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 *  管理センターのある都市部にも虫は出るが、それらはやはり都市化されていて小型だし毒性も弱い。稀に消毒薬に耐性を持つ種が現れないこともないが、それらは人間を滅ぼすほどの害悪は運ばないことが多い。というのも、おそらく都市部では人間も環境の一つであり、虫たちもその環境の中で暮らしていくために共生を選ぶのだろうと思われている。もちろん、例外は常にあって、毒性の強いのが紛れ込んだり、ある地域で突然凶暴化した虫に襲われる事件もあるにはある。昆虫管理センター(ICC)は地域を封鎖して拡散を防止し、駆除士による徹底的な殺虫を行う。  地方では巨大化した虫が生息できる場所も多く、また人間に知られず変異していくこともあるため、唐突に巨大な新種に襲われることがある。虫の方としてもエサを追って森を抜けたら人家があり、そこにいた子どもや家畜を食ってしまったというところかもしれないが、人間にとっては一大事なので駆除士が呼ばれる。あるいは、定期的に周辺パトロールをしているドローン映像から通報が入り、調査のために駆除士が呼ばれることもある。  今回も山裾の麦畑が広がる田舎町での目撃証言だった。  目撃証言があった場所には黄色い警戒テープが貼られ、その背後の森は一昨日から立入禁止になっていた。町長は目撃証言があってから改めて定期パトロール映像を見直すと、巨大ムカデの片鱗が何度か映っていたことがわかったとマモルに映像を見せてくれた。ドローンは動いている生命体に反応してカメラを向けるが、そのムカデは微動だにしていなかったせいでカメラによる注視がなかったのだとわかった。  えんじ色の固い殻がかすかに木々の間に見えたり、触覚のようなものが草の間に見えたりして、マモルはむしろ町長が映像の中からよく見つけたと感心した。 「人間サイズよりはデカそうですね」  マモルが言うと、町長は自分が証言したかのように身をすくませた。 「すみません、たまにハチやイナゴは来るんですが、大ムカデは初めてで」 「みたいですね」  マモルはこの地域の過去の駆除依頼を端末で確かめた。 「とりあえず見てみます。周辺の避難は終わってますか?」 「はい」町長は何度も頷いたが、そもそもマップで見る限り、畑地の周辺に人家は数軒しかなかった。都市部ではないので避難は比較的簡単だったのだろう。  マモルは黄色いテープの外側に、現場説明に来た町長や町役場の人たちを残し、畑地に入った。彼らの怯えを表すように、警戒テープは必要以上に広く遠巻きに張られていて、実際にムカデが出たらしい痕跡にたどりつくまで百メートルほど畑地を進まなければならなかった。  マモルはなぎ倒された麦が見えたところで立ち止まり、グラスカメラとインカムをセンターにつないだ。  自分の名前と今回の駆除調査番号を告げると、AIが映像や音声を自動記録してくれる。 「倒されてる麦の範囲から推測して、少なくとも体長二メートル。蛇行しながら進行し、目撃者たちの農機にぶつかって森へと退却。侵入口が不明だが、おそらく退却方向と同じだと思われる」  マモルは痕跡についてレポートし、なぎ倒された麦や草の様子をグラスカメラで丁寧に記録した。風が吹いて奥の森がざわめくと、さすがにマモルもドキリとして目を森に向けた。が、巨大な虫が出てくる気配はなかった。 「一部破損した可能性がある」  マモルは打ち捨てられたコンバインのタイヤ脇にえんじ色のものを見つけて拾い上げた。鋭いトゲのある直径五センチほどの筒だった。長さは十センチほど。防刃グローブをつけていなければ皮膚にトゲが刺さっていただろう。  マモルはそれをひっくり返したり、トゲを観察したりしてから息をついた。これは触覚なのか足の一部なのか。かけらではよくわからなかった。 「センターに後で送る」  マモルはリュックを下ろし、保管用キットを取り出して布で包み、ビニール袋に入れた。マジックで日付と場所、調査番号を記入しておく。 「体液らしいものが落ちてる。これも採取しておく」  マモルは地面に点々と落ちているシミを見つけて言った。小型シャベルで土ごと採取し、これも小さな袋に入れる。  採取したものは全てリュックに詰め、そして改めて立ち上がった。虫は出てきて農機に当たってUターンした。それが一昨日の夕方。昨日の目撃はなかったようだから、もう現れないかもしれない。が、一応痕跡が他にないか見ておく必要はある。  マモルは畑地と森の間にある草地まで歩いた。森の近くまで畑を作るなんて無謀だとも思うが、この辺りでは飛翔系の虫の被害が多く、防虫ネットや防虫薬で何とかなってきたせいなのだろう。森と畑地の間には動物・虫除けの電磁柵もあり、これを越えて森から何かが来るとは思わなかったのだという。  一昨日は夕立で落雷があり、一時的に電磁柵がストップしていた時間があった。その直後にムカデは現れたのだ。タイミングが悪かったというしかない。  電磁柵は高さ二メートルほどの杭に細い針金が数本横たわっている感じのラフなもので、勇気があれば子どもなら下をくぐっていける。マモルは無理せず端末で一時解除して柵を越え、それから再びスイッチを入れた。  そこからは森である。
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