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第5話 誉 改 の誕生
防空の為、以下のものが現代日本より提供された。
・船舶用排気タービン装置 1000セット
・ガソリンオクタン価向上用添加剤 ドラム缶1000本
・弾薬薬莢製造用の金属材料 薬莢で500万発分
・カーボンシート 1000m
・近接信管用半導体セット 1万セット
船舶用排気タービン装置は戦時日本で使われている航空機用星形エンジン
に使えるものを現代日本で探した結果である。
最初のタービン装置は中島飛行機に運ばれ、開発中であったエンジン
陸軍名 ハ45
海軍名 誉
に排気タービンとして装備されることとなり、中島と現代日本より
派遣された技術者達でエンジンの改造が行われた。
やがて排気タービン装備の新型エンジン
陸軍名 ハ155
海軍名 誉改
が誕生した。
戦時日本では調達が難しい100オクタンを要求するこのエンジンに
現代日本から提供された添加剤をガソリンに混合する事により
高度9000mで1700馬力を出力できる夢のエンジンが完成した。
陸軍の指示で中島飛行機では急遽この新型エンジン装備の
キ84(四式戦闘機)改
が計画され、のちに高高度迎撃機として登場する事となる。
これはドイツ空軍でフォッケウルフFw190を高高度戦闘機Ta152
に発展させた歴史と似ている。
このキ84改は高高度における運動性向上のため
主翼を左右50cm延長し、プロペラ直径も3mから3.7mとなった。
現代日本より派遣された技術者により戦時日本で製作可能な機器と方法
によるカーボンシートの加工が考案された。
操縦席の側面及び底面、主翼燃料タンクにこのカーボンシートによる
防弾が施される事となり、12.7mm弾であればほぼ完全に防弾
できるようになった。
主翼に搭載された20mm機関砲(ホ5)銃弾用の弾頭と薬きょうが
現代日本より提供された特殊銅合金と現代日本から派遣された
金型技術者によりプレスによる深絞り加工
(鉛筆などの金属キャップのイメージです)
で製作できるようになった。
当時この技術を持っていたのは世界でドイツだけである。
それまで戦時日本では真鍮を削って薬きょうを製作していたが、
加工方法の変更で封入される火薬量が増えて機関砲はそのままで
破壊力は5割増しとなった。
20mm弾は榴弾なので敵機に命中すると命中した入口側は小さい穴
でも貫通すると出口側では直径10cm以上の穴になった。
この新しい銃弾は対爆撃機任務に就く機体に装備される事になった。
三菱にも現代日本よりベテラン航空技術者が派遣され、難航していた
十七試艦上戦闘機 烈風
の開発が一気に進み、実用化の目途がついた。
また、エンジンは誉改が搭載される事となり、高高度迎撃にも
対応できる事になった。
防弾も中島に習い、ゼロ戦では全くなかった防弾が烈風には装備された。
更に期待された戦果をあげられなかった
特殊防空戦闘機 キ109
が現代日本から提供された排気タービンが搭載されることで完全な
実用迎撃機となった。
この機体は四式重爆撃機 飛龍 をベースに、口径75mm高射砲を
1門装備したB29キラーとして開発されたものなのだが、
高高度でのエンジン性能不足で活躍できなかった機体である。
更にパワーだけではなく15発搭載される75mm砲弾には
現代日本より提供された近接信管がセットされた。
(近接信管は命中しなくても近くを通過するだけで炸裂する)
こうして敵にしてみたら恐ろしい機体となって生まれ変わる事になる。
三菱でこの切り札が40機生産されることになった。
そして、何より一番重要な高高度迎撃の任に就く搭乗員の育成が
陸海軍問わず全国規模ですすめられた。
本来であれば特攻訓練に赴いたであろう若者達は全員、
高高度迎撃の訓練に明け暮れるようになる。
隊員達の訓練開始時はまだ高高度戦闘機が完成していなかったので中高度(6000m程度)にて大型機を対象とした迎撃訓練が繰り返し行われた。
訓練は昭和18年10月頃から本格化し、陸軍では防空部隊に
振武隊
の隊名が与えられた。
振武隊は元々陸軍の特攻部隊の隊名だったが、特攻作戦が全て中止となり
隊員は皆、防空任務に就くことになった。
その年のうちに内地には防空専門の振武隊が20以上誕生していた。
海軍では内地にあった海軍航空隊基地全てが防空部隊となった。
そしてガダルカナル方面の作戦縮小に伴い、南方ラバウルから多くの
ベテランパイロットが内地に戻ってきた。
彼らは実戦を知る教官として若手搭乗員の良き指導者となった。
また、この中から烈風のテストパイロットも選ばれることになった。
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