都橋探偵事情『莫連』

79/281
前へ
/281ページ
次へ
「痛いよ痛いよ、誰か背中を擦って」  追跡を諦めた。 「どうしたの?大丈夫か、救急車呼ぼうか?」 「疝痛もちで、痛い痛い、背中を擦ってください」 「ここか?」 「そう、少し擦ってくれれば治るの」  女は俯いている。二分ほど擦っていると女が顔を上げた。 「ありがとうございます。落ち着きました。この御恩は忘れません。なにかお返しがしたいのでお名前だけでも教えていただけないでしょうか」 「いや気にしなくていい、これも職務です。一度病院で精密検査をされた方がいい。背中が痛いのは内臓から来る事が多いですよ。手遅れになると治るものも治らない」  並木は女を抱え起こした。 「ありがとうございます」 「自宅まで送りましょうか?」 「いえ、歩いて帰れます。本当にありがとうございます」  女は丁寧に礼をして歩いて行った。並木は時計を見た。19:35.喫茶樹里で20:00.に多田と待ち合わせている。男の人相と年恰好をメモした。尻手改札抜けて二つの目の路地右と付け足した。  スリ集団の女ボス湯山玲子が幹部達を集めた。 「誰か、仲三を呼んどくれ」 「仲三がどうかしましたか?」 「イタチにつのが回ってるよ」  イタチとは刑事の事である。陰語はひとつの言葉に対して幾つのも表現法がある。刑事だけでも、お大師、イタチ、こは、げじ等々使い分けている。だから陰語である。つのが回るとは感付かれている。イタチにつのが回るとは刑事に嗅ぎ付けられたとの意である。並木に尾行されている仲三の為に疝痛を装って並木の注意を払ったのは湯山玲子だった。
/281ページ

最初のコメントを投稿しよう!

60人が本棚に入れています
本棚に追加