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 *  ティーザー銃で撃たれたようで、衝撃の後は数分で体が動くようになった。マモルは唇を噛み、得体の知れない男を睨んだ。わけがわからないが、殺されなかったことだけは事実だ。こいつにしても俺を殺すよりは生かしておいた方がいいと思ったんだろう。だったら覚悟を決めるまでだ。  体がまだ痺れているマモルを案じてか、男はカウンターではなくソファ席に座っていた。ビールではなく新しくワインが注がれる。マモルは赤ワイン色のソファに腰掛け、目の前の軽薄そうな男が何を言うのか待った。 「僕は君のファンだった。いつか手に入れたいと思ってたんだ。君と組めば最高の虫玉が手に入る。それは間違いない。実際、そうだし」 「サインでも書こうか?」  マモルが言うと、男は嬉しそうに笑った。 「君がICCのスパイだろうってのは、みんな思ってて、警戒しちゃうわけだよ。僕だってICCのスパイと組むのは嫌だ。捕まりたくないし、業界に恨まれたくもない。でも魅力に負けてしまった。君は本当に腕がいい。虫への愛も感じる。このまま他の誰かに利用されるぐらいなら、僕が利用した方がいい」 「勝手なこと言ってるが、俺はあんたの言葉のどこにも賛同しないぞ」 「ICCのスパイってところ? それとも腕がいいってところ? 伊達君を手に入れた業者がどうなるか知ってる? それが黒でも白でも潰されるよ。だから誰にも興味を持たれないわけ」  マモルはじっと男を見た。この男の余裕がどこから生まれているのか知りたかった。 「あんたも業界の一員じゃないのか。潰される」 「あ、僕は大丈夫」男はワインを飲んで、グラス越しにマモルを見た。「嬉しいなぁ、伊達君とこうして飲める日が来るなんて。いろいろ聞かせてほしいんだ。伝説のオオカマキリ事件とか、ツチドクガ大量発生事件とか」  マモルは小さく息を吐いた。判断が揺れる。虫相手ならこんなに悩むことはない。相手は翻弄するような言葉を投げかけないから。襲ってくるか逃げていくかのどっちかだ。人間は違う。簡単にはいかない。罠なのかチャンスなのかわからない。 「もし俺がスパイだったとして、あんたは平気なのか?」 「そうだね、寝返ってくれるように努力するよ」 「俺は俺のことをスパイだと疑ってる奴と仕事はしたくない。いつ後ろから撃たれるかわからないのに」 「ティーザー銃だよ。死なない。それに君だって銃を持ってる。さっき僕が失敬なことを言った時点で僕を撃っても良かったんだよ。死なないとしても動きは止められる」  マモルはそう言われて銃を見た。 「弾はもうない」 「あ、そうか」男は立ち上がってカウンターの奥に入った。そして箱を持ってくる。「はい、弾だよ。あとでお気に入りのAM49もプレンゼントしよう。あとは何が欲しい? 君が必要なものは何でも用意するよ」  マモルは弾を確かめて男を見た。この流れに乗っていいのかわからないが、慣れ親しんだものに囲まれると心が落ち着いた。単純に商売相手としてなら、この男は使えるのかもしれない。こういうタイプの奴と腹の探り合いなどしても無駄だということはマモルもわかっていた。自分がそういった探り合いが苦手なことも。 「ICCにいるときの十倍は稼げるよ。本気になれば百倍だって夢じゃない。金があれば君の夢だって叶えられるかもしれない。巨大化した虫を絶滅させるのは無理かもしれないけど、虫害で困ってる人は救えるし、孤児に援助だってできる。研究資金に投資して、虫毒の中和剤を開発支援することもできる。ICCで虫を狩ってるよりもずっと大きなことができるんだよ」  なんで俺の夢をおまえが知ってるんだとマモルは思ったが、もうそれは気にしないことにした。 「あんたの夢は?」 「へ?」男は驚いた声を出した。それから笑い出す。「僕の夢? そんなの聞かれたの久々だなぁ。子供の頃以来かな。スポーツ選手とか大金持ちとか」  マモルはワイングラスに手を伸ばした。いかにも高そうなボトルだったし、グラスだった。一口飲むと口に渋みが広がった。 「僕の夢は世界の人々の幸福だよ。みんながハッピーになればいいと思ってる」  ふんとマモルは鼻を鳴らした。 「何だかよくわかんねぇけど、あんたは俺と組むことでメリットがあるってことだよな?」 「うん、だって君は質のいい虫玉を作る。僕はそれを高く売れる。君は報酬を得て、僕もそれなりの利益を得る。君は僕といれば虫玉の流通経路を知ることができる。関係者とも会うチャンスはある。僕はがっぽり儲けさせてもらって、君の英雄伝を聞き、君の狩猟を生で見ることができる。これはいい取引だ」 「俺がICCのスパイだったら、あんたは不法取引の実行犯ってことになるけど、それは?」 「心配してくれてるんだ?」 「…というか、俺が罠に掛けられてんじゃないかって思っちまう。あんたにはデメリットのほうが多い気がするからさ」 「それはICCのスパイだったらって仮定に基づいて言ってる?」  男はとても軽く言って笑う。マモルは本当にどう対処したらいいかわからなかった。子どもっぽいだけなのか、それとも本当はマモルのことをからかっているだけなのか。考え出すとわからず、マモルはイラッとした。こういう駆け引きに自分は向いてない。ケイならうまくやるんだろうが、俺には無理だ。俺をスパイに選んだことが間違いなんだ。お偉方もきっとそう思って諦めるだろう。 「虫玉の取引市場ってのは二層に分かれてるって聞いてる。一般的なICCの駆除士や民間駆除士の横流しの分と、もう一つは高額取引を目的としたいわばプロの駆除士の仕事。俺はそっちの方に入り込みたい。それに協力してくれるなら手を組む」  マモルが言うと男は目を丸くした後、あははと笑いだした。それから手を突き出す。 「伊達君はやっぱり最高だな! 交渉成立だ」 「あんたの立ち位置を教えてくれ。ただのバイヤーなのか、それとも流通の鍵を握ってる誰かなのか」  マモルが言うと、男は肩をすくめた。 「僕は伊達君の言う、二層のうちのもう一方、一般的な横流し業界で暮らしてるしがない商人だよ。でも伊達君と組めるなら、上の層に進出できるチャンスだと思ってる。もしたとえ君がICCのスパイでも何でもいい。互いの目的が同じなら、別に協力してもいいだろう? 誰かと君が組みたいと思ってるなら、それは僕でもいいはずだ」  男は自信満々に言った。マモルはその言葉を少し考えた。軽薄だ、時期尚早だとケイが言いそうだと心の中で苦笑いする。確かに軽い。そして信用できない。ICCのスパイだと見抜かれている気もする。マモルはしかし自分の肌が粟立たないことに直感的なものを感じていた。この男は危険だが、今は大丈夫だ。離れ時を考えて慎重に付き合う必要はあり、決して心は許しちゃいけないが、確かに今は同じ目的だと認めよう。その部分はこれまでの言動で信じられる。 「わかった」  マモルは手を出した。男が嬉しそうにガシッと握る。 「後悔はさせないよ」  そうであってほしいもんだ。マモルは子どもみたいに喜んでいる男を冷静に見つめた。
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