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 男はリベルと自称した。それが本名であれ偽名であれ、業界内ではそれで通っているようだった。ケイはマモルから聞いた男の身体的特徴などをリストにし、リベルという名と共にICCに調査依頼をかけた。ほとんど何の事例も出てこず、摘発された虫玉取引所の顧客にリベルという人物が数件見えるだけだった。  マモルがリベルと取引を始めてから一月を迎えようとしていた。マモルは裏の世界に出てさえ、実直で仕事熱心であるようで、リベルの裏社会での彗星のようなデビューを影からしっかり支えていた。リベルは無名のディーラーだったが、マモルを得てからは大注目を受けていた。リベル自身のデータも出回らず、リベルが契約しているハンターの情報も出回っていなかったため、一体あれは誰なのだと不思議がる声で溢れた。  リベルよりもマモルの方が先に特定された。何しろ腕のいい駆除士がクビになり、それからしばらくしてプロの技の虫玉が出回り始める。これはもう問題の駆除士が裏社会デビューしたにちがいないと誰もが考えた。マモルは身を潜め、口を閉ざしていたが、それが却って疑われることになり、今では十中八九、伊達マモルが裏社会デビューしたと噂されているようだ。リベルもというディーラーの名も、もしかしたら彼の偽名ではないかと言われていた。  ICC内部にも少し遅れて情報が伝わった。噂段階なので信じないと突っぱねるマモルの擁護派もいれば、やっぱりあいつは勝手な奴だという批判派もいた。そんな声を聞きながら、ケイは通常業務に邁進した。JIPAの佐伯ミキからはたまに連絡が来て、マモルの報告と噂がそう違わないことに満足していた。噂はマモルの報告から一週間遅れ程度でじわりと広まった。出処がどこなのか探ってみたが、はっきりしたことはまだわかっていない。内部の誰かが裏と通じている可能性は大いにあった。  そう思いながらケイは小さく息をつき、目の前のグラスを揺らした。夏を迎えるこの時期、ケイはこの店のアイスレモンティをよく注文した。夕暮れ時に馴染む紅茶の色が好きで、外のテラスで仕事の合間に休息を取る。本当ならそのまま家に帰りたいところだが、マモルを工作員に仕立て上げている以上、あまりのんびりした気分にも浸れずに事務所で仕事を続けることが多かった。 「遅れてすみません」  カナが小走りにやってきてペコリと頭を下げた。ケイは微笑んで姪っ子を見た。入って二ヶ月足らずだが、カナはすっかり駆除士の顔になっていた。もう自信なさげな学生ではない。 「どうだ、谷井は。新しい指導者とはうまくやれてるか?」  カナがアイスコーヒーを頼んだ後にケイが聞くと、カナは明るく頷いた。 「いろんなチームと仕事をするから、とても勉強になってます」 「そうか、良かった。谷井は指揮能力が高いから、伊達とは違う面が見られるだろう」  ケイが言うと、カナは一瞬表情を曇らせて目を伏せた。そして少し考えた後、丸く大きな目でケイを見つめる。 「伊達さんがハンターになったって噂は本当なんですか? 谷井さんが調査チームに立候補したそうなんですけど」  ケイはしかめっ面を軽く作って答えを渋るフリをする。今日、彼女を呼び出したのは、近況報告をしてほしかったのもあるが、このためでもある。  伊達マモルが表面上、ICCをクビになり路頭に迷ってハンターになったという筋書きはICCが提供したものだった。ICCは駆除士同士に流れる信頼感や結束力を舐めていた。それはケイも事前に警告した。伊達マモルは意外と人徳がある。後輩に慕われ、同僚に愛され、先輩に可愛がられている。何より親友でもある谷井ダイトは伊達マモルの行動に違和感を感じるに違いない。  思っていた通り、マモルがクビになった当初はダイトはICCを強く非難した。ケイにも何度もクビの撤回を求めてきた。マモルから駆除士であることを奪ったら何も残らないとまで言った。が、現在、伊達マモルはハンターとして名を知られるようになってきており、そのことをダイトが信じられないと同時に、もし本当であれば親友として正しい道へ導かなければと燃えるのもわかっていた。激しく燃え上がらないうちに、マモルが賞金稼ぎと接触できれば良かったのだが、ダイトの行動の方が早かった。ダイトは調査をかけさせてくれと管理官に嘆願し、その管理官はマモルの潜入捜査について知らされていなかったために上申し、その上も知らされていなかったために賛同した。  ICCとしては止める理由が見当たらなかった。対外的には伊達マモルは駆除士の恥であり、自浄作用を持たなければ今後の信頼に関わる。マモルやリベルがうまくやって警察に追われるような証拠が残らないからこそ、ICC自体が調査をかける必要性が高まってしまう。  ダイトは通常業務もこなすことを条件に、伊達マモルの現状調査をしたいと訴えたのだった。 「そうだな、伊達もバカだよな。クビになったからってハンターになるとは」  他人事のようにケイが言うと、カナは少し傷ついたような目をした。仮にも駆除士としての最初の数日間を共にした人間を信じたいという気持ちはわからなくはない。 「叔母さんは伊達さんがクビになって平気なの?」  管理官と駆除士ではなく、親戚同士になってカナは正義感を頬に表した。 「クビになる前に伊達のことは擁護したよ。それでも上がダメだって言うなら、私も従うまでだよ。私は伊達を守るためにここに入ったんじゃない。安定した職、高い給料、そしてきれいなオフィス。ICCは素晴らしい職場なんだ。それに公務員であることは高いポイントだろ?」 「でも幼馴染でしょう? もし本当にハンターになって悪いことをしてるなら、止めたいと思わない?」  ケイは少し考えるフリをした。ダイトの動きを知るには、カナの相談に真剣に乗ってやる必要がある。 「そうだな、もし本当にハンターならな。金に困って一時的にやってるんだろう」  そう聞いてカナはホッとしたようだった。 「谷井さんもそう言ってた。他の駆除士もみんなそう言ってるって」 「ダイトの奴、伊達をどうやって見つけるつもりなんだろうな。あいつは擬態のうまい虫並みに隠れてるぞ。ICCも一応調査をかけてるが真相がまだわかってない状態だからな」 「伊達さんの行きそうな場所はわかってるって言ってた。いつも休日に行ってた森や、趣味で調べてた地域に探りを入れてみるって」 「ああ、なるほどな」  ケイは頷いた。マモルはたまの休みもよく虫と戯れていた。数年前にはどこかの山の池で、水生昆虫の純正亜種を見つけてICCの学者たちの学会発表に使われていた。本人は名誉欲もないものだから、専門誌に小さな記事が出たぐらいで喜んでいたが、一緒に調査したICCの学者は業界内では一時ちやほやされていた。 「谷井さんに、叔母さんにも聞いておいてって言われてたんだった。伊達さんが立ち寄りそうな場所って思いつく?」 「んん…そうだな」ケイは腕組みをした。近からず遠からずという場所を伝えたほうがいいだろう。ダイトにはまだマモルを見つけてほしくなかった。 「私しか知らない場所となると、そう多くないが…マモルが両親と暮らしてた場所とかかな。あいつの親は虫に襲われて死んでるから近寄らないかもしれ…」 「え、そうなの?」カナが驚き、ケイはまだ聞いてなかったのかと思った。そうかもしれない。マモルは駆除士の試験の時でさえ、虫が好きだからだと言ったらしいから。マモルはみんなと飲んでいて、駆除士になろうと思ったきっかけが話題になっても、あまり自分のことは語らない。最初は同情されたくないからかとケイも思っていたが、ただ両親の死を思い出したくないだけかもしれなかった。 「知らなかった…」カナが小さくつぶやいてしょんぼりする。  ケイは笑った。「駆除士の中にはそういう奴も少なからずいる。伊達の場合はそういう境遇と、虫好きが同時に存在した稀な例だけどな。伊達を見つけたら、いきなり処分せず話を聞いてやってくれ」  ケイが言うと、カナは頷いて目を伏せた。 「さて、こっちもミッションがあるからな。義兄に会うのは祖父の葬儀以来かもしれないな。とにかくうまくやってると言ったらいいんだろう?」  ケイはカナの気持ちを切り替えさせるために言った。今から二人はカナの父、つまりケイの義理の兄と食事だった。かわいい娘を心配して、父親が出張ついでに近くに来たから食事をと言っているのだ。それについでのようにケイも呼ばれた。ほとんど接触のない義兄に呼ばれるとはケイも戸惑ったが、カナがぜひ一緒にというので了承した。 「そう。父は駆除士になるのは反対してたんです。ケイさん、お願い。私の味方になって」  カナはケイの狙いどおりに気持ちを切り替え、甘えるような顔になって手を組んだ。 「それはいいが…私の言葉が尊重されるかどうかは謎だな」 「大丈夫。ICCは粗暴な人たちばっかりって父は思ってるの。ケイさんみたいな人が説明してくれたらきっと納得してくれると思う」  はは、とケイは笑った。  そんな人間相手にするのは嫌だが、カナのためなら仕方ない。人当たりのいいICCの広報として安全で清潔な職場であることはPRしてやってもいい。 「わかったよ」  ケイが言うとカナは子どもっぽく「やったー」と喜んだ。
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