都橋探偵事情『莫連』

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「ちなみにご契約された方はどなたでしょうか?」  坂出夫人は契約した領収証を持ち出してきた。 「富山茂三?お幾つぐらいの方ですか?」 「まだお若い方です。三十前でしょうか」 「ちなみに何人入居されるとか聞いていますか?」 「部屋貸しですので詳しいことはお伺いしておりません」 「ありがとうございます。お手数かけました。大家さん、この話、坂出荘の棚子にはこれで」  多田が『シーッ』と人差し指を口に当てて笑った。坂出夫人も表に出されては面倒と頷いた。  徳田は天王町の水道局出張所に来ていた。平沼当たりの検針員はこの出張所からそれぞれの持ち場に出向くと水道局に確認した。出て来た、あの女だ。手には藤の籠を提げている。今年の九月で廃止になる市電1系統に乗り込んだ。手前の席に座り籠を膝の上に置いた。器用に籠の中で編み物を始めた。糸は水色に見えた。吉野町三丁目で下車する。13系統に乗り換えた。終点の葦名橋で下車。徳田はずっと新聞を読んでいる。磯子旧道を歩き八百屋で買い物。自宅は病院の裏手の四階建て集合住宅、ここなら根岸線磯子駅まで徒歩で問題ない。女は階段を上がり三階の廊下を歩いている。ベルは押さずに解錠している。水島悟を最後に目撃したのは東神奈川駅から根岸線下りに乗ったところまで、やはり行先はこの女の住まいに間違いないだろう。徳田は煙草を一本吸い終えるまで道路を挟んだ場所で待機している。吸い終え玄関ポストを確認する。女の入った位置からして305号室。相馬と性だけ差し込んである。周囲を確認してカメラに収めた。ベランダ側には戸建てが並んでいるので立ち入れない。病院の外階段の三階踊り場からソフトを取って覗いた。洗濯物が干してある。もう18:00.を回った。この時間まで干してあると言うことは取り込む人がいない、恐らく一人暮らしだと想像出来る。窓が閉まりカーテンが引かれた。徳田は階段を下りた。今日はこれで動きがないだろう、徳田は事務所に戻った。  ドアの前に立つといい匂いがする。ノックする。
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