ!やめろォ!」  そして二人は、カオリの体をカウンターの上に叩きつけた。カオリは背中から落ちて悲鳴さえ上げられなかった。息が止まる程の衝撃に、咄嗟に身体を丸めて防御の姿勢をとろうとした。だがボーノとジョッキがそれを許さなかった。二人はカオリの腕と足を持って双方から引っ張り、痙攣する体を真上からじっくりと眺めた。 「おい」  エンジンが声をかけ、こちらへ、と手招きする。へいへい。ボーノとジョッキはカオリをハンモックのように揺らしながらカウンター内から出て、エンジンの座るボックス席まで運んだ。 「よいしょ」  二人はさらに高い位置からカオリを落とし、アンティークテーブルの上に叩きつけた。エンジンが立ち上がり、 「いい女だわ、やっぱ」  そう言ってトラックジャケットのフロントジッパーを下ろした。「鍵かけてこい」  カオリは何とか起き上がろうとした。そのタイミングに合わせてエンジンがカオリの顔を殴った。カオリは激しく後頭部をテーブルに打ち付け、身悶えしながら床に転げ落ちた。 「何がだよ笑わせやがって」  エンジンは呟き、しゃがみ込んでカオリの衣服を破いた。「俺を舐めてっからこういう目に合うんだ。覚えとけ。殺しはしねえが、死にたいとは思わせてやる」  エンジンはそのままカオリの下着を剥ぎ取り、次にズボンに手をかけて勢いよく振り回した。カオリの細い体が床を滑って反対側のボックス席に激突する。 「おいおい、せっかくいい女なんだからもうちょっと綺麗なまま楽しもうぜ」  とボーノが言う。 「壊しちまうのは俺にやらせてくれよ」  そう言いながらジョッキがスーツの上を脱ぐ。「いつまで理性がもつか分かんねえけど、何人目くらいからいい女じゃなくなるかな。俺ぁエンジンと違ってこういうとんがった女大嫌いなんだよ」  エンジンは鼻で笑ってカオリのズボンを脱がした。  ―――覚えとけよ。  エンジンの手が止まる。入口の扉に鍵をかけて戻って来たボーノが足を止め、脱いだ上着を手に持ったままジョッキが目を丸くした。 「殺しはしねえ」  とカオリは呟く。「けど、死んだ方がマシだ、くらいは思うかもな、お前ら」  エンジンは興奮に顔を赤らめて笑い、剥き出しの裸体に向かって何発も拳を振るった。 「お前ら上使っていいぞ、俺は下だ!」  獰猛な獣たちの爪がカオリの肌を引っ掻いた。ズボンを脱がされ、下着を破かれたカオリは抵抗することをやめて目を閉じた。ここで体力を消耗したってどうせ力では敵わない。  ―――生き延びろ。今はそれだけ考えろ。私はもうただそれだけでいい。そうだよな……アキラ。
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