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 しっとり湿った朝の空気を吸い込み、マモルはうんと体を伸ばして伸びをした。梢の上で甲高い鳥の声がする。今日は晴れそうだ。  ケイが言ったような『ハンターたちが立ち寄りそうな飲み屋』に一ヶ月ほど出入りしてみたものの、芳しい出会いはなかった。一応、何やら怪しい道具調達屋の情報は得たが、ハンターの紹介でもない限り入れない店らしく、マモルはあまりしつこく聞くのもマズイと思って手を引いた。次第に当座の資金が尽きてきて、このままじゃ本当に無職になりそうだと焦った。  元駆除士という肩書が大した役に立たないことは、職探しをしてみてわかった。事務職には就けなかったし、機械やビジネスの専門知識もないからがっかりされる。マモルには高等学歴もないから簡単な店員にもなれなかった。残っていたのは労力が多い割に安い仕事だ。例えば工場で一日中立ってロボットの作業を見守るとか、山野を一晩中歩いて異常がないか確かめるとか。ついでに夜光茸を見つけたら臨時収入になるとはいえ、パトロールは一日たったの数千円だし、ドローンの方が安いから仕事にありつけることが少ない。たいていはドローンの修理中にたまに人にやらせる。今回マモルが雇われたのもそんなタイプだった。警備ドローンが故障中で、しかし放っておくと山を荒らされたり、変な虫が入ってきたりするから定期的なチェックは必要だという。警備会社と契約していれば代替機が手配されるが、自前のだとそういうわけにいかない。しかしドローンが持っている機能を人は持っていない。だから機材を積んで歩く。マモルも昨夜は熱センサーカメラにつながったゴーグルで歩いた。  映像は依頼主に送られる。マモルはゴーグルをリュックに入れて仕事終わりの連絡を依頼主に入れた。特に返事はなく、おそらく来週までに口座に振り込まれるだろう。  マモルは林を抜け、人家が並ぶ辺りまでトボトボと歩いた。家があるように見えはじめてから三十分以上歩いて、やっと近くまできた。早朝にも関わらず、老年の人たちがちらほら見えた。小さな公園ではゲートボールの練習が行われており、マモルはその公園の隅にあった蛇口で水を飲んだ。  そこから少し歩いたところにバス停があった。古いベンチがあって、マモルはそこに座ってリュックに入れておいたカロリーバーを出した。銀の包み紙に包まれた四角いバーは、あと半分しか残っていなかった。それを食べ、マモルはため息をついた。  端末を見るともなく見る。特にメッセージはない。  駆除士をクビになってすぐは、仲間たちからいろいろなメッセージが届いた。が、それから一ヶ月もたつと次第に連絡は来なくなっていった。三ヶ月になろうとする今では、何日も誰からも連絡がないことが普通になりつつある。みんなきっと諦めたのだ。マモルが無視しつづけたせいもある。そうするしかなかった。ダイトなんかは、まだ未練たっぷりのメッセージをくれるが、ここ半月ほどは来ていない。自分勝手な要求ではあるが、返事はしないが、連絡はほしかった。マモルはそんなことを考えながら、空を仰いで目を閉じる。ああ、と思わず声も漏れた。  疲れていたのだと思う。ここのところ続いてアルバイトを断られ、収入の目処がつかなかったので見境なくできる仕事に食らいついていたら、ほぼ丸三日ほどしっかり眠れていなかった。バス停でストンと眠ってしまったらしい。  頬を叩かれて飛び起きると、目の前には警察官が怪訝そうに覗き込んでいた。 「ほら、生きてる」  警官が言い、マモルは周囲を見た。心配そうな顔をした制服姿の女子高生が三人ほど見えた。どうやら死体だと思われたらしい。彼女らは恥ずかしそうにキャイキャイと言いながらも良かったと安心したようだった。 「名前は言えますか? 体調は?」  警察官は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。マモルはベンチに座り直し、その四十代ぐらいの警察官を見た。答える前に頭痛を感じて、マモルは頭に手をやった。 「思い出せませんか?」 「え? あ…いや。わかります。伊達です。伊達マモルです」  答えると警察官はほっとして笑った。「良かった。体調はどうです? 声をかけても起きなかったそうなんです」 「大丈夫です。ちょっと疲れてただけなんで」 「カロリーバーじゃダメですよ。ちゃんと食べなきゃ。飲みますか?」  警察官がどうやら自分のために用意してくれたペットボトルを差し出してくれ、マモルはそれを受け取った。確かに水分はもう持ち合わせがなかった。 「お仕事は?」  マモルはペットボトルを開き、一口飲んだ。口の中がさっぱりした。 「警備とか…いろいろです」 「今日は休んだ方がいいですよ。ご自宅はどこですか?」  ハンターに会う前に警察の世話になるのはマズイ。マモルは首を振った。 「ここには仕事で来てて、バスで帰ろうと思ったんです。それで…寝ちゃっただけで」 「どこまで行くつもりか知らないけど、バス、もう夕方まで来ないよ。昼は市役所が出してるコミュニティバスがあるだけ。朝の分はもう終わっちゃった」 「ええっ?」マモルは驚いた。警察官は苦笑いする。 「ごめんねぇ、田舎で」 「いや…」  マモルは当惑した。まずよぎったのは今日一日をどうするかということだった。手持ちの金はほとんどなくて、電子口座に入っている金もそう多くない。昨日の分が振り込まれるのはもうちょっと先だし、こんなところで一日を無駄にするのは大きなロスに思えた。ハンター探しにせめて一日数時間ぐらいは費やせというのがケイからの司令だったし、今日こそは何か情報を上げて早く駆除士の身分を取り戻したいと思っていた。こんな生活をしていたら、本当に何か際どいことをしないと生きていけなくなる。引退した駆除士が虫玉を売るのは、こういう理由もあるんだろうとマモルは思った。 「駅までなら送っていってあげようか?」  警察官が言って、マモルは顔を上げた。 「あー、でもその前に寄り道した方がいいな。気づいてるかどうか知らないけど、この辺、血だらけだから」  警察官はマモルの額部分を指差した。マモルは手を当ててその指を見る。乾いた血のかけらが指について見えた。夜中に枝で額を打ったのを思い出す。そんなに出血していたとは知らなかった。 「歩けるなら、すぐそこだから」  警察官が言って、マモルは渋々立ち上がった。足は重く、まだ頭もジンジンと痛かったが、駅まで送ってもらえるなら頑張ろうと思った。
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