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またやった
――― どこも同じだな。
右手に付いた血を相手のTシャツで拭い、そのまま前蹴りを喰らわせながら翔太郎は笑っていた。東京も、大阪も、ガキのやることは変わらない。喧嘩。女。酒。金儲け。馬鹿が。阿保が。間抜け。ボケナス。弱い。弱い。どいつもこいつも弱っちいなあ。
「なんじゃお前コラ!」
肩をいからせて口々に威嚇して来る男たちを前に、翔太郎は何も言わず舌舐め擦りで答えた。飛び掛かって来る男たちを順番にいなし、顎、鳩尾、首、と容赦なく急所に拳を減り込ませていく。バットやバールなどの道具を持った連中には前蹴りと回し蹴り、無造作に突っ込んで来る奴には頭突きと肘。
「う、噓やん」
次々と地面に転がっていく仲間たちの姿に、残った二人の男は咄嗟に逃げの態勢を取った。
「よお、まずは話を聞けって」
翔太郎の発した言葉に、あえて残された二人の男は顔を見合わせた。
「逃げたって捕まえるぞ。だから今この場で話だけでも聞いてけって。な」
優しくそう諭す翔太郎の顔は意外にも穏やかだった。転がっている仲間たちを置いて逃げるか、とりあえずこの場に留まり話を聞くか、二人の男は素早く計算し、
「……なんやぁ」
という答えを捻り出した。「何の話があるんじゃあ。警察かぁ?お前」
繁華街の地下通路である。
翔太郎が東京を出たのは午前三時、そこから真壁の用意した大型バイクを駆って大坂入りしたのが午前七時前。大雨を振り切り四時間弱で目的地に到達した翔太郎は、真壁の指示通りの場所にバイクとヘルメットを置き去りにして繁華街へ繰り出した。街はすでに出勤途中のサラリーマンやOLで溢れていたが、一本路地を入ればすぐに見慣れた顔の連中を見つけることが出来た。見慣れた顔とは言葉の通りの、知り合いという意味ではない。夜から朝にかけての街角ならどこにでもいる、行く当てのない若者たちである。
「この辺りで一番やばそうなクラブってどこにあんだ?」
翔太郎が問うと、二人の男は揃ってぽかんと口を開けた。右側に立つサファリハットのちょび髭が首を傾げ、左側に立つ三つ編み眼鏡が、
「え?」
と聞き返した。「な、何言うてんのいきなり?」
「名前は分からない。けど治安が最悪なクラブを探してるんだ。それこそ、危ないドラッグが手に入るような店だ。知ってるだろ?」
言いながら歩み寄って来る翔太郎から逃げるように二人は後退し、
「いやいやいや」
ちょび髭が両手を突き出した。「待ちいな。そんなんようけあるわいな。名前も知らんと、兄さん何する気なんや」
「お前らに関係ないだろ。知ってるなら教えろ。知らないなら」
「……知らないなら?」
翔太郎は煙草に火を点け、白い溜息を吐き出した。
「知ってる奴連れて来い」
だから、とちょび髭が苛立ちの滲んだ声を上げる。
「ようけあるて言うてるやろ!お前耳悪いんか!?」
その瞬間翔太郎の爪先がサファリハットの鳩尾に喰い込んだ。
「耳が悪いのはお前だろ。俺は一番って言ったんだ」
翔太郎とて馬鹿ではない。こんな直情的なやり方で「風早」を探し出せるなどとは思っていない。だが最初から目的はただ暴れることだった。例え正体不明マンが山岩から聞いた「風早」でなくとも、藤和会事務所のある大阪の繁華街で騒ぎを起こせば必ずそいつの耳に入るという確信があった。翔太郎は探す気などなかった。向こうに自分を探させる気でいるのだ。
「これ以上イライラさせんなよ。俺は別にお前らぐちゃぐちゃにして次に行ったっていいんだぞ」
「待て待て!」
三つ編み眼鏡が翔太郎の足に手を置いた。「分かった兄さん、あんたが相当頭イカれてんのはよう分かった。せやかてここまでされて俺らも黙ってるわけにはいかんで。心当たりの店には連れてったるけど、どないなっても知らんぞ」
「は」
翔太郎は笑い飛ばして足を下ろす。「頼むからどうにかしてくれよ。そんなこと言わずにさ」
「……」
――― こいつ。
薬でもやってんのか、と三つ編みは思った。思ったが口には出せなかった。翔太郎に蹴られて悶絶しているちょび髭や、地べたに転がっている仲間のことだってある。とりあえずこの場は言う事を聞いて、この頭のおかしい余所者を追い払うのが最善策だ。
「一人で来たんか?」
ちょび髭は体をくの字に折りながらも、翔太郎に向かってそう尋ねた。
「ああ。何で」
「死にたいんかお前?」
おい、と三つ編みが割って入る。せっかく止めてやったのに火に油注いでどないすんねん―――。
「なんでそう思う?」
翔太郎が問うと、
「だってお前の目、そっくりやわ。自殺志願者と同じ目しとる」
とちょび髭は答えた。
「はあ?」
翔太郎が片眉を下げたその時だ。サイレンを鳴らしたパトカーが二台、表通りの方から近付いて来るのが聞こえて来た。おそらく通行人が喧嘩を目撃して通報したのだろう。三つ編みが慌てて仲間たちを助け起こす。ちょび髭もそれに倣い、三つ編みと一緒になって仲間たちを逃がした。忘れ物や、と言って転がっているバットやバールを手に持たせた後、
「ついて来い」
呑気に煙草をくゆらせている翔太郎に、ちょび髭が手招きした。
サファリハットを被ったちょび髭は自らを中川と名乗り、三つ編み眼鏡は入江だと名乗った。翔太郎は名前など聞かなかったが、前を歩く二人は自分たちからそう打ち明けて来た。
「俺のことはペキンと呼んでくれ。中華料理が好きなんや」
ちょび髭はそう言い、
「ほな俺のことも、アップルと呼んでくれ。リンゴパイ好きなんや」
と、三つ編み眼鏡もそれに乗っかった。翔太郎は返す言葉もない様子で頭を振って、何度聞かれても自分の名前を明かそうとはしなかった。
三人は地下通路を出た後、ビル街の路地裏を通り抜け、やがて住宅街の奥まった場所にある小さな店へと辿り着いた。一見そこは、昔ながらのライブハウスにも見える一軒家である。だが派手さのない秘匿性の高さが却ってそれらしい雰囲気を醸しだしていた。当然まだ営業が始まるような時間ではない。
「ここか?」
怪訝な顔で外観を見上げる翔太郎に、
「ここや」
とペキンが応じた。「なんやそれっぽいやろ、秘密基地的な」
「ここがあ?」
言わんとしていることは店の雰囲気からも伝わって来る。だが翔太郎は敢えて疑いの目で二人を見た。「どういう店なんだよ」
「兄さん藤和会て知ってるか?」
と聞いたのはペキンである。翔太郎は驚くも動じず、
「……ああ」
と頷き返す。
「もともとここはその藤和会が経営してたライブハウスや。今はクラブってことになってるけど、イベント自体は半々やな。名前もそのままやし」
「URBANHALLや、ほら」
とアップルが店の屋根にちょこんと乗っている古い看板を指さした。汚れて字が潰れているも、確かにそう読める。「聞いたことくらいあるやろ」
「ない」
翔太郎が首を横に振ると、ペキンとアップルは顔を見合わせた。
「お前どっから来たんや」
とアップル。
「東京」
「まじで?何でまたこんなとこ……」
「じゃ、行こうか」
構わず翔太郎が歩き出すと、ペキンとアップルは頭を振って後退した。わけを問うと、
「知ってて声かけたんや思うたわ」
とペキンが答えた。どうやら二人は翔太郎が、自分達の素性を分かった上で粉をかけてきたと思っていたようだ。つまりこの、アーバンホールに出入りしている危ない連中と敵対関係にある人間だと知った上で。
「敵対?お前らヤクザなのか?」
だが当然翔太郎には知る由もない話だった。
なんでやねん、とペキンが本場のツッコミを口にする。この街の若者の間では、アーバンホールは有名なのだという。あえて流行の真逆を行く古ぼけた外観ながら、集まって来るのはどれも高級ブランドに身を包んだ大人の男女で、ここは夜の世界の情報発信源としては大阪で一二を争う社交場なのだそうだ。
「何だよ、夜の世界の情報発信源て」
「分かるやん?」
そう言い、ペキンが自分の腕に注射針を刺す真似をする。「主にこれ」
翔太郎は頷くも、疑問がそのまま口を突いて出る。
「有名ってそんなの、噂が立った時点で警察にガサ入れされて終わりだろ」
「連中かてアホやない。この店で取り引きされてんのは現物やのうて情報だけや。どこに行けばどんな物が手に入るんか、その情報だけ」
「てことは、場所は大阪だけとは限らない?」
翔太郎の脳裏をベイロンのニヤつく顔が掠める。
「……ほう、ほな兄さんがわざわざやって来たんはそれでか。マジで警察かと思たわ」
納得する二人に、翔太郎は問う。
「お前らの言う連中って誰のことだ?今ここを取り仕切ってんのは藤和会じゃないんだろ?」
「そや」
とペキン。「おかしな話でな。元藤和会っちゅうわけでもないらしいわ。相手の素性がよう分からんもんで、俺らもどうしてええか分からんのよ」
「どうって何だよ、お前らはどうしたいんだ。何でそんなにヤクザに詳しい」
翔太郎の疑問に、
「別にヤクザに詳しいわけちゃう」
とアップルが応じる。「お前が一方的にぶちのめした俺らのツレ、ここ二人もそうやけど、皆んなこの店の被害者や」
翔太郎の目が無意識に見開かれた。またやらかした、と翔太郎は思ったのだ。勇み足だと責められたベイロン潰しはまだしも、事情も知らずに名張を叩きのめしたのは少しやり過ぎだったか、と後悔し始めていた所だった。あの時も向かって来た以上やるしかなかったが、この大阪での件は完全にこちらの極私的理由でしかない。本来叩くべきはこの店でドラックの情報を売っている連中であり、見ず知らずの被害者たちではない。
「……そう」
翔太郎は後頭部をボリボリかいて、言う。「じゃあさ、名前だけ教えてくれよ。お前らの代わりに俺が潰して来てやるから」
「はあ!?」
アップルとペキンの声が揃う。簡単に言うなや……!
「風早ってやつか?」
率直に問うも、二人とも特定の人物を知っているわけではないという。薬物被害にあった知人たちが皆、かつてこの店を利用したことがあるという共通点を最近になって見出したに過ぎないそうだ。相手がどれ程の規模で、そいつらをどうするもこうするも、まだ具体的なことは何一つ決まっていなかった。
「何か御用ですか」
三人の背後から声が聞こえてきたのは、その時だった。
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