都橋探偵事情『莫連』

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「もう十年以上はいます」 「このアパートは吉田さんと下の佐々木さん以外は既に越されていると聞きました。それにポストには氏名がない。他の部屋には誰もいないのでしょうか?」 「あまり付き合いしないから何号室の誰彼とは分からないが四~五日前から頻繁に足音がする。それもかなりの人数だよ、古いアパートだから足音で分かる」  複数の者が出入りしているのは間違いない。 「話し声はどうです?」 「あまり声は聞こえないな、隣からラジオの音か何か音楽が聞こえる」 「誰かの顔を見ましたか?」 「婆さんと一回玄関で顔を合わせた。俺は週に二回買い物に行くんだがその時同じスーパーでばったり会って挨拶した」 「齢は幾つぐらいの方でしたか?」 「俺と同じぐらいか、還暦前後かな。大きな袋を両手に提げていた」  並木は礼を言ってドアを開けた。カレーの匂いがする。 「吉田さん、カレー作ってますか?」 「そんなハイカラなもん作れるかい」  吉田は笑って答えた。とするとこのアパートのどこかでカレーを作っている。中央の廊下を歩きながら視線を感じた。気のせいかもしれないがその視線の先からカレーの匂いがする。並木は階段を下りてポストを確認。102号と203号以外他十四戸には表札がない。並木は夕方のラッシュ後の時間帯に路地の角で張り込みを決めた。路地から出て行った気になる人物の情報は書き込んだ。同じ者が戻るときその人物を追尾する。  並木のメモ書きを見て布川と中西は戸部西署に確認に行った。吉川刑事は水島悟の発見された野毛山公園の現場から戻ったばかりだった。 「どういうことですか?」  布川が開口一番吉川に訊ねた。
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