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彼の手荷物は竹かごのようなもので、歩くたびにガサガサと音がした。歩くタイミングとずれて音が出ている気がする。これっていわゆる昔の釣り人が持っていたようなびく? 今夜のご馳走はこの中に?
盆は殺生を禁じられた期間と聞いたことがある。いつもは川に腰まで沈めて釣りを楽しむ人が見られないのも、今が盆だからだ。もしびくの中身が今夜の夕飯なら……何となく気が咎める。もし鮎なら高級食材と言えなくもない。釣りをする人は別として、こんな田舎でも天然鮎はあまり口にできないものだ。
「ねえ、これからどこ行くの? 夕飯って何?」
できるだけ明るく聞こえるように声をかけた。彼はぐいぐいと手を引っ張る。振り向いた彼の顔に光が落ちて、とろけそうに笑っているのが分かる。
「もうあとちょっと!」
彼は急に遊歩道から外れ、草むらをかき分けて進み始めた。えっと驚くが、釣り人がいつも使っている草道なのか、意外とすんなり歩くことができる。それでも葉の長い草に邪魔されて、彼の姿が見えない。つないだ手だけが頼りだ。先ほどまで浮ついていた心に、シミのようにポツポツと疑惑が浮かび始める。どこに連れて行かれるのだろう。手を振り払ってしまいたい気持ちもあるが、こんなところで放置されるのもたまらない。心に恐怖が影を落とすのと対照的に、空は夏の輝きを取り戻しつつある。雨降りの時に感じる独特の懐かしい匂いが辺りに充満していく。
「これこれ!」
彼は喜びの声をあげて、走り出した。目の前には川を挟んで例のテーブルがある中州。思ったより川の中央に近づいていたのだ。
「こんなところまで来てどうするの?」
「とっておきの夕飯があるって言ったでしょ~。さあ早く」
彼は川へと歩を進めた。冗談じゃない。中流域のこの地域なら、水深が深くてとても中州へなど渡れるはずじゃないのだ。つないだ手を振り払おうとした。
「ねえ、特別な食事なんだから、黙ってついておいでよ」
ギラギラとした目に射抜かれる。東屋で嬉しそうに笑っていた唇は頬まで裂けているように見えた。すくんで声が出せない。そのまま川の中へ引きずられていく。
どういう理屈かは分からないが、彼がじぐざくと進む道は全て浅瀬で、足元を少し濡らすだけで、水の中に沈むことなく中州に近づいていく。橋の上からは決して分からない、牧歌的な川面に見えても、人など簡単に飲み込む強い流れがあるはずなのに。混乱のうちに中州へと渡ることができた。胸の鼓動が強く鳴り響いてとまらない。彼はやっと手を放してくれた。まだ彼は歩みを止めない。あのテーブルに向かって突き進んでいく。
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