都橋探偵事情『莫連』

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「奥さんですか、教えてください、毛糸を三本撚ることが出来ますか?」 「出来ますかってこいつは先生だよ。うちは糸屋だけど客が糸を選んでこいつの裁縫で賄ってるんだ」  主人が笑った。夫人が毛糸を持って来て器用に撚り込んだ。 「へえ、見事ですね。この端は丸めることが出来ますか。ロープの蛇口みたいに」  夫人が両端部を蛇口にした。 「先生とは言え見事ですね」  プロなら造作ないことだが褒められれば気持ちいい。 「おい、飲めや」  漬物で三杯馳走になった。 「それで何が聞きたいんだ?」  忘れていた。 「お客さんでこんな感じの女はいませんか」 「客は全員女だ、大概こんな感じだぞ」  やはりそうだと思った。特に体形に特徴のない一般的な日本型の女。材質は色々だが必ず買い物籠を腕に掛けている。 「そうだ藤の買い物籠を提げています」 「あの人かな、先日、そうだねえ五日ぐらい前かな、鼠色の毛糸を二十玉買ってくれた」 「女将さん、名前は聞いてない?」 「うちは現金払いだからね、名前は聞いちゃいない」 「それじゃ住まいも分からない?」 「確か磯子だって聞いたような」 「一人でしたか?」 「来たのは一人、でも二十玉の毛糸だと男もんのセーターかカーディガンだね。女じゃ十五もあれば十分だもの」  そう言えば逃亡中の水島悟は鼠色のセーターを着ていたと父親の証言、しかし結び付けるのは乱暴かもしれない。一度脳に伝えるとその情報で真実を見失う。中西は別々の情報としてメモした。
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