After the rain

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 夜の内に降り続いていた雨は、目覚めるとすっかり止んでいた。ベランダから見上げた空は少し青みが強いセレストブルー。快晴というにはまだ雲が散り散りに残っていて、そこから覗く穏やかだけれど静かな色は、わずかに雨の余韻を感じさせた。濡れた街並みは空の色を映すように影を青く滲ませて、ビルの隙間から生まれ出づる太陽の光芒が雨粒に反射する。やわらかな色が一つ一つの雨滴の輪郭をなぞり、深呼吸をするようにゆっくりと頂点で光を灯した。純粋な光に包まれたそこは、まるで神聖な場所のように清く、美しく見えた。ふいに澄みきった風が肌を撫で、鼻孔が匂い立つ濡れた緑の香りでいっぱいになる。  その清かな匂いに誘われるように、私は眼下に目を向けた。街路樹や軒下に咲く紫陽花が露を湛えて、いきいきとその身を輝かせている。アスファルトには大きな水溜まりが出来ていて、世界を鏡のように映し出していた。その隙間を縫って足早に歩いていく人影がここからでもちらほらと見える。学生らしき若者、スーツを着た男性。スニーカーがひょいひょいっと軽快に飛び越え、よく磨かれた革靴が、水溜まりに映った空の間を颯爽と駆けていく。爪先が水面に触れて、小さな飛沫が光を含んで跳ね上がる。その時。水溜まりの色が一瞬だけ、オレンジ色に染まった。その色はほんとうに一瞬だけ色づいて、すぐに元のくすんだ青に戻る。記憶の奥底にぽとりと浮かび上がった波紋が、懐かしい思い出を呼び起こす。  雨は神様の涙だと、教えてくれた人がいた。地上の人々の悲しみを一手に引き受けて、神様は代わりに泣いてくれているのだと。その優しい声色と、強く結ばれた両手が脳裏に蘇って、しとしとと思考を過去へ(いざな)った。
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