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 *  翌朝には村上夫人に彼女の兄の居場所を教えてもらうことができた。まだそこにいるかどうかわからないけどと言われたが、他に当てもないので行ってみることにした。  村上とはバス停で別れた。気をつけろと百回ぐらい言われ、マモルはそのたびに頷いた。どうやらヒゲを剃り、顔や髪を洗って若返ったら、どうもマモルが頼りなげに見えるようで、彼は仕事以外のこともとても気にしてくれた。リュックには村上にもらった缶詰やレトルト食品、それからタオルや救急キットなども入っていた。  バスを乗り継いで数時間揺られ、マモルはようやく教えてもらった住所に近づいた。乗り込む前に連絡を入れておいた方がいいだろうと思って、マモルは端末を立ち上げた。直接ICCに連絡を入れるわけにはいかないので、連絡役の佐伯ミキにメールを投げる。ICCが敵対位置にあるJIPAと関係しているのはどうかと思うが、ケイのやることはいつも突拍子もなく、そして最終的には正しいので文句をつけてもしょうがない。  マモルが仕事先で駆除業者を紹介してもらえたので行ってみると連絡を入れると、いつもは受け取りっぱなしのミキが返信してきた。業者を調べてからにしたらどうだと言う。マモルはそれはケイの指示か、それともあんたの私見かと聞いたら、ミキは自分の個人的な意見だと言った。じゃぁ聞く必要はない。  と思ったら、音声通話までかけてきた。面倒な奴だなとマモルは舌打ちをする。 「何だ。やっと情報に近づけそうなんだ。放っておいてくれ」 「せめて半日後でもいいでしょう? 調べてから近づいてもいいと思う」  相変わらず気の強そうな声が言い、マモルはため息をついた。 「俺は早く駆除士に戻りたいんだよ。一日でも早く戻りたい」 「半日だけでもって言ってるの。検索だけでもしてみないと」 「俺がバスに乗ってる間、何もせずに寝てたとでも思ってるのか? 検索ぐらいした。民間業者のほとんどが虫玉を売ることで生計を立ててるのも知ってる」 「サポート体制を敷く時間ぐらいは必要でしょう?」 「普通に駆除業者に入る面接受けるだけだって。別にいきなり捕まって尋問されるわけじゃない。それともJIPAじゃいつもそうやって新人を迎えてんのか?」 「ちっ違いますけど!」 「三ヶ月も待ってやっと巡り会えた線なんだ。早く行きたい。おっと悪かったな、十分前まではそこにいたんだがってすれ違いは嫌なんだよ」  マモルは通話を切り、端末をリュックの内ポケットにしまった。  一体あの女は何なんだ。ケイにいいように使われてるが、そもそもはJIPAの人間だ。俺を利用してJIPAの主張を通し、それは彼女の知らないところだったとしても、俺を嵌める一端は担い、その責任を感じてるんだろうが、フラフラして意味がわからない。たまに連絡を入れると、ハンターに近づくために希少種を駆除したりするなと説教したり、ICCはJIPAを差別しすぎだと言ったり。  マモルはムカムカしながら前を見た。  気持ちを切り替えていく。  地方都市の裏通りの住所をもらっており、マモルはリュックを背負って番地プレートを眺めた。端末ではこの辺だが、教えられたビルがなかなか見つからなかった。もう潰されてるかもしれない、と言っていたのを思い出し、マモルは工事中というパネルで入り口が封鎖された雑居ビルを見た。上を見上げると、そこには細長い看板が突き出ていて、サトウビルと探していたビルの名前が書いてあった。  何年前から工事中なんだろうとマモルは錆びたパイプを見て思った。中を少し覗くと、紙パックや空き缶が転がっているのが見え、どうやら廃ビルとしてしっかり認定されているっぽいなと思う。  線が切れた。  マモルはがっかりと肩を落とした。クソ。十分前どころか、十ヶ月ぐらい前にすれ違ってる。どうしようもねぇよ。  カンカンと音がして、工事中のビルからサンダルを履いた短パンの男が階段を降りてきた。そして工事中のパネルと封鎖しているパイプをくぐって出て来る。マモルともバッチリ目が合い、彼は怪訝そうにマモルを見た。強面の眉が釣り上がる。 「リセの知り合い?」  トラの顔がプリントされた黒いシャツを着た男は、じろりとマモルを上から下まで検分した。 「村上さんの」マモルは『リセ』を知らなかったので知っている名を告げる。 「俺の妹だよ」  彼は警察官の村上よりも不機嫌そうに言った。マモルは目を見開いた。 「伊達マモルです」 「ああ」 「元駆除士で…」 「知ってるよ。おまえ、バカなの?」 「はい?」マモルは目を丸くした。 「あんたがクビになったのも、職探してんのも知ってるよ」  彼はポケットから煙草を出し、火をつけた。そして再びマモルを上から下までじっと眺める。マモルは妹から聞いたのだなと理解した。だったら話は早い。 「ICCをクビになった奴の行く末なんて、たいてい一緒なんだよ。民間駆除業者がICCの奴を雇ったりしないってわかるだろ? 面倒だもんよ。おまえら、ルールにうるせぇし、効率も悪いの。腕の良い奴でも、これまでICCでジャンジャン薬剤や道具使ってきたから、民間に降りて駆除させると経費かかりすぎてこっちが破産する。だいたい、ICCの受け皿なんかやったら、民間業者の間で鼻つまみもんだよ。二度と酒にも誘われない。だからICCをクビになった奴なんて、誰も雇わねぇよ」  ガラガラの声で言われ、煙を吐き出され、マモルは黙った。そして驚いた。 「特におまえなんて、名が通ってるだろ。そんなの入れたら、絶対に仕事も来ねぇし玉も売れねぇ。おまえ、知ってんだろ? 俺たちが玉売って生きてんの。おまえみたいな真面目に仕事してましたってのが、一番使えねぇんだよ。ICCにいたときから、ちょこっと売ってましたって奴は、たまに見かけるけどな。そういうのはICCの匂いもついてねぇぐらいでさっさと辞めて来るから別にいい。おまえとは違う」  彼は煙草を挟んだ指をひらひらとさせてマモルを追い払う仕草をした。 「さっさと帰れ。おまえは煮ても焼いても食えねぇ、純粋培養のICCのクズなんだから」  マモルは何か言い返さないとと思った。が、すぐには答えが思いつかなかった。そこまでICCが煙たがられているのを知らなかったし、自分の名が通っているのもよく理解していなかった。彼の話はあちこちに引っかかるところがあり、マモルは混乱し始めていた。 「クズ…って」  憤りと困惑が混じって口をついた。マモルは感情をギュッと握りしめ、目の前の相手を見た。この野郎と思うが、自分が民間業者に信頼されない存在だってことは言われてはじめて気づいた。そりゃそうだ。俺はある意味鈍感だった。ICCをクビになって恨んでるって設定だってことはわかっていたが、実際には戻ろうとしてたんだから恨んでない。そういうのはきっと周りから見れば違和感として残り、信頼されないのは当然だ。最近は全く援助してくれないICCを恨み始めていたが、それは正しい思考だったのかもしれない。 「行けよ。近くにおまえみたいなのがいると、こっちも迷惑なんだよ」  苛立つ口調で『リセの兄』はマモルを睨む。  マモルは俯いて息をついたあと、ぐっと顔を上げて前を見た。 「腕はある。何をしたら信じてもらえる?」 「信じねぇよ。しつこいと本気で追い払うぞ」  彼が一歩前に出て、マモルは下がりたいのを我慢した。 「ずっと組まなくてもいい。一件だけ仕事をさせてくれないか。手持ちの金が全然なくて、あとはもうヤバイことに首を突っ込むしかない。虫玉を売るぐらいで済むなら、そこで手を打ちたいんだ」 「断る。おまえじゃなくても虫玉ぐらい手に入れられる」 「俺なら」マモルは思わず声を上げた。「もっと質のいいのを手に入れられる。あんたのところで扱ってるのがどういうのか知らないけど、俺も出回ってる虫玉ぐらい、サイトで見たことがある。同じシロイナゴでも、きっちり仕留めればきれいな虫玉になるのは知ってるだろ? 市場に出回ってるのは、俺から言わせたら粗悪品だ」  マモルはこめかみに汗を感じながら必死で考えて言った。それは本気で思っていたことだ。裏取引されるものの多くは処理が甘い。きちんとした訓練を受けてないからなのか、知識がないからなのか、薬剤が不足しているのかわからないが、粗雑なものが多い。それは押収されたサンプルを見ていたときにも思っていたことだった。 「別にアートじゃねぇんだからいいんだよ。帰れって言ってんだろ」  彼は近づいてきて、マモルの肩をドンと押した。マモルはちょっと後ろに下がり、吹きかけられた煙を手で払った。 「一回だけ、仕事させてくれ。それで見てくれたらいい。一回分は金はいらない。妹さんには飯ももらったし、寝床も借りたから、その礼だと思うから。絶対に後悔させ…」  ボカッと殴られ、マモルは路地によろめいた。続けて蹴りも入る。 「うるせぇんだよ、さっさと消えろ」  倒れるほどには殴られなかったが、じっとしていたらボコボコにされるなという程度に蹴飛ばされ、マモルは路地から逃げ出した。  飛び出してきたマモルを見て、通りの通行人が驚いたが、マモルが顔を伏せて反対側に歩きだすと、誰も注意を払わずに日常に戻っていった。マモルは唇を噛み、ここからどうやって次の手につなげればいいのかと憂鬱な気分で痛む頬を撫でた。
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