第6話 シーレーンを守れ

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第6話 シーレーンを守れ

戦時日本では軽視されていたシーレーン防衛のため以下の機材が提供された。 ・海上自衛隊より68式324mm 3連装短魚雷発射管 16セット ・上記用の マーク44短魚雷60本(すべてリストア品) ・一般の航海用レーダー 100セット ・民間規格の航空レーダー 50セット ・漁業用水平ソナー 30セット ・144MHzデジタル短波無線機 1000セット インドネシア スマトラ島南部にあるパレンバン油田より貴重な石油を 安全に輸送するため、戦時日本にはなかった綿密なシーレーン防衛が 計画された。 主に米潜水艦の脅威から輸送船団を守るため、帝国海軍と交渉の末 この海上ルートには常時、駆逐艦16隻を配置することになった。 これの実現の為、ガダルカナル方面は全面撤退することが決定された。 結果としてガダルカナルの悲劇も最小限で済むことになった。 またラバウルに展開していた海軍航空機部隊は約半数が内地へ 戻っていった。 この中には ゼロ戦虎徹 こと最強のゼロ戦パイロットである 岩本徹三中尉(当時は兵曹長)も含まれており、若手搭乗員の育成に 手腕を発揮することになる。 レーダーは民間用でソナーも現代日本では漁業で使われるものなのだが この時代の潜水艦探知には無くてはならないものとなった。 いわゆる「魚探」は船の真下しか探知できないが水平ソナーは 探知角度の調整で周辺海域をより広くか、より深くを探知することが 出来る。 こういった探査機器は夜間でも使えるため、特に夜間安心して浮上して 来た敵潜水艦の発見に大いに役立った。 また、マーク44短魚雷は現代日本では旧式化したものなのだが、 ピンガー自動追尾(ピーンという音を出しながら反射する物に向かう) 誘導兵器であり有効射程内で放てば高確率で命中する。このため 当時、潜水艦攻撃の主流であった爆雷よりはるかに効果があった。 マーク44短魚雷を搭載する艦ではむしろ爆雷は警告用爆雷と 呼ばれる音は大きいが破壊力は小さいものが使われた。 これは魚雷攻撃する前に敵味方識別の為に使われるもので 味方の潜水艦であればこの音ですぐに浮上して来るが 浮上してこなければ敵潜と判断された。 こうしてシーレーンには常時16艦以上の駆逐艦が目を光らせること になった。 そして外地と内地を結ぶ輸送船は英海軍がUボート対策で行ったのと 同じように船団を構成するようになった。 船通しの通信には発光信号以外に現在日本より提供された 144MHzデジタル無線機(モービル用)が使われた。 現代日本では主にアマチュア無線家が車に搭載して使うものだが 当時この周波数は使われておらず、デジタル通信なので仮に 傍受しても当時の無線機器では意味のある音にならない。 従ってこの無線機を使う通信では暗号は一切必要なかった。 短波帯の周波数なので遠くには届かないが、船団内の通信では全く 問題なく、クリアな音声(声で個人が識別できる)で好評だった。 また、空からの脅威に対して最上型巡洋艦、3艦 鈴谷 (すずや) 熊野 (くまの) やや遅れて 伊吹 (いぶき) が空母に改造されシーレーン防衛の為運用されることになった。 艦載されるのは全て戦闘機というそれまでの日本海軍にはない編成だが 敵空母を沈めるのではなく、輸送船団を守ることを主任務とするため このようになった。 巡洋艦改造なので搭載機数は27機と少なめだが、船団にとっては 頼もしい守り神であった。 艦艇を航空攻撃から守るのに最適なのは迎撃機なのである。 護衛時は船団上空を日中常時、2個小隊(6機)が飛行した。 現代日本より提供された航空レーダーと、戦時日本で新たに開発された 八木宇田式レーダー とその情報を現代日本の無線機で迎撃機に指示することにより 敵機来襲時は迅速な対応も出来るようになった。 結果としてこれらの空母に守られる船団に、敵機は近づけないように なった。 潜水艦の安否確認は定時連絡しかない。 米海軍では太平洋に派遣した潜水艦からの定時連絡が少なくなって 行く事実にやがて気付くようになる。 定時連絡が無くなる事は撃沈、降伏、無線機の故障のいずれか となるのだが連絡が無くなった潜水艦が時が経っても帰港しない事 から日本軍により撃沈、又は降伏したと判断された。 しかし、なぜ潜水艦の被害が増えたのかは米海軍では最後まで 分からなかった。 シーレーン防衛は石油の調達だけではなく、人員を含めた 全ての輸送の安全に大きく貢献した。 これらの事実は大本営も認めざる終えない事であった。
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