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 *  芳月が連絡をくれたのは、マモルの訓練最終日の夜だった。ケイはあと少し仕事を残しており、人気の減ったオフィスを感じながら資料を解析していたところだった。 「伊達君のクールが終わったよ。さっき帰したとこだ」  芳月はいつものように報告をした。ケイはマモルの不機嫌そうな顔を思い出し、ちょっと疲れが取れるような気がした。本人に自覚はないようだが、マモルは比較的、癒し系の顔をしている。南方の男らしい顔なのに癒されるのは、少々童顔だからだろうか。 「感触は?」  ケイが聞くと、芳月は軽く考えてから答えた。 「良かったよ。飲み込みも早いし、勇気もある。人間は撃てないとずっと言っていたし、実際そうかもしれないけど、悪くない」 「ええ?」ケイは不服そうに唸った。「そこを重点的にやってもらいたかったのに。伊達は言ってみれば犯罪集団と接するんだぞ。根性つけないと」 「優しすぎるんだよ」 「あぁ? …ん…そうだな、伊達は少々優しすぎるところはある」 「だろ? どうして駆除士なんてやってるのか謎だよ」 「あいつは生態系を生きてるんだ。弱肉強食を是としてる。だからこそ弱い者は手を取り合い、強者は孤独で自己を貫かないとと思ってる」  ケイが言うと、芳月は「ああ」と言って笑いだした。 「確かに、そう言われるとそんな感じがするよ。人を撃てないと心細そうな顔するくせに、駆除士として難しかった案件なんかを聞くと、生き生きと話してくれる。とても楽しそうで、駆除した虫についての愛情のかけらも感じないから、何が違うんだろうと思ってたんだ」 「立ちはだかる人類への敵に対しては厳しく立ち向かえるが、相手も人間で同じ条件だと困惑するんだ。そういうバカなんだよ」 「ははぁ、だから相手も銃を持ってるんだよと言っても、自分も持ってるから使えないってわけか」 「そうだ。攻撃されて初めて使えるようになる。それじゃ駄目なんだよ」 「そうだな」  そうだなじゃない。ケイは小さく息をついた。あと一週間追加すべきだろうか。個人レッスンの予算は五日分がせいぜいだった。あとはマモルの給料から引かれることになる。芳月の個人レッスンは高いから、マモルは基本給一ヶ月分をほぼ失うことになる。そうする価値はあるだろうか。 「伊達君はいろいろな虫や生き物の話をしてくれたよ。彼らがいかに創意工夫に溢れているか。彼は本当に虫が好きなんだな」  芳月は話題を変えた。 「仕事熱心なんだ」ケイはうんざりしながら答えた。マモルが虫を好いているのではない。虫がマモルを好いているのだ。そう思えるぐらい、マモルは虫の動きを熟知して行動している。 「言ってみれば、相手はICCや伊達君、あるいはケイの縄張りに侵入してきてるわけだと言ってみたら、何となくわかった顔はしてたよ。彼には説明方法を虫や野生動物に置き換えるといい」  ケイは芳月の言葉に立ち止まった。うまいこと言うな。 「先に撃つのが嫌なら、虫や野生動物と同じように『威嚇』から始めたらどうだろうと提案したら、素直に頷いてくれた。そこからは切り替えも早かった。彼はきっと自分のレベルをわかってて、それで雑魚を無駄に殺したくなかっただけみたいだ。だから心配することない。大丈夫だ」 「本当か? 伊達はいつも自信なさげだけどな」 「高みを目指しているが故だよ。聞いてると、大きな作戦やチームのリーダー的な仕事もたくさんしてるみたいだ」 「そうだな。腕はいい」 「後輩にも慕われてそうだ」 「慕われてる。奴をクビにしたと知れて、ICCは内部からの抗議の嵐だよ」  ふふと芳月は笑った。 「趣味は昆虫観察だと言ってたよ。それは仕事だろと言ったら、仕事では観察なんてしてないってさ」  ケイはそんな話をしている二人を思い浮かべ、マモルが熱心に南米大陸にしかいない昆虫の話をするのを想像した。誰も聞いていないのにマモルはその蟻のすごさを語り、周囲に困惑されていたことがある。 「じゃぁ伊達は何とかなりそうなんだな?」ケイは気を取り直して聞いた。 「ん。あれだけ攻撃パターンを瞬時に思いつく生徒は初めてだ」 「それは褒め言葉と思っていいか?」 「もちろん」芳月は即答した。「必要ならまた連絡をくれ。君の個人レッスンも…ああ、そういえば」  芳月が笑いを含んだ声で言い、ケイは眉を寄せた。「何だ?」 「ケイと付き合ってるのかって聞かれたよ。個人レッスンってことは、自分と同じように一緒に食事したり、べったり一日一緒にいたりするんだろうって。彼は必死で隠してたが、興味津々だった」 「ガキだな」ケイは切り捨てた。端末の向こうで芳月が笑う。 「君の理想の男が僕みたいな奴だと思ったようで、筋肉の付け方を聞かれたよ」 「ホントにガキだな」 「楽しかったよ。じゃぁまた必要なら連絡を」 「わかった。ありがとう」  ケイは電話を切り、頬杖をついて部屋の奥を見た。  マモルがムキムキになったら、後ろからしばいてやろう。駆除士はきらびやかな職ではないが、ICCのオフィスにいると体を張っている駆除士は格好良く見え、その制服や装置が実物を何割か増しの魅力に思わせる。マモルはケイのオフィスに呼び出されるたび、事務職員の冷たい目にさらされると嫌がっているが、実のところ事務職員たちは駆除士をある意味憧れの目で見ているのだ。だからダイトなどは用がなくてもオフィスにやってきて廊下で女子職員をナンパしている。  そういうことに気づかないとこもガキだな。  ケイは立ち上がって背伸びをした。あと少し、仕事を進めて帰ろう。
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