都橋探偵事情『莫連』

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「パンパンじゃなきゃどうして宿に連れ込んだんです」  中西の頭には被疑者は娼婦以外になかった。 「分からん、もう一度整理してからにしよう」   多田の頭に怨恨と言う線が浮かんだ。しかし二人に話すのは尚早と感じた。明日の十時に待ち合わせをして別れた。  石川町駅は朝の通勤ラッシュが終えていた。平日とあって中華街への観光客と元町でのショッピング客がまばらに交差する。徳田は水島夫妻からの依頼で長男の悟を捜していた。特徴は自分と同じくらいの背格好、水色のセーターに黒のズボン。齢は二十一、家を出る時は長髪で首が見えない程度。その他にこれといって特徴はない。所持金は千円程度だからもう使い果たしているだろう。恐ろしいのは登山ナイフを所持していることだ。高校生の時は母親に暴力を振るっていた。最近はないが出て行くときの目がその時に戻っていたと母親の話である。徳田は三時間ほど人の流れを見つめることにした。両親が駅で見たと言うのは電車を利用して来たのか、それともこの辺りに住処があるのかどうか。寿なら安宿がいくらでもあるし、飯場も紹介してくれる。ただし働く気があればの話である。高校出てから閉じ籠りの男が土方や港湾のきつい作業など務まるわけがない。しかし何らかの糧を得なければ食うに困るわけだ。ラークが切れたがキオスクでは置いていない。駅前の煙草屋まで買いに出た。 「ラーク三つ。おばさん、こんな男見たことない?」  煙草屋の夫人に訊ねる。 「ごめんねー」  と頭を下げられた。それから張り込みを続けたが水色のセーター姿には一人も会えなかった。回数券を購入して駅構内に入る。ベンチに座り込んだ。上下線合わせて三十本をやり過ごした。徳田は改札を出た。学生達の下校の時刻。山手のお嬢様達が続々と駅に入って来る。浮浪者が存在感を露わにして改札の前で立ち止まった。徳田が笑うと笑い返した。ラークを差し出した。咥えたので徳田が火を点けた。 「よかったらどうだい」  口の開けたラークを箱ごと差し出した。残り十本はある。受け取って襤褸の中にしまった。
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