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「たまたま通りかかったら、きみが一人で溺れてるんだもの。びっくりしちゃった」
「一人、で?」
田辺くんが聞くと、女性が不思議そうな顔で頷いた。
「ええ、そうよ」
その答えを聞いて、田辺くんはあの、透明な目をした男の子の姿を思い出した。あれは、よく怖い話に出てくる幽霊だったのだろうか。
寒さのせいか恐怖のせいか、とても寒気を感じて身震いする。それから、あれ、と疑問が湧いてきた。
「あの、おじさんがいませんでしたか?」
土手の上から怒鳴りつけてきたおじさん。彼の姿が、どこにも見当たらない。
「いいえ。そんな人、見てないけど」
女性は、首を傾げながら真顔で答えた。
「そう、ですか……」
田辺くんは俯いた。もしかしたら、おじさんは怒るだけ怒ってどこかに行ってしまったのか。自分は見捨てられてしまったのか。そう思うと、ひどく悲しくなった。
涙がこみ上げてきそうになった、そのとき、ウーウー、と警報があたりに響いた。ダムの放流を知らせる警報だった。
「上流の方では凄い雨みたいね。こっちも降ってきそうだし、とりあえずここを離れましょう」
女性に手を引かれ、田辺くんは立ち上がった。それから家まで車で送ってもらい、そこで女性とは別れた。全身びしょ濡れの田辺くんを見て驚いた母親にいろいろと聞かれたが、正直に話すことさえ怖くて、適当に誤魔化した。そのときには外は土砂降りの夕立になっていたので、そのせいで濡れたと言えば、なんとか納得してもらえたそうだ。
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