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本当にこんなことをしていていいのか、という迷いはマモルの報告書から痛いほど読み取れた。
ケイは額に手を当て、じっとその文章を読む。ミキのアカウントから自動転送された暗号化ファイルの報告書は、マモルの真面目な性格通り、きっちり週に一度は必ず上がってきた。異変があったときは二日に一度程度にもなる。このところは頻繁に報告が上がっていた。闇ハンターの育成に関わることになってしまったこと、そのために裏取引の薬剤を購入したこと、罪悪感にかられながらも薬剤業者の特定を試みて、首を突っ込むなと追い払われている。下手をすると殺されたり大怪我をしてもおかしくないところ、何とか蹴散らされる程度で終わって良かった。
裏の業界に信頼されるために、自分も危ない橋を渡る必要がある。マモルはそう覚悟して歩き出している。
ケイはサポートとして何かできるのか頭を悩ませた。
何しろ、裏工作をしなくても、ICCは伊達マモルの行動を非難し、孤立させることには成功してしまっている。ケイは何とか副長を捕まえて、マモルがいずれ復帰するときには種明かしをしてくれるんだろうなと問い詰めた。
副長はもちろんだと言ったが、その目は多少泳いでいるようにも見えた。それはケイの不安がそう思わせただけかもしれないが。
副長以外では、事務方にも数名協力者がいる。マモルを見た目上のクビにする手続きや、潜入中の業務管理、法的な取り扱いについても厳しい判断が求められるからだ。マモルがやむを得ず犯罪に協力していることを、どう合法的な手段として認めるか、その結論が出ない限り、マモルの身分は保証できない。
虫玉の流通が問題なのは、それ自体ではない。貴重な種の乱獲が問題なのは当然だが、それ以上に最近問題なのが、効果もないのに偽の虫玉を薬用だといって売り、健康被害が出ていること。それから、反対に虫と虫玉の高騰による投機詐欺も増えていることだ。新種の昆虫を作り出しては売りさばき、何かのきっかけでそれが脱走し、その土地の在来種を駆逐してしまったという事例もある。
そういった犯罪性の高い事例を追っている調査部の部長が桂木サキだった。彼女は計画発足時、マモルが成果さえ上げれば、全ての罪を握りつぶすと豪語していた。そしてその気迫は今も変わっておらず、ケイはホッとした。
「最近、副長の腰が引けてるのが見えて不安だったんです」
ケイは桂木がサラダをバリバリ食べているのを見て、青虫みたいだなと思いながら言った。桂木は細くて色も白いが、どことなく骨太でかなわない気がする。それは鋭い眼力のせいかもしれないし、ICCでもかなりの古株というのもあるのかもしれなかった。
「武田はたまに全体の空気に押し流されるからね。でも安心しなさい。私が引き戻す。当初の予定どおり、規定の報告が入っている限り、伊達マモルの身分は保証する。だけど上限は一年。その間にきっちり成果を上げる必要はあるけどね。こっちも伊達の能力を買って賭けに出てる」
力強い言葉が、薄い上品な色の唇から出る。
「それは理解しています。伊達もギリギリのところで踏ん張ってます。次の動きでは、かなり値の張る希少種を手に入れる必要があるとか。こっちで何かサポートしてやれることはないですか?」
ケイも自分のサラダをたまに口に運びながら言った。桂木のお気に入りのサラダランチは、大きなボウルにあらゆる野菜を詰め込んだボリュームサラダにパンとジュースがついている。ボウルには卵やベーコンも入っているが、ほとんどは野菜だ。
「保管してある押収品は出してやってもいいが、何しろ闇業者が作った玉だから、伊達が作ったものに比べると質が悪い」
「そうですよね。玉になってないものは?」
「国で保護してるものを撃たせろと?」
桂木がじろりとケイを見た。
「保護しているうちに、想定外に増えたものや、ある程度個体数に余裕が出たものがあるはずです。表向きは絶滅危惧種でも、実態は違うというような」
ケイが言うと、桂木は笑った。
「なくはないが、そんな情報は裏にも渡ってしまってる。すぐにバレて反対に疑われかねないよ」
「そうですか…。では伊達にはちょっと頑張ってもらうしかないわけですね」
「一つ案がある。国立昆虫館のバックヤードには、本物の希少種がたくさんいる。セキュリティは高いが、入りさえすればよりどりみどりだ」
「どうやって入れと? 伊達はピッキングもできない素人です」
「ピッキングは必要ない。全てオンラインで管理している。パスコードは毎週変更されるが、変更されれば通知が送られる。限られた関係者だけにしか送られないパスコードだが、上級駆除士なら規則がわかるかもしれないな」
ニヤリと桂木が笑い、ケイは眉を寄せた。
「教えてはくれないわけですね」
「私も設定ルールは知らないんだよ。私には規則性があるようには思えない。ただ、上級駆除士の中には読める奴もいるらしい」
「これまでのパスコードはどこかにあるんですか?」
「最近のやつをいくつか教えるよ。パターンはそこから推測してほしい。その後の生体認証が通らなかった場合は、別のコードが求められる。それはその本人のICC登録番号になってることは知られてない。どちらも三回間違う前に正しいのを打てれば、中に入れる」
「関係者ならわかる、という意味ですね」
「そうだな。平職員のじゃ気の毒だから、伊達捕獲を声高に叫んでいる事務長のでも使ったらどうだ。奴の会議中なんかにしておけば、アリバイもできていいだろう」
「都合よく邪魔者を更迭するつもりじゃないでしょうね」
ふふ、と桂木は笑った。怖いなとケイはグレープフルーツのジュースを飲んだ。
「伊達のおかげでICC内の構造もはっきりしてきたからな。高水だって薄々感じてるだろう。所内に虫玉流通で甘い汁を吸ってる奴がいるだろうってこと。たぶん、そいつらは信頼できるネットワークでつながってる。まずは新人の駆除士に虫玉のバイトなんかをさせてみる。その次には金銭的な問題や、弱みがある駆除士をピックアップする。そこから外部に引っ張り出すんだろう。闇に落としてしまえば口を割りそうになったときにも封じやすい」
「そういうスカウト制度があるかも、ということですね」
「だからICCの幹部にも関係者はいるだろうよ」
「事務長はどちらかといえば、経費節減の鬼みたいですけど」
「あれはただのバカだよ。鬱陶しいだけのバカ。しばらく黙らせてやればそれでいい。私は個人的には昆虫館も怪しいと思ってる。あの巨大エリアと、保護区の多くが人間を立ち入り禁止にしてる。好きなことができるってわけだ」
「伊達が侵入して何かを見つける可能性もありますか?」
「あるいはね。伊達には期待してる」
桂木はケイの背後にマモルがいるかのように、期待の目で見た。
ケイは少し考える。
「駆除士が関わってるのがわかってるんですから、内偵すれば良かったのでは?」
「内偵は伊達みたいなのには無理だ。それに、駆除士から出たものが外部で売買されていることには変わりない。両方から叩かないと根絶しない」
「内偵は誰が?」
「それなりに頭のいい奴がやってる。安心しろ。相殺させたりはしないから」
「それが一番気になるところでした」
ケイは桂木をじっと見た。本気だろうな。嘘じゃないだろうな。
「伊達はもう引き返せないところまで来ています。流通の中心を確認したら、すぐにICCとして保護します」
「いいだろう。高水管理官はデキる奴だと聞いてるから、今回の調査案件の特別監査として公式に認めておく」
「助かります」
「あとはコレ。なくさないようにな」
桂木がペーパーナプキンに文字を書き付け、ケイの方に出した。そしてケイのサラダを指差す。
「ちゃんと食べていけ」
ケイはパスコードらしい文字列を見て、ナプキンをポケットにつっこみ、立ち上がった。
「素晴らしいランチでした。ありがとうございます」
ケイが言うと、桂木はケイの出した手を見て、小さく微笑み、握手を交わした。
ケイは桂木が店を出ていくのを見守り、そして自分のサラダを見た。
ひとまずマモルの身分保障は何とかなりそうだ。
本当に内部調査との相殺にならないのか、あるいは桂木さえも陥れられないかという危惧は残るものの、そうなったら自分にはもう手の出せない範囲だなとケイは思った。
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