似た男

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似た男

 結果的に見れば、無謀でしかない誠の特攻がカオリを助けたのだと言えなくもない。その夜の、騒然とした街の通りを支配したハイウィンドの面々は、突如どこからともなく現れた謎の外国人集団に横槍を食う形で少しずつ陣形を崩していった。誠の特攻が、時間を稼いだのだ。  運も良かった。ミハイルが電話で連絡を取ったのはほんの三人くらいの同胞らで、そもそも五人も十人も電話をかける時間的余裕がなかった。だが普段SOSを発することのないミハイルからの要請に、思いがけず十人を超えるロシア人労働者が集まって来た。最初に電話をかけた三人が、各々一人で家にいたのでは流石にこうはならなかった。やはり運が良かった。  それは同時に、ハイウィンドにとっては予想外の出来事だった。本来彼らが注意すべきは警察のみであった。通りを占拠し、『メリオス』や『合図』に入ろうとする常連客を止める間も、極力騒ぎ立てるなという指示通り静かにしていたのはむろんその為である。件の『リッチモンド』襲撃の直後でもあり、特に警察の介入には慎重にならざるを得なかったのだ。  ただし、ロシア人たちの襲撃にあうとはハイウィンド側も予想出来なかった。街の自警団を名乗ってはいるものの、今いる場所はハイウィンドの影響力が及ばない唯一の隣町で、地元ではない。その上、誠に声をかけて来た少年を始め、ハイウィンド側の面々はまだ十代の未成年がほとんどだった。突然言語の違う外国人が攻め入って来たおかげで、それまで威圧的な態度で周囲を睨んでいた連中が蜘蛛の子を散らすように逃げまどい始めた。  意図せず騒ぎは大きくなった。そしてこの段階へ来てようやく、街に池脇竜二が戻って来た。竜二は騒動の中心にいたミハイルを見つけ、 「何をやってんだお前」  と怒鳴りつけた。むろんそれは単なる怒りではなく、ミハイルの将来を案じてのことだった。だがミハイルは竜二の肩に手を置き、 「それどころじゃないよ、竜二さん、早くカオリさんのとこ行って!」  と両手で突き飛ばした。竜二は一瞬にして青ざめ、踵を返して『合図』へと走った。  竜二が店の中に駆け込んだ時、現場にはエンジンたちの姿はなかった。フロアにいたのは衣服を剥がれて倒れたままのカオリと、バーカウンターの側で蹲る誠の二人だけだった。 「おい……おいカオリ!」  竜二が駆け寄った時、エンジンに殴られ顔の左半分が腫れあがっていたが、カオリにはしっかりと意識があった。 「……竜二か?」 「ああ、カオリ、何があった?」  カオリは体を起こし、 「いてて」  と、顔を歪めながら緩慢な動きで衣服を搔き集めた。「アキラは、いない?」 「あ、ああ」 「良かった。今のうちだ、ちょっと手伝え」 「……エンジンか?」 「いいから、いてて、あー、腹がいてえ」  カオリは竜二の肩口を力強く握り絞め、痛みに全身をガクガクと震わせた。 「お、おいカオリ!……誠、何があったんだ!?」  振り返って竜二が問うと、誠はフロアに両手をついて頭を床に擦りつけた。 「ごめんなさい……ごめんなさい……」  ―――何だってんだ。  竜二はまるで事態を理解せぬまま、カオリを抱え上げてボックス席に座らせた。ズボンは無事だったが、シャツや下着は破けて衣服としての機能を果たせるものではなくなっていた。竜二は血の付いたカオリのシャツを握りしめ、奥歯を噛んで絶叫したい気持ちを堪えた。 「そんな顔すんな竜二、あたしは大丈夫だから。誠が来てくれたおかげで無事で済んだんだ、な、やられてないから、大丈夫だから」 「無事じゃねえだろう」  安心させようと声を振り絞るカオリの言葉尻を引っ手繰るように、竜二は言った。「こんなに殴られてんじゃねえか」 「ここいらで商売してれば、こんくらいさぁ」 「これを無事とは呼ばねえよ」 「竜二、頼むよ、お前までそんなんじゃ」 「別に俺はいい子ちゃんじゃねえよ」 「頼むよォ」  カオリは泣いて竜二の腕を掴んだ。竜二はそんなカオリの手を握り返し、誠を振り返った。 「お前が見たこと、全部話せ誠」    その、少し前。竜二と電話で話し終えた翔太郎は、そのまま山岩規三の病室へ戻って話を聞いた。  竜二から連絡を受けるまで、翔太郎は街へ出てハイウィンドのメンバー幹部を誰でもいいからとっ捕まえて来るつもりでいた。山岩の前に連れて来て根掘り葉掘りやるためにだ。だが、竜二から聞いた話を山岩の耳に入れる中で、ハイウィンド幹部を拉致するよもさらに有力な情報を得ることが出来た。 「お前に似た男……?」  翔太郎も、そこは省いていい些末な部分だと思っていた。だがそう言われている謎の男がエンジンやベイロンのバックにいると知って、とりあえずは山岩にも話してみることにしたのだ。  山岩は初め、ベイロンが独断で扱っていたというドラッグに関する話にはほとんど興味を示さなかった。山規組が薬物の不扱いを信条にしていたことは翔太郎も知っているから、そこは別段不思議にも思わなかった。だが話が例の正体不明マンへと移った時、山岩の目に閃くような表情が浮かんだ。 「翔太郎を昔から知ってる奴が、そう言うたんか」  メバルのことを昔からの知人といって良いものか翔太郎は悩んだが、とりあえずは頷いて返した。 「まあ、そうすね」  すると、 「……俺はそない似てるとは思わんが、何となくそう言われればな、というやつを一人知ってる」  と山岩が言い出した。 「まじすか、藤和会ですか?」  翔太郎が問うと、山岩は頭を振って、 「山規や」  と答えた。 「おじさんとこ?」 「二年程前や。まだあの街で事務所構えとった頃、俺ん所へシャブの話を持って来た若いのがおった。時代は変わっても俺らの性根は変わりません、言うてな。ヤクザはヤクザらしく悪い事しましょうよ……そない偉そうにほざいとったわ。組潰すつもりか言うて即行で縁切りしたけど、なかなかの面構えしとったで」 「名前憶えてます?」 「確か……風早(かぜはや)、いうた気がするな。下の名前は知らん」 「そいつは今どこに?」 「知らん。せやけど藤和の名張を嵌めたっちゅうことは、大阪なんちゃうか」 「大阪……」  山岩規三と別れた後、翔太郎は電話を一本かけた。相手は中学生時代からの腐れ縁で、名前を真壁才二(まかべさいじ)と言った。 「バイクが必要なんだよ、速い奴が」 「何だよいきなり」  と真壁は電話口で笑う。真壁は学生時代からバイクいじりが趣味だった。屑鉄みたいな部品を拾って来ては、大成と二人で丸々一台組み上げたこともある。ほんの少し前までは、池脇竜二、神波大成、同じく旧友の渡辺京(わたなべきょう)とともにハードロックバンド「クロウバー」として活動していたギタリストとしての顔もあわせ持っていた。 「今すぐ走れて速いやつ、用意できるか」  という突然の翔太郎の申し出に、 「何だよ速いやつって、何に使うんだよ」  当然真壁は首をひねった。 「これから大阪まで行く。四時間で行って帰ってしたい」 「ば、馬鹿言うなお前!四時間なんて片道だって無理じゃねえか!」 「高速ノンストップで行けば何とかなんない?」 「何ともならねえよ!お前高速はどんだけぶっ飛ばしてもいいとか勘違いしてないか?」 「どうでもいいから手配できるのか、出来ないのか」 「速いって、大型のこと言ってんだろ。そらあるにはあるけど」 「ガソリン満タンにしといて、あとで取りに行くから」  ミハイル・アリストフからの連絡を受けたのはその直後のことだった。  慌てて街へ戻り、カオリが運ばれた病院へ到着した時にはすでに皆がいて、病室前の廊下は通夜でも行われているのかと錯覚する程の沈み切った静けさが漂っていた。数人の仲間たちとともに廊下で立ち話をしていたミハイルを見止め、 「……」  翔太郎は声をかけようとした。しかしミハイルは頭を振って翔太郎の背中に手を回し、そのまま病室へ行けと無言で促した。翔太郎はこの時まだ、『合図』で何が起きたのか詳しい事情を把握していなかった。ただカオリが大変なことになった、誠らしきあの少女も一緒だと言われて飛んで戻ったに過ぎないのだ。  病室に入ると、ベッドに座っているカオリがいて、彼女の頭から顔半分までが包帯に覆われているのが目に入った。翔太郎はその瞬間身体が硬直し、最悪の事態を想像して動けなくなった。  カオリの傍らには竜二とアキラがいて、その隣には大成が立っていた。カオリの座るベッドの足元、やや離れた場所には誠が俯いて座っている。 「おお、勢ぞろいだ」  と、明るい声でカオリが言った。喋るのも辛そうだったが、気遣いを感じる口調だった。「まあ、座れよ翔太郎も、大成もほら」 「誰がやった」  と翔太郎が聞いた。 「決まってっだろ」  と竜二が答えた。  やめろって、とカオリが止めに入るも、苦痛に口元が震えて歪む。 「事情は誠から聞いたよ」  と竜二。「今回ばかりは、俺もお前らを止める気にはなんねえ」 「竜二」  嘆くようにカオリは言うも、本当は竜二よりもアキラを心配していた。アキラは大成と二人して病室に入って来たっきり一言も口を利かなかった。喚くでも暴れるでもなく、誠から聞いたという『合図』での様子を話す竜二の言葉に、ただ無表情で耳を傾けていた。いや、実際には聞いているのかどうかさえ疑わしかった。それ程、吹っ切れたような顔をしていたのだ。 「俺、今から行くとこあんだ」  と翔太郎が言った。「あとのことはお前らに任せるわ」  その言葉はどこか軽くもあった。だが翔太郎という人間を子供の頃から知っている竜二たちにとって、「任せる」という言葉に軽さはない。むしろ全力で背中を押されたようなものだった。
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