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クロスボーン.1
振り返るとそこには、コンビニのレジ袋を手にぶら下げた少年のような男が立っていた。背は高く、細身ながら肩幅が広い。オーバーサイズのパーカーを着ている為見た目には分からないが、身体を鍛えていそうな雰囲気が立ち姿から漂っていた。しかし、顔立ちがやけに幼かった。
「何が?」
とアップルが聞き返す。
「何が、て、店の前に屯されたら困りますやんか。まだオープンちゃうし」
とその男が言う。
「お前、ここの従業員か?」
「はあ、一応店長やらせてもろてます」
「お前が?」
「はあ、若人たちに社交場を提供させてもろてます?」
「だからなんやねん。俺らが天下の公道で何をしようがお前には何の関係もないやろがい」
「せやから……」
携帯電話が鳴り、その男がズボンのポケットから取り出して耳に当てた。視線は翔太郎たちに置いたままである。
「うん。そう。うん」
男は短い通話を終えると、「あんまり長居せんとってくださいね。近隣住民からクレーム来たら嫌やから」
そう言いながら、三人を無視して店の中へと入って行こうとした。
「お前が風早か?」
翔太郎が尋ねた瞬間、男の三白眼がギロリと睨みつけて来た。
「……何て?」
「お前が風早か?」
男は口元に嘲笑気味の笑みを浮かべてペキンとアップルを見やると、
「帰りィ」
と翔太郎に向かって言った。
「何笑ってんだお前。殺すぞ」
翔太郎の言葉にその男は立ち止まり、
「あはは」
と声に出して笑った。「そない言うたかて君にゃ無理やで」
ペキンとアップルは黙って二人から離れた。今にも、真昼間の往来で激突しかねない空気感が出来上がってしまっている。アップルと違いペキンはそれ程好戦的な男ではない。自分たちに代わってアーバンホールを潰すと言ってのけた翔太郎の横顔に、どちらかと言えば引け目のような気持ちさえ抱いていた。
―――ほんまにこの兄さん、やる気なんか?いきなり現れて何のつもりやねん……。
「ええ格好しな」
男が翔太郎の肩をポンと叩いた。「喧嘩は他所でやり。な?」
入り口に向かってレンガ製の階段を登り始めた男の背中に、
「ベイロン潰したのは俺だぞ」
翔太郎はそう声をかけた。男がまた、立ち止まる。翔太郎は煙草を咥えて火をつけた。
「あとメバルもそう。あ、名張な。ついでに押鐘美央もこっちが押さえてる。さあ、どうすんだ?」
「……はあああ」
男は店の入り口を見上げたまま大きく溜息を吐き出し、再び階段を登り始めた。「ついといでー。オープン前に入れたるのは今日だけやぞー」
ペキンとアップルはお互いを見合って頷いた。だが翔太郎が二人を振り向き、
「お前らは行け」
と言った。「あいつ相当出来るわ、お前らじゃ巻き込まれて終わるだけだしもう帰れ。あとのことはやっとくから」
もちろんペキンとアップルの気持ちは収まらなかった。自分たちだってそもそもこの店と戦争したいわけじゃない。だが、戦う理由ならあるのだ。突然現れた見ず知らずの東京者よりも、はっきりと明確な理由が。
「ほな、お前の骨拾ろたるわ」
とアップルは言う。「東京の、え、どこ。とりあえず銀座に郵送しとく」
思わず翔太郎は吹き出して笑う。「俺、銀座っぽいの?」
「渋谷とか池袋って感じはせーへんな」
「浅草って言う程枯れてへんしな」
アップルとペキンはそう言いながら翔太郎の後ろをついて歩き、三人はアーバンホールの扉をくぐって店の中に入った。
何度かけても美央は電話に出なかった。
無関係の筈だったアサミカオリまで襲われた。美央がこの事件にどこまで関係しているか分からないが、いつまでも上手く飛び回っていられるとも限らない。大人しくしていろと翔太郎にも釘をさされた。本音を言えば翔太郎の部屋で、彼の布団に包まって眠りたい。だが身体がそれを許さなかった。
――― キョーちゃんが死んだ。ニイちゃんと手島さんが襲われた。その上カオリさんまで深い傷を負った。それなのに自分ひとり何もせずにじっとなんかしていられない!
だが、当てがあるわけでもなかった。自分の手で事件を解決できるとも思っていない。エンジンやボーノたちの逃亡先に心当たりがあるわけでもないし、あったとしても何も出来るわけがない。
「……お前ここで何やってる」
気づいた時、誠は病院の廊下を歩いていた。新永と手島が運び込まれた病院である。あれからずっとオリヴィアがついているとは聞いていた。そう言えば一度も様子を見に行けていない、という罪悪感が頭の隅にあった。そのせいだろう。
「……竜二さん?」
誠を見つけて声をかけて来たのは池脇竜二だった。そしてその後ろには、相変わらず汗っかきのヤクザ、三井の姿もある。
「いや、あの、私は」
誠は咄嗟に言い訳を考えた。怒られると思ったのだ。翔太郎にこれ以上関わるなと言われたのだ、彼の友人である竜二からも同様に叱られると。だが、
「良かったな」
と竜二は言った。「俺もほっとしてるよ」
「え?」
「何だよ、聞いてないのか。ニイが意識を取り戻したんだよ」
「本当ですか!?」
「声がでけえよ。ああ、まだ喋れはしないけどな。今さっき顔見て来た。手島さんも大丈夫らしい」
「そ」
そうですか、と言い終える前に誠の腰が抜けた。真下にすとんと座り込んだ彼女の手を、竜二の力強い腕が掴んだ。
「すみません」
「じゃあ何でお前ここにいるんだよ。あ、普通に見舞いか?前から知り合いだったんだよな、ニイと」
「はい」
そこへ、おい、と三井が声をかけて来た。
「押鐘って女はどこだ」
またかよ、と竜二がげんなりした顔で言う。「こいつずっとそればっかりなんだよ。目覚めたばっかりのニイにもそんなこと言うから俺殴りそうになって」
「殴っただろ実際に!」
三井は声を荒げて言うも、初めて会った時よりはいくらか雰囲気が柔らかくなっていた。もっとも、二度目に会った時はテツに殴られ顔面がぼこぼこに腫れて人相が悪かった、というのもあるが。
「実は私も探してて。ずっと携帯にかけてるんですけど、出なくて」
そう答える誠に顔を寄せ、
「なあ」
と三井は聞いた。「あの夜お前ら俺の持ってたバッグからピストル盗んだよな。俺にも落ち度はあった。今更指詰めろなんて言わないからさ、とりあえず返すもん返せよ。したら無かった話にしてやるから」
「し、知りません!」
その話は何度もした。三井のバッグからピストルを抜いたのは美央一人の仕業であり、誠は全く関与していなかった。
「もういいだろ」
と竜二が三井の首根っこを掴んで誠の側から引き離す。「お前がどうしてもって言うから二人の容態見に来たんだろ。まだ満足に喋れる状態じゃないんだから諦めろよ」
「諦められっかよ」
三井は泣き声に近い声で言った。「あれはうちの親父の大事なものなんだ。なんで他のやつに紛れて置かれてたのかわかんねえし見つけた時は俺だって驚いたさ。でもあれだけは失えたら駄目なんだ。あのピストルだけは」
こればっか、と竜二は呆れた顔を誠に向ける。しかし誠は誠で、何となく三井を哀れに思う気持ちも出て来た。もともと罪悪感があったのだ、最初から。
「私は本当に知りませんけど、もし美央に会ったら返すようい言っておきます。というか、ピストルなんて持ってること周りに知られたらそれだけでヤバイですから」
「頼む」
と三井は頭を下げた。「見れば絶対分かると思う。古臭い形の、デカいやつだから」
「はあ」
美央は一体どういうつもりでそんな危なっかしい物に手を出したのか。問い質そうにも連絡はつかず、せっかく新永の意識が戻ったという嬉しい報せだって共有出来ない。
その時だった。
――― セキタン。
呼ばれて振り返った。
「あ」
オリヴィアだった。廊下の曲がり角から顔だけ出してこちらを見ている。なんだよあいつ、と竜二が言うと、オリヴィアは大袈裟に手を振ってから何度も頭を下げた。そして、誠に向かって小さく手招き。どうやら竜二ではなく、誠に用があるらしい。
「どうしたの」
誠が小走りで駆け寄ると、
「見たわよ」
とオリヴィアが教えてくれた。「押鐘美央。この病院に来たわよ。マンタの容態見に来たみたい。話をしたわ」
「本当に!? 今どこ?」
「分かんない。引き留めたんだけど、ちょっと話をしてすぐにどこかって行っちゃったの」
「何を話したの?何か重要なこと言ってた?」
「夢があるって言ってたわ」
「夢……?」
知らない、と誠は思った。美央の口から一度でも、彼女の夢の話など聞いたことがなかった。
「マンタの事は私がなんとかするとも言ってたわ」
「美央が? それってどういう」
誠が疑問を口に出そうとした瞬間、廊下の曲がり角から首だけ出していたオリヴィアの顔が、突如勢いよく向こう側へ引っ込んで消えた。誠は自分が何を見たのか分からず、茫然と何もない空間を見つめた。
「オリ……」
一歩踏み出し、誠が廊下の向こう側を覗き込もうとした時だった。背後から走って来た池脇竜二が誠の前に回り込んだ。
「え」
怖いくらいのスピードだった。例えるならば、ホームベースに滑り込んで来た三塁走者がキャッチャーのグラブをかわすべくスディングするような、何かそういった意味だとか意志を感じる動きだった。だが、誠にはそれが何だか分からない。ただ後ろから竜二が走って来た。それだけだったのだ。
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