都橋探偵事情『莫連』

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 所謂土地成金、確かに夫人の言葉に一理ある。金を手にして鍬を捨てた。それがいいか悪いか決めるのは自分自身である。還暦を過ぎたあたりから幸福を観念するようになる。鍬を持って貧しくとも終生働き続けることが幸福の原点ではないかと思うようになる。金さえあれば幸福な生活が営めると言うところから外れて来る。多田も今年還暦を迎え坂出夫人の言葉が身に沁みた。 「お邪魔したのは尻手の坂出荘のことです。年内に取り壊しされると聞きまして居住者の確認をしたい。それで伺いました」  老婆に刺の無いようやさしく伝えた。 「現在二所帯が普通契約をしております」 「はい、存じあげています、102の佐々木様と203の吉田様ですね、他にはおりませんか?短期契約か何か、またはご親戚が出張等でご利用されているとか?」  多田は並木の情報を受け継いでいる。坂出夫人は短期契約は表に出していない。もしかしたらそれを嗅ぎ付けて調べているのかもしれないと思った。 「ご心配なさらないでください、我々は税務とは全く関係ありませんから。私も学生に間借りをさせています、申告はしていません」  多田は安心させるために嘘を吐いた。 「実は短期、今年中ならとご理解いただいた上で契約しお貸ししています。十六戸のアパートで十四戸を借り上げたいとご希望でした。うちとしては勿怪の幸い、お小遣い稼ぎと言っては何ですが甘く考えていました。申し訳ございません」 「いいんですよそんなこと、税務署糞くらえ。ただうちとしては犯罪があった時にどこに誰が住んでいるか、それが短期でも把握しておかないとなりませんで、出来たらその短期契約をされている方をご紹介いただければ助かります」 「富山の薬売りさんです。安価な仮居住先を探していて坂出荘に辿り着いた。短期ですから一室を通常の七割でお貸ししました。部屋代は二か月分を前金でいただいております」 「そうですか富山の薬売りですか」  多田はスリ集団が薬売りに姿を変えて隠れ蓑にしていると考えた。。
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