都橋探偵事情『莫連』

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「急がなくちゃならないな。先ず大家だ、契約人を突き止めてすぐに行動しよう」  二人は冷めたコーヒーを飲みほして煙幕の喫茶樹里を出た。    牛坂下公園から小道一本挟んで石川町の諏訪神社がある。都合に合わせて公園と神社で昨日まで半年間物乞いをしていた。肉体労働も我慢すれば続いたかもしれない。しかし最下層にまで落ちて来た弱者の溜まり場である寿にも上下関係が発生している。身を落した者同士、支え合って生きていけると信じていた高田に取って、身を休める場ではなかった。どんなにレベルが下がろうと、そこにほんの僅かな力の差があるだけでそれが上下関係に発展する。それは表舞台から退くときに自分自身が感じたものを、誰かに対して同じ態度で接していることになる。高田は死ぬまでこの関係から逃れられる場所はないと諦めていた。しかし昨日探偵から声を掛けられた。犬探しを手伝わないかと誘われた。その日のうちに事務所に連れて行かれ、ここを勝手に使えと鍵まで渡された。高田はこの手の男に初めて遭遇した。一対一、人対人、男対男、都合で繕っているものじゃない、自然と形成された偽りのない価値観が高田を目覚めさせた。諏訪公園のいつもいた位置に座った。 「あんたおこもさんだろ?」  菓子や握り飯を分けてくれた老婆が高田に寄って来た。決して裕福な家庭ではないだろう。 「おばあちゃん分かるの?」 「あたしにゃ分かるさ、全然変わらないよ、上っ面を変えただけだ」  高田の隣に座った。 「今朝方見に来たらあんたがいないからどうしたのかなと思ったよ。そうかい仕事に就いたのかい、そりゃよかった」  高田は自分のことをこんなに心配してくれていることに胸が詰まった。半年間の礼も考えずにここに座ったことを恥じた。 「おばあちゃんありがとう」
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