都橋探偵事情『莫連』

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「熱いから気を付けろ」  自分の失態を人に被せた。 「面白いねあんた」  ビールから熱燗にした。 「どんな商売にしたって人に迷惑掛けなきゃいいじゃねえか。あの戦争からまだ二十三年だよ。あの焼け野原からここまで戻ったのは建物だけだよ。人の営みがそう簡単に変わるわけねえさ。赤線が廃止されても残るとこには形替えてちゃんと残ってる。女はパンパン、男はやくざ、どっちもどっちだ、身体売らなきゃ食っていけねえ時代が早く来ればいいけどな」  中西が冷ましたバクダンを口に放り込んだ。 「あんたレコいるの?」 「今はいない。そういやしばらくいないな。もう直二十八になるし女の一人や二人いないとまずいな」  三年前に勘違いで敗れた恋があった。欲情を満たす女には不自由していないが恋愛からは遠のいていた。 「あたいがその一人か二人になってあげる」 「それ同情か?」 「違う、あたいより年上だと思っていたけどあたいのがお姉さんだよ。可愛がってあげるよ」 「そりゃそうと瑠璃子は裁縫とかやる?」 「前は手習いでやってたけど今はしていない。どうして?」  中西は真金町の事件で絞殺された凶器が毛糸であること想い出して訊ねた。 「この辺りで毛糸を売っている店ある?」 「常盤和洋裁材料店て毛糸なら何でもある」 「この辺りに他にあるかな」  瑠璃子が知っている三店舗をメモした。 「だけど毛糸ならザキの常盤に来ると思う。品数が違うから」 「ありがとう、ここは俺が奢る。今度デートしよう」  二人はおでん屋を出た。瑠璃子が人目も憚らず投げキッスをした。中西がそれを返した。その時既に瑠璃子は反対側を見ていた。外れた投げキッスはザキの通りに虚しく消えた。 「ふざけやがって」  
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