都橋探偵事情『莫連』

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一人をあげても意味はない。根こそぎややるには準備が必要、その準備の一端になるよう多田に言われている。それから奴等の携帯しているオイソレと言うスリ専門のカミソリには充分気を付けるよう付け足された。多勢に囲まれて切り付けられる可能性がある。6:15.並木は通勤ラッシュが始まる前に尻手駅に到着した。昨日取り逃がした男が曲がった路地の先で張り込むつもりである。路地から出て駅に向かう人の流れをじっと見張った。路地から出て来る通行人からは死角になる位置である。6:45.昨日疝痛で介抱した女が路地から出て来た。路地を曲がる時に後ろを見た。この辺りに暮らしているのだからここで会うのも不思議ではない。並木は路地から出て来る通行人をカウントしながら怪しいと感じた男女の特徴を簡単に書き留めた。7:35.駅を目指す通行人が絶え間なく行き交う。並木を怪しむ者もいる。8:45.通行人が絶え始めた。並木は張り込みを止めて路地を曲がった。人通りはない。多田が的を絞ったアパートを回り始める。四軒の木造アパートである。先ず郵便受けをチェックした。最初のアパートはほとんどのポストに氏名が記されている。それもポストに張り付けられた年数を感じ取れる。居住者のほとんどが長く借りているのが分かる。二軒目も同じようにポストには氏名が張り付けられている。三件目には二軒のみに氏名が記載され、他はない。氏名が記載されている一階の部屋を訪問する。ノックするとドアが開いた。並木は警察手帳を提示した。中年の男でまだ起床したばかりの様子である。昨日尾行した男ではない。 「恐れ入ります。ある事件でこの辺り全戸を聞き取りで回っております」  並木は玄関に入りドアを閉めた。声漏れが気になったからである。 「なんでしょうか?」 「こちらにはいつからお住まいでしょうか?」 「もう二回更新しましたから五年目ですかね」 「最近何か変わったことはないでしょうか。例えば越してきた人とか?」 「そうだね、越してきた人、挨拶がないから分からないけど203号の爺さん以外の足音が聞こえるし美味そうな匂いもするから入ったかもしれないな。もしかしたら大家の身内かもしれないな」
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