死んだ人がかえってくる日

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■ 「ひっ……あぁ゛ッあっ……」 「あは、すご……海神くんのなか、あっつ……」 身体の中から音がする。ず、ず、と肉を割り開いて侵入する音がする。腰を掴まれ揺さぶられると気持ち悪いのに一人でに声が出てしまって、それだけで赤枝は気分をよくして動きを激しくした。抽出が早まり、ローションの滑りが足りなくなってドパドパと追加で臀部に垂らされる。冷たい液体が股の間を通るとなんだか漏らしている気分になった。 「それ、やだ……あっ」 「でも痛いのは嫌だよね? 僕も気持ちいいことだけがいいなぁ」 ガンガンに冷房を効かせた部屋は鳥肌が立つくらい寒い。密着する赤枝の肌は人の体温を感じられないほど冷たい。それなのに胎の中がとにかく熱くて、擦られて押されるともっと熱くなった。 「ははっ、ねえすごいよ、海神くんの僕の咥え込んで締め付けてんの、写真撮っていい?」 「やだ、やだぁ……ッ」 「冗談。かわいいね」 顔なんて涙と鼻水と涎で見れたものじゃないだろうに、赤枝は俺の頭を枕に押し付けると上から覆い被さってキスをした。 先を尖らせた舌が唇をこじ開けて舌に絡みつく。逃げようと引っ込めると追いかけて、痛いくらいに吸い付かれた。 「朝ごはんパンだった? いちごジャムの味がする」 「海神くんの舌は甘くて美味しいね」なんて笑う男の感性が信じられない。気色悪い。俺はお前と違って男なんて好きじゃないのに、お前のことなんて好きじゃないのに。 言いたい言葉は全部口に出せなくて、代わりに唇から漏れる声は情けない「あ、あ」と意味のない言葉だけだ。 締め切られた部屋にどこから入ってきたのか、蝿が飛んでいる。赤枝の肩に止まったが彼は気付いていないようだった。多分、そんなことも気づかないくらい夢中になるものが目の前にあるからだろう。 「あ、ああ゛〜〜〜……気持ちいい……海神くんの中から出たくないなぁ……」 腹の中が熱い。多分中に出されてる。びゅるびゅると脈を打つ雄の鼓動をうねる内臓で受け止めながら、何度目かわからない意識の薄らぎを感じる。 「こら、気失ったら駄目だよ。……気絶しても止めないけど」 怖いことを言いながら体勢を変える。繋がったまま下半身を持ち上げられ、お互い腰を突き出した状態でまた赤枝が抽出を再開した。だらりと何の反応も見せずに萎えた自分の性器が曝け出される。身体を激しく揺さぶられるたびに跳ねて震えるのが見えた。 恥ずかしくて気持ち悪くて嫌で堪らない。ずちょずちょと鳴る音と精液の臭いで吐き気がする。唇を押し付けてくる赤枝の顔を腕で押して引き剥がし、身体を仰け反らせて横を向いた。胃の中のものは出なかったが、口の中に残っていた唾液がシーツを汚す。 「……僕とキスするのそんなに嫌? ひどいなぁ」 「ひッ、あ゛ぁあ……!?、待……とまっ……!」 何度か位置を調整するように彼の腕の中で身体を転がされ、一番深いところまで繋がる体勢で寝転がされる。皮膚とその下にある骨同士が当たり、ゴツゴツと硬い音を立てた。 「うわっ、すげ……ッ、先っぽ吸い付いてくる……ッ」 いつにない荒い口調で赤枝が何か言っていたが、それを聞き入れる余裕はなかった。痛い。きつい。苦しい。身体の内側から抉られて破られてそのまま殺される。そのうちア゛とかオ゛とか意味を持たない声が聞こえ始めて、段々とそれが自覚なく叫んでいる自分の声だとわかってくる。でも、そんなことも気にならないくらい心が飛んでいた。 ここまでくればもう聴覚なんて使い物にならなくなる。鼻水と涎でにおいも味もわからなくなって、涙が止まらなくて目の前のものもはっきり見えない。 「ぁか、し……ぃ……」 「海神くん、僕はここにいる、ずっといるよ」 力の入らない腕で必死にすがった先にある身体は、酷く冷えてぶよりと妙な柔らかさを手のひらに残した。 目を覚ますとそこはまだ汚れたベッドの上で、汗とローションと色んな体液に塗れたそこに俺は寝かされていた。 無茶な体勢を強いられたせいで腰も背中も痛いが、それよりも擦られ続けた粘膜が痛い。血なんて出ていないだろうな。横を向いて手探りでずっと男を受け入れ続けた場所を確認しようとするが、顔を横に向けた途端赤枝と目が合って悲鳴が出た。 「触ったら駄目だよ、今薬を塗ったところなんだから」 手際良く軟膏なんて用意していた赤枝が「ね?」と俺の手首を掴んで制する。俺はといえば、悲鳴を上げたせいで傷んだ喉にとどめを刺してしまい、ひり付く痛みでそれどころではなかった。喉をおさえて耐えていると、手際良くペットボトルを取り出した赤枝が水を差し出す。差し出されるのと同様に無言で受け取り口に含むと、ひやりとした液体が喉を通り少しはマシになった。 「あー」と声を出したが、嗄れたそれはまるで自分のものではないようだった。 「げほっ……これで満足したかよ」 「ちょっと、恋人同士のピロートークだよ。そんな言い方ないんじゃない?」 「気色悪いこと言ってんなよ!」 腹が立った。俺と赤枝は友達だ。きっと他の奴らにはわからない生き辛さを俺は赤枝にだけ感じていたし、彼の隣にいるのは心地よかった。それは俺にとって友情でしかなかったし、それだけでよかった。別の形に押し込む必要なんてなかったのだ。 だが、赤枝はそれを壊した。踏みにじった。 玄関先で引いた俺の手をしっかり握りしめて離さず、そのまま宿泊施設に押し込まれてしまったのだ。抵抗しなかったわけじゃないが、強くはできなかった。お前のせいで死にきれないのだと責められて、どうして俺に抵抗が許されるだろう。 だが、せめて二人きりの落ち着ける場所で話を聞くつもりだった。こんなにあっけなく辱められるつもりはなかったのだ。 満足に抵抗もできないまま押し倒されて、獣のように服を破かれたときの恐怖と羞恥が蘇る。怒りで手が震えた。俺が赤枝にした酷いことと同じくらい、俺は彼に酷い裏切りを感じている。 「もう許してもらおうなんて思わない。お前は俺を許さなくていい」 「だから近寄るなって? 無理だよ」 「じゃあ何で消えねえんだよ! 付き合いたいんだろ!やることやってそれで終いじゃねえのかよ!何思い残してんだよ!」 赤枝が喚く俺の手を取った。ずっと触れ合っていたはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない氷のような皮膚がひたりとくっつく。 「ねえ、何か勘違いしてない? 君のことを辱めるためにこんなことをしたわけじゃないんだよ」 「うるせえよ、こっちからしたら同じだこのホモ」 「それだよ」 柔らかな彼の声が冷たくなった。思わず身体を硬直させると、赤枝が口元だけで微笑んで見せた。薄く開いた唇の狭間から何か蠢くものが垣間見える。 ──何だ、あれ。 それが何なのかわかった瞬間悲鳴が出た。実際には潰れた喉の奥から掠れた声と空気が発せられただけのものだったが。 「海神くんもお母さんと同じことを僕に言うんだね」 「あか……ッ、くち、に……!」 赤枝が口を開くと同時にうぞうぞと唇を割って黒いものが湧いて出る。細く長い脚を持つそれは一匹二匹と身体の外に出ては、細い糸を垂らしてシーツの上に散らばった。それが四方八方に逃げていく。 生きた蜘蛛が口から出て逃げたのだ。 「ああ、ごめん。行為中は頑張って耐えてたんだけど」 何でもない顔をして口を閉じ、喉を鳴らす。再び口を開いた口腔は肉色一色で、そこに先ほど目にした黒い点々は存在しない。 「もう大丈夫だよ、キスしようか?」と笑う男のことが信じられなかった。 これは本当に赤枝なのか? 後ろのない壁に精一杯身体を押し付けて後退る俺を見下ろして、赤枝の顔をしたそれは微笑んだ。 「ねえ、僕言ったよね。裏切るようなことしちゃったかなって。僕に嘘を吐いたの? 裏切りとは思ってないって言ってくれたのに」 「やだ……嫌だ嫌だ嫌だ! 離せ! 離せ化け物!」 「僕ね、海神くんが突き飛ばしたのを恨んでここにいるわけじゃないよ。僕が嫌だったのは、君が言った内容のほう」 「誰か助けて! 誰か! 誰かァ!!」 「許せないのは拒絶したこと自体だ。その結果命を落としたのは、それはまあ残念なことだけれど。仕方のないことじゃないかな。そもそも僕は君を好きでいさせてくれるなら、あとは何をされてもいいくらい君のことを愛しているんだし。……ねえ、海神くん」 両側の頬を両手で押さえられる。それから何か反応する間もないくらい早く、男の唇が俺の唇を掠めた。開いた舌がぬるりと這う。カサリと音を立てて粘膜に何かが突き刺さるのを感じた。 全力で身体を押し退ける。床に唾を吐き出すと涎まみれの蜘蛛が床でもがいていた。 「……ッ」 「海神くんはね、僕の神様なんだよ」 「ちか、近寄るなッ! 近寄らないで……!!」 「君には僕を受け入れてもらわなきゃ。君だけが僕を幸せにできるんだ。君だけが僕の光で救いなんだから。僕には海神くんしかいないから」 こちらを見ているはずなのに焦点の合わない赤枝の瞳がぎょろりと動く。青白い角膜の奥にある水晶体に蠢きを見せる何かがあった。 「お願い、時間がないんだよ」 じっと目を凝らし見つめると、赤枝の瞳から涙のような白い蛆虫がぽとりと落ちた。 ………… …… … それからの記憶は曖昧で、からだじゅうの感覚も意識も、すべてがふわふわとしている。 なめてといわれたからしたをなめて、のんでといわれたからてのひらにだされたものをのんで、たべてといわれたからからだをたべて。きってえぐってつぶしてかんで、おってくだいてさいてわって。 「いっぱい食べてね。僕の身体を、君の中に閉じ込めて」 言われたことは、ぜんぶしてあげた。 ── 女は腹を立てていた。一昨日の朝は息子の様子がおかしくて、部屋中の電気がつけてあったりカーテンを全部開けられていたりと散々だった。こっちは夜勤明けで帰宅した身だ。すぐに寝てしまいたかったし、なんなら息子と顔を合わせたくもなかった。決して嫌いなのではなく疲れていたからだ。息子も理解があるのか、平生であれば顔を合わせないように時間を合わせて家を出ていく。その日は顔を合わせたばかりか、使った食器を片付けもせず出て行ったのだ。 苦労して女手一つで育ててきたというのに、そのくらいの気の遣い方もできないなんて。 しかし一度眠り目を覚ましてよくよく家の様子を確認すれば、妙なことはそれだけではなかった。トイレには饐えた臭いが充満し、人が吐いたものだというのはすぐにわかった。風呂場の鏡はなぜかタオルで塞がれていたし、外を這って徘徊しそのまま家中を這いつくばって移動したのかというほど床には砂や砕けたガラスが散らばっている。 もしかして何かあるのかしら。例えば、あの子に限って虐められているなんて。 女は自分の苛烈な性分をよくよく理解していたし、それが原因で一時は寄り添った男と喧嘩別れをしたこともはっきりと自覚している。息子が気の弱い子供だと感じたことはなかったが、家の中と外とで顔を使い分けるのはよくあることだ。 今日帰ってきたらちゃんと話を聞いてあげよう。曲がりなりにも愛情深く息子を想う母親として、そう考えていた。 しかしいくら待っても息子は帰ってこない。それどころか今日は学校に来ていないとまで連絡が届き、帰宅を待つ間に次の夜勤の時間が来てしまった。 労働明けの疲労と寝不足と心配と不安を胸に帰宅すると、玄関に見慣れた靴が見えた。息子のものだ。 帰っている。安堵と同時に怒りが湧き、どすどすとわざと音を立てて廊下を歩く。正論も順序も全て頭からすっぽ抜けて、ただあいつを怒鳴り散らしてやりたかった。家に入った途端に感じた嫌な臭いはお隣さんかな、なんて頭の隅で考えながら。 「ちょっと! あんたどこ行ってたのよ!?、……きゃ、きゃああーーーー!!」 ノックもせず一人息子に与えた部屋の扉を開けると、そこにはちゃんと息子が眠っていた。 母親の悲鳴を聞いて海神が目を開ける。 「あれ、母さん帰ってたんだ……恥ずかしいところ見られちゃったな。……うん、ごめんって、ちゃんと紹介するよ」 疲れ切って歯を磨かずに眠ってしまったから、口を動かす度に赤枝の味(・・・・)がする。 男と付き合っていることを隠す気はないが、わざわざ母親に自分と恋人の寄り添う姿を見せる必要はないだろう。そう思って“恥ずかしいところ”と言ったが、それを聞いた赤枝が拗ねてしまった。軽く謝って、機嫌を取るために自分からキスをする。新しい住処を探して口腔へ入り込んだ蛆虫は噛んで潰した。 ──ほら、海神くん。お義母さまに僕のこと紹介してよ。 赤枝の声が聞こえる。……聞こえているのだろうか。もう耳の感覚はずぅっと前からおかしくなっていて、よくわからなかった。 でも、赤枝の声なら聞き間違えないよ。大好きな俺の恋人。 「母さん、この人赤枝って言うの。俺、この人と付き合ってるんだ」 頭は割れ首は背中に回り腕と脚がそれぞれ折れて骨の剥き出しになっている死体の胸に頭を預け、口元を赤く染めた海神は幸せに微笑んだ。 通知で光ったスマホのロック画面は8月17日を表示している。 昨晩送り火を焚かれた彼岸の向こうの彼らはもう留まってはいられない。亡くなったあと、一年で数日だけ此岸に戻ることを許された期間は終わりを告げた。少しの間留まる猶予を許された赤枝の魂はもうそこにはないのだ。
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