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第15話 大和の使い方
史実ではトラック諸島に8か月も停泊を続け、「大和ホテル」と称された
戦艦 大和の運用について戦時日本と現代日本とで話し合いがもたれた。
最初、大和を中心とした艦隊をオーストラリア シドニー港に突入させて
オーストラリアと和平を結ぶ作戦が検討されたが、補給等の問題で却下
された。
次にガダルカナル方面に突入して米軍が駐留する飛行場や上陸資材が残る
海岸付近を艦砲射撃する事が検討されたが、日本の早期撤退ですでに
海兵隊は引き上げており、敵に与える損害が少ないという理由で
却下された。
最後に、大和と空母2隻、駆逐艦6隻による艦隊を構成して行う
作戦案が現代日本より提案された。 その内容とは
空母に艦載する機種はシーレーン防衛と同様に全機、戦闘機とする。
駆逐艦には対潜防御に徹してもらう。
これは要するに戦艦大和を「おとり」として敵艦載機を呼び込んで
それを艦上戦闘機で一掃するという敵空母ではなく敵艦載機撲滅を
目的とするものであった。
大本営ではあまりに突拍子もない作戦に最初、だれも賛成とは
言わなかったが、艦載機のパイロット育成に必要な年月などの資料を
提出してもらい、米国の生産力なら空母や航空機は大量生産されるが
パイロット育成は必ず一定の時間が必要な事を理解してもらった。
大和に随伴する空母は 瑞鶴 及び 飛鷹 が選定された。
搭載される戦闘機は量産が始まっていた 烈風 及び ゼロ戦52型 だが
烈風は防空任務優先だったので7割はゼロ戦であった。
空母2隻に搭載される戦闘機は合計90機におよんだ。戦闘機は攻撃機
に比べて小ぶりなので結構な数が艦載できる。
艦隊全てに現代日本より民間用航空レーダーが提供され装備された。
また、2隻の空母にはそれぞれ、偵察機「彩雲」が3機ずつ艦載され
日中は常時、偵察飛行が行われた。この彩雲にも現代日本より
小型レーダーが提供されていたので、ちょっとした「早期警戒機」
として運用されるようになった。
マリアナ沖海戦の後、大和艦隊は南シナ海を遊弋するようになり
時折、米艦隊との遭遇戦があった。
米機動部隊では全く現れない日本軍の攻撃機と、帰還してくる味方機
の少なさや、帰還してきた機も満身創痍のものが多い事にこれまでとは
何かが違うと感じていた。
大和艦隊に向かった攻撃部隊は日本の戦闘機隊の波状攻撃を受けて
急降下爆撃隊は大和や空母上空にたどり着くことすら出来なかった。
雷撃は遠距離で投下する機体だらけで、ほとんど脅威にならない上に
魚雷投下後も狙われた。
米護衛戦闘機はほとんどがF6Fヘルキャットだったが、この相手は
烈風が優先対応し、新型機の強力なエンジン、武装(20mm機銃4門)
そして優れた防弾性能で敵を圧倒した。
パイロットの消耗はボディブローのように米海軍の戦力を少しずつだが
削っていく事になった。
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