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人波をかきわけ、春子は改札を抜けた。肩にさげたボストンバッグをよいしょと引き上げる。
人混みの中に和彦を見つけた。和彦の肩には大学時代に春子がプレゼントしたショルダーバッグがかかっていた。
「お待たせ。和彦」
「めっちゃ待った。だいたい春子はのんびりしすぎだよ。この時期が多いことぐらいわかるだろ。ちゃんと予約ぐらいしろよ」
眉間に皺を寄せ、和彦は不機嫌そうに唇を尖らせる。春子の目に映る和彦は以前と違って見えた。久しぶりに会うからだろうか。
「ごめん」
「俺と結婚するんだったら気をつけて」
「う、……うん」
言葉に詰まりながら春子は、ぎこちなく笑った。
ふたりは大学で知り合った。映画が好きで、レンタルしたDVDを部屋で観たり、一日部屋に籠もって本を読んだりすることが好きだったり、そういう地味なところが似ていることもあって、つき合いはじめた。将来、結婚を誓ったふたりだったが、この春、互いに県を越えて就職したことで離れ離れになっていた。
「ロッカーに預けてくる」
春子は肩にさげたボストンバッグをとんとんと揺らした。
「荷物ぐらい持っとけばいいだろ。こっちはずっと待ってたんだから」
ふたりで駅周辺をぶらぶらする約束をしていた。きっと和彦は欲しいものがあるのだろう。昔から和彦はそういうことを伏せて、あたかも偶然を装い店に入るところがあった。
「でも重たいから預けないと歩けない。あ、ほら。ちょうどあった」
うまいぐあいロッカーがあった。春子は駅のロッカーにバッグを放り込むと鍵を抜いた。
「あのさ、春子。明日なんだけど」
構内をしばらく歩いたところで和彦が春子の顔を覗き込んだ。さっきまでのイライラした表情は消え、どこか探るような目つきをしている。春子はそんな和彦の態度にすぐになにが言いたいかわかった。
明日は和彦の誕生日だった。
今度は春子がむっとした。和彦の顔は間違いなく期待している顔だ。学生時代は和彦がなにを欲しいか、春子はさりげなく聞き出し、リストにさえしていた。しばらく離れたことでいまの彼がなにを望むかわからなかった。だから、あえて彼の期待をスルーした。
「ああ、明日ね。明日はゆっくりしようよ。和彦だって仕事で疲れてるでしょ。それに私だって仕事で疲れているの。いま、わたしがやってる仕事なんだけど……」
春子は、いま自分が抱えている仕事がいかに大変か、息を吐く間もなくまくし立てる。
和彦はというと、ふんふんと最初のほうこそ相槌を打っていたが、次第に目が泳ぎ出し、あまつさえ欠伸まで漏らし始めた。どう見ても春子の仕事に興味はない。そんなことより俺の誕プレはどうなってるんだと、そっちのほうが気になる様子だ。
春子がひと息ついたところで、和彦は口を開く。
「ところで、職場のほうはどう? 若いやつとかいんの?」
いままでの話の流れから大きく脇道に逸れるようなことを聞いてくる。和彦が気になることは春子の仕事じゃない。職場にいる男の存在だ。
「仕事は大変だけど、優しい先輩がいて助かってる。やっぱ先輩って頼りになるよね」
その瞬間、和彦の目が冷たく光る。
「先輩って男?」
春子は和彦の目の奥を覗きこむ。
先輩は女性だった。だけど和彦は疑っている。いつもそう。嫉妬しているくせに遠回しに訊いてくる。しかもねちねちと。そして最後にお決まりのセリフ、「ぜったい浮気なんかしないでくれよ」と薄っぺらいお願いをしてくる。そうだ、ちょっと意地悪しちゃおう。
「そうよ。しかもイケメン」
和彦は一瞬目を剥いたが、それ以上は何も言わず、春子と並んで歩く。
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