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「お母さん、遠くの空が真っ白だよ。あれなあに?」
少年が指差す山の向こうには夏の入道雲よりも大きく、高い白い塊が渦巻いていた。白い塊はゆらり、ゆらりとうごめきながら少しずつこちらへと近付いてくる。
「…あれは魔女様よ。体から人を眠らせてしまう霧を出し続けてしまう魔女様。一箇所に霧が集まりすぎないようにずっと人のいない場所をあるき続けているの」
母親は「あぁ、もうこんな季節なのね」と息子の手を引き急かすように歩き出した。
「魔女様、ずっと一人で寂しくないのかな」
「寂しいかもしれないけれど…人は魔女様の霧を一息吸ってしまうだけで長い間眠ってしまうから誰も会いに行けないのよ」
「そっか…寂しくなくなるといいね、魔女様」
去りざまにもう一度振り返って見た大きな霧の塊はまた少し、こちらへと近付いていた。
〜〜〜
私は、今日も一人歩く。
「死体になったからと言ってその呪いが解ける確証はない。人の少ない大陸の北側を歩き続けて、人も、生物も住んでいないお前の生きれる場所を探しなさい」
まだ私の体からこんなにたくさんの霧が出ていなかったころ、お城を立ち去る日の朝にお父様はそう言った。
人も生物も住まない土地なんて聞いたこともないし誰も知らない。そんな土地を見つけることができるだなんて思わなかった。一人ぼっちの旅にも出たくなかった。
でも、わがままは言っていられなかった。これ以上家族にも、お城の皆にも迷惑はかけられないから…。
「魔女が!!魔女がこっちに来るぞ!!皆遠くへ逃げろ!!」
遠くで人の悲鳴がいくつか聞こえた。どうやら人の町かキャラバンでも近くにあるらしい。
最近は私の周りの霧が濃ゆく、大きくなりすぎて歩く先は何も見えない。どこまで歩いても真っ白な単色の世界。だから最近は間違えて人に近付いてしまうことが多々ある。
「ごめんなさい…ごめんなさい…。はやく、はやく見つけないと」
人を一人、一人と飲み込むごとに焦りと不安で胸がいっぱいになる。この人達はどれぐらい眠るのだろう、眠ったまま死んでしまわないだろうか…。
「きゃぁっ!」
焦っていたせいで足元の注意がおろそかになっていた。今回は何かに躓いて転んでしまっただけだったけれども、これがもし崖だったらと考えると全身を悪寒が走る。
「これは…?何?」
地面に打ち付けた膝をさすりつつ転んでしまった原因を手探りで探すと大きな一冊の童話集が見つかった。背表紙に『世界の童話』と書かれているように世界各国の童話が集められているせいか手に取るとずっしりとした重みがあって読み応えがありそうだった。
表紙の砂埃を手で払いパラパラとページをめくってみると何カ国かの言語で話が書かれていることが分かった。それぞれのお話の現地の言葉で書かれているのだろうか?
しかし、ほとんどのお話が私の国の言葉ではないようだけれども見覚えがあった。まだ私がただの一人のお姫様だったころにたくさん勉強をさせられたせいだろうか。
パラパラパラ…。大きな本を流し読みにし続けていると一番最後の童話に見覚えのある挿絵が付いていた。
たしか、獣の姿になってしまった少女を愛する人、王子様が迎えに来るお話だ。そういえば、といくつか話を遡って見てみるとそれも愛する人と結ばれる話だった。
「私にも、いつか迎えに来てくれる人が現れるのかな」
誰一人近づけない霧の中、そんな夢が叶わないことは分かりきったことだったけれど。どうしても願わずにはいられなかった。もう、一人きりは嫌だった。
「もう、行かなくちゃ」
大きな本を閉じ、胸の前に抱えると私はまた、歩き出した。
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