西のケダモノ

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西のケダモノ

「何で今なんだよ」  竜二の頭に浮かんで来たのは、それだった。そして竜二の傍らで棒立ちになっていた三井は、美央の姿を見つけた瞬間ぞっとしたそうだ。  三井の口から初めて事情を聞いた時、竜二はこれまでの三井の行動を責めた。チャンスはいくらでもあった、という意味だった。奪われた銃を取り返すチャンスはこれまでに何度もあった筈で、そのチャンスを逃がし続けたお前自身が悪いんだ、と。だが三井は頭を振った。 「探さなきゃ、意外な程近くに現れるんだよ。でも探すとどこにもいない。最初にあの女を見つけたのはメリオスボールだった。けど手島さんからの頼まれごとを優先した結果、こっちの話を切り出す機会は無かった。次に会った時だって、上山に無理やり連れていかれた病院にたまたまあの女がいただけだ。でも俺は善明に失神されられた。……あいつはきっと分かってんだ、全部。自分が上手く立ち回れるルートを完璧に計算出来てんだ。もしそのルートが計算出来なきゃ、きっと俺たちの前には姿を見せない。あいつはそういう女さ」  三井の話には何の根拠もなかった。だから竜二は真に受けなかった。だがもしも三井の話が本当ならば、今この瞬間押鐘美央が現れたのは何故なんだ? 「キャアッ……!」  その逡巡が竜二の一歩を遅らせた。  美央は突進してくる男を見た途端、悲鳴を上げて背を向けた。とこそへ、騒ぎを聞きつけた警備員二人がやって来た。美央は警備員の胸に自ら飛び込み、振り返って男を睨んだ。男は走るのをやめ、立ち止まって竜二を見た。そして誠をじっと見やると、そのまま反転して元来た廊下へ走って消えた。警備員が声を上げて男を追いかける。美央はその様子を心配そうな顔で見送った後、 「ふいーー」  という、変わった溜息を付きつつ右手で胸を一回、二回と撫でた。それはいかにも芝居がかった仕草だった。 「美央!」  誠が叫ぶ。美央は見開いた大きな目で誠を見やり、 「今コレ……全米が震え上がったんじゃない?」  と言って微笑んだ。  昼日中の病院内で暴行事件が起きたのだ。ジョークで済ませられる笑いごとではなかった。オリヴィアには悪いがここで足止め喰らってる暇はない。竜二はそう判断し、日陰者である三井を伴い病院を出た。むろん誠と、そして押鐘美央も一緒にである。 「風早……? それがさっきの男の名前か?」 「ああ、そうだよ」  竜二らは病院近くの喫茶店に身を移した。黒スーツの男が追って来るのではと警戒したが、男は現れず、不審がる店員に案内されて四人は席についた。美央が大人しくついて来たことに対し、三井は少し怯えた顔をしていた。  ――― ピストルは返して欲しい。でもこの女にゃあ関わりたくない。  相反する矛盾に汗をかき、三井はなるべく美央の顔を見ないように努めた。 「どういう奴なんだ、あれ。あれもエンジン一派か?ただの半グレには思えねえけど」  竜二が腕組みしながら言う。両腕にはまだあの男から受けた衝撃が余韻として残っていた。 「元々うちの組にいた奴だ」  と三井は答えた。「元山規組の構成員。街のチンピラとは違う」 「元、山規?」 「ちょっと雰囲気は変わってたけど、間違いない」  「じゃあ何か」  竜二は身を乗り出して言う。「元々お前のお仲間だったヤクザが、お前ら潰したエンジン一派と組んで暴れてるってのか?そんなのありかよ」 「いやそれは」  三井は急にトーンダウンし、視線を泳がせた。「それはよく分からん。あいつがなんであの病院にいて、お前らのツレに危害を加えたのか、その理由は俺にも分からない。けど上山って奴に聞いたぞ、エンジンたちが絡んでるドラッグの件で、お前ら揉めてるんだろ?」 「揉めてるつったって」 「ああ、もちろん上山も俺も納得はしてないさ。ベイロンて男を潰した奴だけ的にかけりゃいいもんを、奴ら、手当たり次第に好き放題やらかしてるもんな」 「翔太郎さんは何も悪くありません」  唐突に誠が割って入った。竜二は驚き言葉の続きを待ったが、それ以上誠が何かを発することはなかった。だが、誠の隣に座って窓の外を見ていた美央が、友人の横顔を見つめて意外そうな表情を浮かべていた。 「け、けどよ」  と三井が言う。「あの風早はもともとうちの親父に覚醒剤を扱うよう進言して首切られてんだ。まだヤクザを続けてるんなら、ベイロンとつるんでいてもおかしかない。そのベイロンをやったのが、お前の言う翔太郎って奴だろ。そうなりゃもう……」  物的証拠を示せない、不確かな推測ではあった。だがあの男が本当にベイロンとつながっているなら、病院に現れた理由としては筋が通る。狙いは新永、及びその関係者、つまり翔太郎や竜二たち全員である。 「報復……か」  その竜二が呟くように言った。「おい」  そして竜二の目が美央を見据えた。 「あら……池脇さんたら、まるで人でも殺したそうな目ですよ?」  応じる美央に、 「メバルから話を聞いたぞ」  と竜二は言った。「まさか元山規だとは思わなかったが、メバルを嵌めて引き込んだのがあの風早って野郎か?」 「さあ」 「お前メバルに忠告したらしいじゃねえか。騙されてるぞって。あれが本当に元山規の風早だってんなら、お前を見て襲い掛かった理由も分かりそうなもんだぜ」 「さあ」 「ふてえ野郎だなあ、全くお前って奴は」 「池脇さん私女の子なんです。太いも野郎も当て嵌まりませんよ」 「一体何がしたい。なんで義務教育も終わってねえお前みたいな奴がテメエでドラッグ売買なんかに首突っ込んだんだ」 「さあー」 「え、じゃあ」  三井は驚き、竜二と美央の間で視線を走らせた。やっぱりあの噂は本当だったのか……! 「美央。何で」  当然、誠にとっても理解しがたい話だった。いつ、どこで、自分達の世界がずれてしまったのかそれさえも分からない。エンジンたちのような不良とつるんでいる事自体不思議なくらい、何でも一人でやってのける子だった。自分のことが大好きで、自分さえよければ後は何だっていい、そういうある種の軽薄さが誠にとっては心地よかったのだ。ただし、自分が傷つくような下手な立ち回りだけはしない子だと思っていた。それとも最初から、美央の見ていた世界と誠の見ている世界は全然違ったのだろうか。 「今更言い逃れしたって始まらねえぜ」  と竜二が言う。「翔太郎が大阪まで風早に会いに行ったぞ。一足違いだったわけだ。まさか目当ての野郎がこっちに現れるなんて皮肉だな。うちの爆弾小僧がいない時に限って大本命が目の前に、ねえ」  竜二の言葉に、誠と美央が同時に顔を突き出した。 「あ、会いに行った?」  信じられない、という顔で美央が呟く。 「翔太郎さんが、何で……?」  誠の問いに、 「美央が自分で言ってた通りさ。結局一つに繋がってんだろ」  竜二が答える。「テツの従妹を食い物にしたベイロンのドラッグも、その上にいたエンジンも、ドラッグをこっちへ持って来た風早も。そいつらがニイを潰し、手島さんに怪我を負わせ、カオリを酷い目に合わせた。それが分かってて動かねえ奴じゃねえさ、翔太郎は。それに、この答えに先に辿り着いていたら、俺でも大成でもアキラでもイの一番にそうする」 「し、素人がどうこう出来る話じゃねえって」  上擦る声で三井は言うも、隣に座る男の気配がどうにもその素人には思えなかった。何だこいつ……何だよこいつら、何食ったらこんなおっかない人間が三人も四人も出来上がるんだ? 「ち、違う」  と、そう言ったのは美央だった。「か……あ、あの男は大阪になんていない」  竜二の顔が曇る。 「風早か?じゃあ」 「お、大阪にいるのは」 「いるのは?」 「……ケダモノ」 「え、待って」  翔太郎は素でそう尋ねていた。「こいつ風早じゃないの?」  翔太郎の目が答えを求めて振り返った。そこにいたのは背後からペキンの首を絞めていた三十代くらいの男である。男は翔太郎と目があった瞬間、呆気に取られて緩んでいた腕にまた力をこめ、 「ぐう」  とペキンが白目を剥くまで締め上げた。 「そいつは関係ない奴だから離せ」 「そんなわけあるかボケ。人ん家上がり込んで無茶くちゃしよってからに。お前一体何なんじゃ!」  そう吼える男の目が、廊下に立って入り口への経路を塞いでいるもう一人の仲間を確認した。翔太郎は気付いていたがあえてそちらを見なかった。 「質問に質問で返すなよ。まずそのちょび髭を離せって。それからこのパーカーが誰なのか答えろ」  あ、煙草切れた、と言って翔太郎はうつ伏せに倒れているのポケットから煙草を箱ごと失敬した。 「あったあった、うわ、赤ラークだ、くせーんだこれ」  人の物を勝手に拝借しおいてこの言い草である。「こいつ松本っていうのか。じゃあ風早はどこなんだよ、お前か?そっちの隠れてる奴か?」 「お前」  ペキンの背後に立つ男が腕の力を緩めた。げほげほと咳き込みながらペキンがその場でしゃがみ、四つん這いになった。背後の男はそんなペキンの尻を蹴り上げ、 「ぶち殺したろかワレェッ!」  とドスの聞いたヤクザまがいの声を上げた。いや、ヤクザなのかもしれない。 「うるせえなあ、じゃあもういいや」  翔太郎は口に咥えたばかりの煙草を抜き取り、そのままぐしゃりと握り潰した。「お前が風早ってことでいいな?」
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