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 *  こんなところにケイが来たら、目立ってしまうんじゃないかとマモルは思った。直接接触はずっと避けてきたのに、今になって会うなんてのは、計画が中止になったとか、ケイさえもクビにされたとか、そういう悪い方針転換じゃないかという不安が拭えなかった。  しかも約束の場所は、昔は立派な建物だったのだろうが、今は屋根も柱も崩れ、なんとなく商店街かモールでもあったのだろうなと想像できる程度の屋台通りだった。こんなところ、俺も知らなかったぞと思いながら、マモルは指定された屋台を探した。飲食系の屋台が多いが、中には何だかわからない店もある。 「お兄さん、一杯やらない?」  通りには男女が立っていて、店に勧誘してくる。そのうちの何割かは性産業だ。 「悪いな、急いでるんで」  マモルがそう言って絡みつく腕をほどこうとしたら、ぐいと引き寄せられた。 「こっちだ」  ケイの声に驚くと、すっかりこの場所に馴染んだだらりとしたボロ服の女が立っていた。マモルの方が場違いな感じに見える。 「もっと先の店じゃなかったか?」  奥に入っていくケイに言ったら、ケイはふんと鼻を鳴らした。おそらく、おまえに本当の店を言ったら、誰かついてくるかもしれないだろう、といったところだろう。尾行されていないと思うが、用心はしたほうがいい。  暗い通路を抜けると、そこにもまた屋台街みたいなものがあった。日雇いの仕事帰りの男女がわいわい楽しんでいる。夜なのに子どもも働き、あるいは飲み食いしていて、マモルには異世界のようだった。  そのうちの一つの店の中に入る。個室ではないが、誰も隣の奴のことなんて気にしていない。というか酔って気にならない。あるいはラリって。 「ここのコウロギが美味いんだ」  ケイはそう言って、カウンターの大皿から勝手に料理をいくつか取った。酒も冷蔵庫から勝手に取る。金はそのカウンターに直接置いて、どうやら知った顔の店主が「まいど」と受け取っていた。 「ここって、闇市じゃないのか」  マモルが言うと、ケイは首を振った。 「闇じゃない。グレーだ。まぁ飲め」  そう言われて酒を飲む。ちょっと薬っぽい味がする。 「おまえは外に出ても足を踏み外すことがないから、こんな場所も知らなかっただろ。少しは世界を広げたらどうだ?」  ケイが言い、マモルは眉を寄せた。 「世界は広がっただろ。犯罪組織と関わって、国から虫を盗もうとしてる」 「違法な銃と薬剤を使ってな」  あははとケイが笑うので、マモルは何が面白いんだとムスッとした。  ケイはメイクなのか、顔も少し汚し、いつもストレートできれいな髪は油でまとまり、ごわついていた。それが深くかぶったフードから少しはみ出している。爪もネイルをはがし、指には赤い斑点があった。本当に病気じゃないといいがとマモルは思ったが、ケイのことだから心配するとうるさがるだろう。 「大仕事の前に緊張をほぐしてやろうと思ってな。ちょっとした接待だ」  ケイはコオロギをつまみながら言った。何かの幼虫っぽいものの野菜炒めもある。おそらく苦味を消すために香菜とニンニクを使っている。 「確かに」  マモルは息をついた。自分が方向性を失いつつあるのは自覚している。ケイを見て、自分がまだICC側にいるんだと実感したのは大きい。 「リベルについての調べは進んだか?」  マモルが聞くと、ケイは不満そうな顔をした。 「おまえ、接待だって言ってるのに仕事の話か?」 「は? じゃぁ何だ。恋愛相談でもしろっていうのか」  マモルはイラッとしてケイを見た。ケイは軽く笑う。 「相変わらずだなと思っただけだよ。リベルな、リベルはよくわからない。若い野心家ってことだけだ」 「そんなのは俺でもわかる」 「怒るなって。もしリベルに裏があるとしよう。どんな裏が考えられる?」 「最初は、俺が犯罪を犯して、それを捕まえるっていう囮捜査かと思った」 「でも逮捕されていない」 「今はな。その展示会ってのに行って、例えばその政治家なりICCの関係者につながったときに、一網打尽って筋は残ってる」 「その時はICCがおまえを保護する」 「つまり、リベルは危険じゃないと思っていいってことか?」 「いや、危険だ。リベルはおまえの味方じゃないことは確かだ。最終的におまえは虫玉業界を潰そうとしてるんだぞ。リベルがその一端なら敵だろ」 「ん…。なんかあいつ、俺がやろうとしてることも全部わかってそうなんだよな。その上で踊らせてる感じがする」 「踊らされている感じがするわけだ。おまえが自覚できるぐらいに」  ケイが楽しそうに言い、マモルはさらに眉を寄せる。 「からかいに来たのか?」 「違う。相変わらずまっすぐで安心した。リベルの目的はおまえの目的に沿うんだよ、おそらく」 「虫玉業界を壊すこと?」 「そう。おそらく再構築したいんだろう。今は既に業界ができてしまってるが、おまえが中心をハンマーで叩いてくれたら、業界が激震する。そこでいち早く仕組みを再構築したものが次のトップになる」 「再…構築?」 「伊達、おまえは無邪気だから今の仕組みを壊せば、もう二度と違法虫玉取引は発生しないと思ってるかもしれないが、それは違う。こんなのはイタチごっこだ。次から次へと違法なルートは作られる」 「じゃぁ俺は何のために?」 「今のルートを壊すためだ。ICCがメインで関わってる今の仕組みはマズイ。だからICCが金を出して壊そうとしてる」  マモルは絶句してケイを見た。 「なんだそれ」  辛うじて出たのが、その言葉だった。その声もかすれ気味だった。 「でも意味がないわけじゃない。関わった駆除士のうち、何割かは足を洗いたくても洗えない状況に追い詰められてると思われる。自殺する奴だっているだろう。それに今の粗悪品が出回るルートが潰れて、もうちょっといい商品が出回ることで、事故や誤射も減る。少しはマシな世界になる」 「ICCの信頼回復もできる…ってか」 「その通り。駆除士の待遇も改善されるだろう。それはいいことじゃないか」  マモルは息をついた。  料理された虫を眺めながら、混乱する頭を整理する。 「意味はある、ってことだよな」 「ある、ある。大いにある」 「俺が闇業者に技術を教えるのは、ICCとしても問題はないってことか」 「公開されなければな。だから内密に処理しろ。それはおそらくリベルも理解してる。あいつもICCを利用したいわけだから」 「今回、希少種を俺が盗むとしても、それに見合うメリットがある?」 「実のところ虫の命なんてどうでもいいのさ。年間、何百、何千と絶滅種は出る。そして新種も出る。それが虫の世界の自然だ。だったらそこに人間がどうこう言ってる今の世界はどうっちにしろ歪んでるんだよ」 「…で、事務長の評価が下がるのに俺は手を貸すのか?」 「派閥争いみたいなもんだな」 「クソ」  マモルは舌打ちをした。ケイと会って、自分がICCだと再認識したにも関わらず、やっていることがわからなくなってきた。 「だけど伊達、だからこそICCはおまえを守る。上級駆除士をクビになり、伝説のハンターになんて転身させられるわけがない。そんな汚名はいらない。だからさっさと仕事を終えて戻ってこい。これが終わったら、おまえには二度とこんな仕事はさせないから」 「本当だろうな」 「本当だ。おまえ、内偵に向いてなくてよかったな。内偵だったらもっと精神を病んでただろうな」 「内偵もしてんのか?」 「そりゃしてるだろう。誰か教えてもらえなかったがな」 「終わったら、そいつと飲みたいな。愚痴を言ってさ」 「全部終わったら手配してやろう」 「な、そういうの、叶わないフラグっぽいよな」  マモルが言うと、ケイはニヤリと笑った。 「何、悲観的になってるんだ。飲んで食え。私はやると言ったらやる」 「そうだな。でもケイ、俺が下手打ったときは、他人のふりしていいから。おまえまで巻き込まれることはない」  そう言うとケイはまた楽しそうに笑って、マモルを箸で指した。 「それはおまえに丸ごと返す」  そう言われてマモルも笑みを浮かべた。少し元気が戻ってくる。 「おまえは人間だって生態系の一部で、虫に食われる奴もいれば、虫を倒すやつもいるって思ってるんだろう? だったら胸を張って生きればいい」 「とはいえ、俺も人間界のルールには従わないといけないわけで」 「そうだな、辛いな」  ケイが他人事のように言い、マモルは悩むのがバカバカしくなってきた。  明日の夜、昆虫館のバックヤードに入る予定ではあるが、犯罪者になる覚悟のような、諦めのようなものが生まれつつあった。裏に誘い込まれた駆除士の多くもこんな気持を味わっているのかもしれない。なんとなく流れがついていて、そこに落ちてしまい、もう抜け出せなくなるような。助けを求める声も枯れてしまうような。 「辛いを超えてるな」  マモルがつぶやくように言うと、ケイがグラスを上げた。  マモルは小さくグラスを当て、ぐいと酒を飲んだ。ケイがコオロギを食え食えと言うから、気が進まなかったが食べた。虫自体の味というよりは、歯ごたえがカリカリで、甘辛いソースが美味かった。
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