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第38話 タ弾の威力
昭和20年7月初頭。
日本各地に少数のB-29による大型爆弾の空爆が行われた。
大都市圏は振武隊などの堅い守りがあったが、地方都市では空爆を
許してしまう守りの弱い地域があった。
投下された爆弾は大型のものが1発で投下された場所には
大きなクレーターが出来た。
実はこの空爆は原爆投下の予行演習だった。投下された大型爆弾は
史実で長崎に投下されたプルトニウム爆縮型原爆「通称:ファットマン」
と全く同じ形、大きさ、重さの通常爆弾だった。
史実で広島に投下されたウラニウム濃縮型原爆「通称:リトルボーイ」は
ウラン濃縮という面倒な工程があるため、量産には不向きで米国では
量産するのは最初からプルトニウム爆縮型と決まっていた。
ニューメキシコ州・アラモゴード砂漠で行われた核実験も
プルトニウム爆縮型である。
つまり、広島に落とされた原爆は核実験も行われず、量産予定もなく
本当にデモンストレーションの意味しか無かった事になる。
同じ頃、日本国内で仁科芳雄博士が細々と行っていた原爆開発
通称「ニ号研究」もウラン濃縮型だった。
再び東京に対するB-29による空爆が行われようとしていた。
空爆担当のB-29の周りと中央には護衛戦闘機P-80が編隊を組んで
守りを固めていた。
敵機来襲の知らせで迎撃に上がった第25・26・27振武隊は
敵編隊の飛行高度6000mより1000m高い位置まで上昇し
敵編隊と対峙する形で突入した。
この迎撃は「タ弾」を使用する初めての戦闘となった。
振武隊各機は爆弾の散布面積を広げる為、渡り鳥がするような逆V字型
の編隊を組んで飛行していた。
隊長の加藤少佐「全機、私の投弾に合わせて投弾せよ!」
最初に第25振武隊の攻撃が開始された。
各機にはそれぞれ2発の「タ弾」が搭載されていた。目標と交差する
30秒前に投弾が開始され2発は2秒の間隔で時間差投弾が行われた。
投弾を終えた機はそのまま高度を維持しながら敵編隊と離れて行った。
投下された「タ弾」はB-29の編隊の約3m上空で近接信管が作動し
次々炸裂して小型爆弾を放出した。
そして放出された子爆弾は放出後1秒以内に爆発し、至近でそれを受けた
B-29は次々と落ちて行った。
第25振武隊の攻撃だけで21機のB-29及び4機のP-80が
撃墜された。
この攻撃は26・27振武隊と続き、3戦隊により56機のB-29と
12機のP-80が撃墜されていた。
「タ弾」による迎撃の結果は隊員達の訓練の成果と
史実では存在していなかったB-29の上空を飛行できるターボパワー
そして近接信管による結果であった。
テニアンの基地ではB-29の搭乗員で搭乗拒否する者が出ていた。
確率だと7回出撃で撃墜される計算だったが、任務解放は10回出撃
だったので、日本に飛んでいけば待っているのは「必ずの死」という
恐ろしい結末に米兵達の士気は最低になっていた。
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