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第11話 将校戦隊
昭和19年6月。
小笠原諸島の硫黄島に 栗林忠道陸軍中将 が赴任してきた。
現代日本よりの戦力提供で元々本部があった父島ではなく、滑走路を
建設するために硫黄島を拠点としたのである。
史実では島自体を要塞化してあちこちにトンネルを建設し米軍を
大いに苦しめたが、現代日本の戦力提供により上陸自体を阻止する
方針に変更されていた。
まず、滑走路の建設が行われた。
滑走路は3000mという当時としてはかなり長めのもので
コンクリート舗装されたりっぱな滑走路が建設された。
次に摺鉢山。
山頂にレーダー施設が建設され、それらに給電するための
発電設備も建設された。
硫黄島では飲用水のための井戸を掘るとその水が硫黄臭く、腹痛を
訴える者が多かったので現代日本より浄水フィルターが提供された。
昭和19年11月下旬。
この地に現代日本より提供されたF1戦闘機 5機 が飛来した。
更に無人偵察機 グローバルホーク1機も飛来した。
そして80式空対艦誘導弾50発が船便で送り届けられた。
これらを収容するための丈夫なコンクリート製格納庫がすでに
用意されていた。
この戦力で硫黄島に上陸する前の米艦隊を無力化しようというのだ。
更に硫黄島周辺の制空のため、フィリピンへの派遣が中止された
陸軍第11飛行戦隊もやってきた。保有機は四式戦闘機 甲型である。
ベテランぞろいの飛行戦隊なのだが、現代日本のF1戦闘機隊は
その上をいっていた。
隊長の岩淵1佐から残り4名のパイロット全員が2佐で
平均年齢は40歳を超えていた。
戦時日本軍もこれには驚き「将校戦隊」などと呼ぶようになった。
つまり、古い機体であるF1を飛ばすとなると若いパイロットでは
操縦経験自体がないのでこのような人選になるのである。
F1戦闘機にはデータリンクシステムが搭載されていなかったので
今回の作戦実行の為、各機には専用コンソールが追加されている。
低予算で追加するため、コンソールは「iPad」であった。
もっともF1登場時点でのコックピット電子機器よりこちらの方が
はるかに高性能である。
海軍からロ(呂)号潜水艦5隻が派遣される事になり、隣の父島に
上空からは分からないようなカモフラージュをほどこされた
専用港が建設された。
ロ号潜水艦はイ号潜水艦と比べて小型(ドイツのUボートクラス)
で太平洋での艦隊運用は考えてられていない潜水艦である。
ロ号潜水艦には現代日本より提供された民間の船舶用レーダーに
対水圧カバーが追加されたものが取り付けられた。
昭和19年12月になると米軍は上陸準備のため連日、爆撃機B-24
による空爆を仕掛けて来た。
これに対してF1戦闘機は秘匿され、第11戦隊が迎撃を行った。
破壊力5割増しの銃弾のお陰で対戦闘機用の機体である
四式戦闘機 甲型でも撃墜率3割を誇り、空爆も妨害して硫黄島の
施設に大きな被害は出なかった。
太平洋での空爆任務で帰還率が下がると兵士の志気に関わるため
米軍では爆撃機の進路(テニアン~硫黄島)には救助用に潜水艦を
配置した。
間接的ではあるがこれで日本のシーレーン上の米潜水艦数が減少し
シーレーン防衛に貢献した。
昭和20年1月。
硫黄島に近い海域を航行していた米艦隊が深夜、謎の攻撃を受け
戦艦1隻、小型空母3隻、駆逐艦5隻が相次いで撃沈された。
攻撃が夜間であったため、米軍側では何の攻撃か分からなかったが、
戦艦には2発の爆弾が機関部に命中した事で水蒸気爆発を起こし轟沈。
小型空母、駆逐艦にはそれぞれ1発の爆弾が命中し、
いずれも30分以内に沈没していた。
この攻撃はグローバルホークに導かれたF1戦闘機部隊から放たれた
各機2発ずつ、計10発の80式空対艦誘導弾によるものであった。
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