都橋探偵事情『莫連』

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 そして二年後に悲しみから立ち直れずに離婚した。夫がスリ被害に遭わなければ子供は助かったかもしれない。その一年後相馬紀子は痴漢冤罪を訴える男が自殺した記事を新聞で読んだ。告別式に訪れ、自分の過去を明かした上で喪主と話す機会を得た。するとやはり札入れを掏られ、故人は冤罪を訴えていたらしい。しかし下着を露わにした被害者とその周りにいた勤め人の男達に取り押さえらえたことで弁解の余地なしとされた。冤罪であってもそこに名が乗っただけで痴漢のレッテルが貼られ全ての付き合いが破綻した。被害届は出されなかったものの、既に立ち直る機会は失われてしまったのである。紀子は自分の夫と重ねた。そしてその復讐を誓ったのである。この女は相川瑞恵三十四歳、紀子より一つ上である。細身で背が高く端正な顔立ちの女である。三歳の男の子がいるが死んだ夫の実家に引き取られた。そして二人の夫が被害にあった通勤電車でその女を捜し続けた。そして今年の正月明けの通勤ラッシュ時にとうとう捜し当てた。女が札入れを掏り隣の男の革鞄に落とし込んだ。女は改札を抜け男は乗り換えた。男を追って声を掛けた。 「あんた、その鞄に掏った札入れがあるだろ。あたし見たんだよ。ほら、この名刺が掏られたボンクラさ。あんたから札入れ取り返せば中身の半分がもらえる。さもなくば警察に訴えるよ」  紀子は他人の名刺を引き合いに出して脅した。 「返せばいいのか?」  男は引っ掛かった。紀子は真金町の安宿に男を誘った。 「話しの前に楽しもうじゃないか、あんたいい男だね」  男もその気になる。そして部屋に男が入った刹那。撚った毛糸で首を絞めた。三本撚ってある毛糸は紀子が左右に引っ張るとぎゅっと伸びて喰い込んだ。その手を男の背中でぎゅっと下げた。毛糸の両端は編みこんで蛇口になっている。親指を掛けて体重を掛けると男は倒れた。その上に跨り締め続ける。首に毛糸が埋まっている。爪きりで毛糸を切って両端に引き抜いた。肉に埋まる毛糸はググググッと音を立てて首から外れた。伊勢佐木中央署で追っている真金町安宿の殺人犯はこの相馬紀子である。      
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