約束の意味を知ってる

1/1
前へ
/65ページ
次へ

約束の意味を知ってる

「誠の話じゃあ、エンジンたちの狙いは最初からカオリだったそうだ」  と竜二は言う。「リッチモンドを襲った事件とは違って、人を探している様子はなかったらしい。てことはベイロンをやった翔太郎を探して辿り着いたわけじゃない。それに、この誠が飛び込んだ時にもエンジンは首を傾げてたそうだ。だから翔太郎んとこに転がり込んだ誠が目当てってことでもない。最初からカオリを襲うつもりだった、ってことだ」 「と」  ―――飛び込んだ?  竜二の話に耳を傾けていた男たちが、揃って誠を見つめた。 「狙いは俺たち全員なのかもしれない。てことはだ、理由はまだ分かんねえけど、ニイがやられたのは俺たちの身内だからって線もあり得る。ミハイルがいなけりゃ詰んでた。俺が合図に到着した時にはもうすでにエンジンたちの姿はなかった。誠が先に突っ込んでくれてなけりゃ……」  ―――アキラ。  カオリが不意にアキラの名を呼んだ。  竜二はそこで話すのをやめた。  アキラは誠を見つめていた視線を、カオリの座るベッドへと移した。だがカオリの目を見ることは出来なかった。 「あたしの手を握ってくれ」  アキラが黙って言われた通りにすると、 「あたしは、もう一度お前に会いたかったんだ」  と、カオリは震える声でそう告げた。「例え何をされたって構わない、生きてもう一度アキラに会いたい、それだけを考えて、耐えたんだ。だからアキラ、お前も耐えてくれ。ここにいて。ここでずっとあたしの手を握っててくれ」  誠はこの時確かに、カオリを見つめ返すアキラの瞳が燃えているのを見た。どちらかと言えばアキラの表情は優しく、そして柔らかだった。しかし誠には、却ってその柔らかさが切なく思えた。どうしようもなく悲劇的な温もりに見えたのだ。  何も言わずに竜二が立ち上がり、病室を出た。大成も同じく、何も言わずに出て行った。誠が見やると、翔太郎は頷いて、やはり黙って踵を返した。誠はゆっくりと立ち上がり、アキラとカオリに頭を下げ、翔太郎の後を追いかけた。 「……あたしは、悪い女だよな」  とカオリが漏らしたのは、そのすぐ後のことだった。「お前だけ引き留めて、あいつらを行かせちまった」 「無理だよカオリ」  アキラは微笑みを浮かべて言う。「あいつら皆んな、カオリの事大好きだからさー……」  病院を出ると、外は雨が降っていた。  なんとか翔太郎には追い付いたが、すでに竜二と大成の姿はなかった。翔太郎は急に降り出した雨を睨むように空を見上げ、玄関の軒下に立っていた。 「翔太郎さん」  追いついて来た誠の声を背中越しに聞いて、 「誠」  と翔太郎は言った。「この件が落ち着くまで、お前はとりあえずじっとしてろ」 「で、でも」 「カオリのことは礼を言うよ。ありがとう。でも、ここまでにしとけ」 「……」 「見てみろよこの雨。こんな雨の中、竜二も大成もものすげースピードで飛び出してったよ。ありゃ止まんねえな、もう止まんねえ」 「翔太郎さん」 「気にするな。カオリもきっとそう言う。俺たちだって別にお前には何も思ってない。お前は好きな所へ行けばいいんだ。親戚ん家でも、どうしてもってんなら俺ん家でもいい、でももうこの件には関わるな」 「翔太郎さんは?」  誠は自分のことなどどうでも良かった。ただただ翔太郎が心配だった。しかし翔太郎は答えず、いつものように、煙草に火をつけるだけ。この雨だ。歩いて出ればすぐに消えてしまうかもしれないというのに。  翔太郎は片目を瞑って強めに吸い、そしてこう答えた。 「俺のことなんか放っておけよ。お前は早く……」 「出来ません、だってエンジンは」 「あいつの話なんかするな」 「……」 「今俺が言ってんはお前のことだよ。誠」 「……私が言いたいのは、翔太郎さんのことです」 「俺は」 「……」 「俺はさ」  急に雨足が強まり、翔太郎の声がよく聞こえなかった。誠は翔太郎のすぐ側まで歩み寄った、しかし、自分から声をかける事は出来なかった。 「……何一つ自分の思い通りにならないで、ただ時間だけが過ぎて行く。振り返る事も出来ずに自分の意志では止まる事も出来ない。何かにぶつかるようにして霧のように消え去る。きっと俺は、そういう終わり方をすると思う。だから、誠は、そんな風には生きるなよ」  翔太郎はそう言い残すと、最後まで振り返ることをせずに雨の中へ向かって歩き出した。 「わ、私は……!」  だが誠はその一歩を踏み出すことが出来ず、翔太郎を追いかけることも出来なかった。  翔太郎は懐から携帯電話を取り出し、ツーコールで呼び出しに応えた相手に向かって、 「用意出来たか!?」  と叫ぶように聞いた。雨音が強く、真壁の声はほとんど聞こえなかった。 「あ!?今どこにいんだよお前」  負けじと真壁も尋ね返す。翔太郎はギリギリと奥歯を噛み締め、 「今すぐ大阪のクラブへ行く。明日中には戻る」  そう大声を張り上げた。 「夜明け前だぞ、お前の言う明日ってもう今日だろ!? 何をそんなに急いでんだよ!」  真壁は今回の一件に関しては何も知らない筈である。メバルや山岩規三からの情報をもとに、翔太郎が風早なる男に会いに行こうとしていることなど知る由もないのだ。翔太郎はただ、速いバイクを手配しろ、としか言わない。いくら付き合いの長さがあるとは言え、真壁には翔太郎の言動を理解出来なかった。 「高速乗り継いだってある程度時間はかかるし、法定速度ぶっちぎればオービスに引っ掛かる。それくらいお前にだって分かんだろ!?」 「フルフェイス被ってりゃ特定されないだろ」 「バイクのナンバーがばっちり映るってんだよ!お前どうしたいんだよ、なあ、翔太郎!?何考えてる!」 「マー。頼みがある」 「さらにかよ!」 「大阪でバイク乗り捨ててもいいか」 「ふざけんなッ!」  真壁の怒りは当然だった。何一つ満足のいく説明をしない所か、私物のバイクを乗り捨てて来るという。スピード違反を犯し、捕まらない為に借り物のバイクを捨て去ると言っているのだ。そんな馬鹿な話を了承出来る筈もない。だが、真壁は知っていた。自分が話している相手が、伊澄翔太郎だということを。 「絶対に捕まえなくちゃならねえ野郎がいる」  と、翔太郎は言った。 「……何の話だ?」 「そいつ自身か、あるいはそいつの情報を仕入れに行ってくるだけだ。すぐ戻る。この一件のカタがついたら出頭でもなんでもしてやるよ、お前に迷惑はかけない。盗まれたって言えばいいから」 「翔太郎」 「マー、時間がないんだ!」 「お前の声聞いてりゃあな、何か普通じゃないことが起きてることくらい俺にはもう分かんだよ」 「だったら俺の頼み聞いてくれるよな?なあ、どうなんだよマー!」 「……向こうのバイク仲間に連絡入れとく。別のバイク用意させっから、帰りはそれ乗って帰って来い」 「お前が友だちで良かったよ」 「うるせえ……ッ」  真壁はその後も電話口で叫んでいたが、翔太郎は気にせず通話を終えた。 「翔太郎さん!」  突如名前を呼ばれ、驚いて立ち止まった。  真壁との電話を終えた直後だった。ほんの数秒遅ければ、翔太郎は真壁の待つガレージへと走り出す所であった。 「……お前」  振り返るとそこには、さっき病院で別れた筈の誠が立っていた。「帰れって言ったろ?」 「一応帰ろうとはしたんです」  と、誠は苦笑しながら答えた。「でも戻って来ちゃいました」 「なんで」 「私も、答えなくちゃって、思って」 「答え?何を」  雨足はまだ弱まる気配をみせない。翔太郎と誠は雨粒を弾き飛ばして走り去る車を横目に見ながら、人気のない歩道で向かい合った。 「私を連れていけばいいと、思うんです」  と、誠は言った。 「……何だって?」  聞き返す翔太郎の、困ったような顔にさえ、誠は湧き上がる喜びを抑えきれなかった。これが私の歩きたい道だ。これが私の答えだ。そういう確信があった。 「ただ黙って側に置いておけば良いと思います。私だけはあなたの思い通りになります。私が全部上手くやりますから」 「上手くってお前……お前、俺の話聞こえてなかったのか?」 「聞こえてましたよ。全部」 「だったら」 「私が、翔太郎さんをそんな風に終わらせたりはしません」 「……」 「絶対にさせません。……約束します』
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

200人が本棚に入れています
本棚に追加