28人が本棚に入れています
本棚に追加
第39話 戦いの終わり
昭和20年7月中旬
日米間で話し合いの場がイギリスの仲介によりシンガポールで始まった。
史実では日本は連合軍に無条件降伏したが、現代日本の介入により
様々なリスクを回避できた今の日本は連合軍に対して降伏ではなく
終戦が主張出来るようになっていた。つまり戦争に負けるのではなく
戦争を止めるに変化していた。
話し合いの中で米国は日本が所有する領土の解放、軍事技術の公開
および、日本本土の一部を米軍に割譲する事を求めてきた。
やがて話し合いの骨子として以下の事が両国間で決定した。
日本の領土解放は
・台湾
・朝鮮半島
・満州
までとする。
軍事技術の公開は日本側が決めたものに限る。
日本領土で以下の地域を50年間、米軍に貸し出す。
・沖縄の一部
・横須賀の一部
・青森県三沢の一部
以上で金銭的な支払いは一切発生しない条件で終戦する事が決まった。
終戦の日は7月31日とし、その日以降米軍の日本入国が認められる事
となった。
日本軍は一旦、解体される事となり、代わりに国防軍が設立される事と
なった。
また、憲法は日本人有識者のみにより再構成された日本国憲法が新たに
発布される事となった。
F2戦闘機は一部解体して現代日本に送り返すことになった。
それ以外で現代より持ってきたF1戦闘機やミサイル類などの兵器は
全て海没処分される事となり、これらは全て米軍の進駐前に完了させる
事になった。
結局、ソビエト軍が侵攻する前に終戦を迎えたおかげで北方領土問題は
起きなかった。また、
沖縄は一部地域を米軍に50年割譲するだけで日本国のままとなった。
朝鮮半島は日本陸軍の軍人であった朴 正煕氏に一任する事が決定され
米国が推す李承晩氏が大統領になることは無かった。これによりその後に
行われるはずだった反日教育は行われず、李承晩ラインも生まれないので
竹島問題は起きなかった。
これらにより、「慰安婦問題」「徴用工問題」なども起きない事になる。
尖閣諸島には日本国防軍の監視所が設置される事になり、将来中国との
間で起こる領土問題は起きないことになった。
無条件降伏ではないので多くの日本人は誇りある終戦を迎える事が出来、
米国によって植え付けられる「全部日本が悪い」という「自虐史観」も
植え付けられなかった。
米国により入獄していた共産主義者が日産自動車に送り込まれることも
無かったので組合の力は他の企業と変わらないものになった。
そもそも東京裁判が開かれなかったので「南京大虐殺」などの話も
出てこなかった。
現代日本の介入により様々な不幸が阻止された。
特攻作戦で多くの若者が命を落とす事なく、また被害は出たが日本各地
が焦土化する事もなく、なにより原爆投下が行われず戦争を
終わらすことが出来たのが日本にとっての最大の福音だった。
現代日本からやって来た様々なジャンルのエンジニア達のノウハウは
戦後日本の成長に非常に大きな影響を与えた。
航空産業では中島飛行機が解体されなかったので、戦後大型機製造に
特化して米ボーイング社やダグラス社などにとって強力なライバルと
なった。
また丁度転換期であったジェットエンジンは国内での開発が続行でき、
石川島重工が播磨造船所と合併して石川島播磨重工となった後も
ジェットエンジンの開発は順調に進み、大型旅客機のエンジン3強
・米 プラットアンドホイットニー
・米 ジェネラルエレクトリック
・英 ロールスロイス
に続く4強目のジェットエンジンメーカーとなった。
この時代にエンジン開発が中断されずに済んだ事は大きい。
それはドイツの状況を見ると良く分かる。いち早くジェット戦闘機を開発
した国だが敗戦により様々なものの開発が中止されたり、
優秀なエンジニアが次々他国に引き抜かれそれらの産業は発展して
いない。
こうして日本が工業立国になるのは史実より10年以上早く訪れる事
となる。
最初のコメントを投稿しよう!