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「きみは、水が降るより星が降るほうが珍しいと思うかい?」
八月九日、晴れ、いちじ雨、高台にある図書館を出たところ。ぼくは、そんなことを言うやつに出会った。そいつは自分を、「きみたちが言うところの宇宙人だ」と言う。
三時をすぎて急に降ってきた雨の中、ぼくと同じくらいの年に見えるそいつは、両手を広げて空を仰ぎ、全身に雨を浴びていた。茶色の髪から水がしたたり、白いTシャツも若葉色の短パンもびしょびしょだ。プールのあとのシャワーでもこんな浴び方しないと思うほど気持ちよさそうにしていたから、ぼくは握りしめた傘を差し出そうか迷っていた。
そういえばこんな感じの写真がある映画を、お父さんが観ていた気がする。おっかなそうで、ぼくは見れなかったのだけど。
「……か、風邪ひくよ」
だからそれがぼくの精一杯だった。その返事が、
「きみは、水が降るより星が降るほうが珍しいと思うかい?」
わけがわからなかった。ぼくは国語テストで漢字が思い出せないときのように首を右へ左へひねって、「ちがうの?」と尋ねる。リュックの中で借りてきた大きな星の本がずれ動き、一緒になって問いかける。
もうすぐペルセウス座流星群がやってくるのを、ぼくは楽しみにしていた。流星群は一年のうちに何度かあるだけで、雨なんていつだって降る。今日は夕立で、こないだは台風、梅雨入りが早かった六月は、半分以上傘をさしていた気がする。
「ちがうよ」
そいつは言った。ますますわけがわからなくて、ぼくは「風邪ひくってば」とそいつの腕を取り、坂を少し降りたところにあるバス停の待合所を目指して走った。いや、風邪ですむならまだいい。髪が雨に濡れるとハゲるんだ。酸性雨ってやつのせいで。
平気だってば。笑った声でそいつは言うけど、握った手首はとても冷たい。ばちゃばちゃと水を跳ね上げ駆けていると、道路の端に丸看板がついたバス停と、木製の小屋のような待合所が見えてきた。
中に滑り込んだぼくは、息をぜえはあさせながら傘をたたむ。小さなそこは、ふたり掛けのベンチと小窓があるだけだ。雨がぱたたと屋根を叩く音がくぐもって聞こえる。湿ったにおいが充満していて蒸し暑く、屋根と壁の境界に雨が染み出していた。
「だいじょうぶ? ちょっとここで、あまやど、り……」
そいつを振り返ってあぜんとした。びしょ濡れだったはずのそいつが、今や何事もなかったように乾いているのだ。
髪も服も肌も、ぼくのほうがずっと濡れている。そればかりか茶色かったはずのそいつの髪は銀色で、あたりの街路樹の緑を映し取って、発光したようにきらめいていた。
「ほうら。言ったろ、平気だって」
笑い顔でもう一度言う。さっき見たよりも心なしか大人びて、不思議な雰囲気をまとっていた。男子と言われても女子と言われても、ぼくはたぶん納得すると思う。
夢だろうか。本当のぼくは図書館で眠りこけていて、今ごろよだれを垂らしているかもしれない。だけど走ったせいで耳のうしろはどくどくしていたし、ふくらはぎに引きつれるような痛みがあった。ほっぺをつねるまでもない。
「その、髪……」
「おっと。ちょっと間違ったか」
そいつが髪をひと撫ですると、もとの茶色に戻った。ぼくはいよいよ混乱して、ベンチにすとっと尻もちをつく。その拍子に、雨か汗かもわからないものが顔の横を伝い落ちた。
握った手首は冷たかったけど、しっかりと肌の感触があった。走ったときも体重を感じた。一緒になって水を蹴ったのも覚えている。だからおばけの選択肢は、ぼくの中からすぐに消えた。
「きっ……きみ、何者? もしかして宇宙人?」
「ああ。きみたちがこの星を地球と認識し、この大気の向こうに広がる空間を宇宙としているのなら、ぼくはきっときみたちが言うところの宇宙人だ」
ぼくの隣に、宇宙人が座った。やっぱりよくわからないことを言いながら。ベンチが軋む音にびくっとして、ぼくは拳ひとつ分だけお尻を離す。
「う、宇宙人て、地球の言葉をしゃべれるの?」
「少々観察すれば、意思疎通を目的とした言語をトレースし習得するのは大した問題じゃない。この服というのもトレースした」
「宇宙の、どこから来たの?」
「うーん、どこって言ってわかるだろうか。♮∋Ň#って」
なんて言ったのか全然わからない。わからなすぎて、ぼくは青いリュックから借りたばかりの本を出した。図鑑だから重たくページがたくさんある。
「この中にある?」
どれ、とそいつは表紙をめくり、そこから一気にページをばららっと指で弾いた。まるでトランプを操るマジシャンだ。中身が読めているとはとても思えない。だけどある場所でぴた、と止まり、ぼくに見えるように開く。
「ここというわけではないが、これが一番近所の星になる」
そこは、地球から遥か遠い遠い星だった。
ケンタウルス座の方向に340光年。台風みたいにHD 131399Abという記号だけが振られた惑星で、木星の四倍、恒星を三つも持っているというとんでもない星だ。その星では、鉄の雨が降るのだという。
ぼくは真っ先に、鉄棒を思い浮かべた。それから家の車を、ビルを、橋を思い浮かべた。そんなのが空から降ってくるなんて怖いし痛い。
「地球に生まれてよかったぁ……」
天気予報を見て、傘を持っていかないといけない憂鬱さも、うっかり傘を壊して帰ったときのお母さんの怒りも、ぼくは好きじゃない。だけど鉄が降ってくるのに比べたら全然マシだ。
「そうだな。ここは平和だ。雨がやさしい。透明な水の雨などはじめてだ。豊かな水や海があるから、雨がとてもやさしいのだ。水の一粒一粒が大地を潤し、草木や動物を育てる一助となっている」
そう告げるそいつも、やさしい顔をしていた。
だからさっき、気持ちよさそうに雨に打たれていたのだろう。待合所の外を見るそいつにつられ、ぼくも視線を送る。さーっと降るその中に混ざって、セミが羽をふるう音がする。日の明るさがところどころで木漏れ日のように差し込んで、道路のアスファルトを照らしていた。もうすぐ晴れそうだ。
「ほかの星では流星どころか隕石がぼこぼこ降ってくる。大気圏がない星は多いからな。雨だって鉄だけじゃない。ダイヤモンド、強酸に油。ガラスの雨が降る星はひどかった。強い風で身体にグサグサ刺さってくるんだ。その脅威といったら、この星の言葉じゃ言い表せそうにない」
脅すような口ぶりで言われて思わずぶるっと震えた靴のかかとが、乾いたなにかをくしゃっと踏みつけ、それにまで驚いてひゃっと叫ぶ。宇宙人がケラケラと笑ったのが少しだけむかついた。
恐る恐る足をスライドさせてみると、ギラギラに光るコガネムシの死骸が転がり出てきた。肺からたっぷりと息を吐き、図鑑をリュックにしまって拾い上げる。
「なんだそれは。きれいだな」宇宙人が覗き込んでくる。
「コガネムシ。昆虫だよ。もう死んでるけどね。夏のこの時期によく飛んでる」
見つめながらぼくは、さっきの宇宙人の髪の色を思い出していた。あっちの髪のほうが、こいつには似合う。
つん、つん、と指でコガネムシの足先を触ってきたから、ぼくはその手に乗せてやった。そいつはかたい外羽を爪の先でこつこつと叩き、撫で、ひっくり返して興味深そうに腹を見る。どうやら地球を侵略しに来たわけではなさそうだ。
「きみは、地球になにしに来たの?」
「なにというほどのことはない。ちょっと寄り道をしただけだ。水の雨に打たれたくてさ。だけど無断で降りてきたから、たぶんリーダーと仲間に怒られるなあ」
そいつはそれすら楽しむように笑って言った。
待合所の外を見る。夕立は小降りになり、空が明るくなっていく。
「きみはこのあとどこへ行くの?」
「さあ。ひとまずこの太陽系を転々とするけど、その先はリーダー次第だ。ぼくらは決定に従い宇宙を漂う旅をするだけ」
田舎に帰って流星群を見るくらいしか予定のないぼくには、とても果てしない答えだった。
「ところできみにも、こいつのように名前があるのか?」
虫と同じなんて、とぼくは思わずムッとする。けど、宇宙人相手にムカついてもしょうがないから、ふてくされた声で「銀河」とだけ答えた。ぎんが。宇宙人が繰り返す。
「宇宙のちりや衛星、惑星、大きな恒星やブラックホールが、粒みたいに集まってできてる天体を、銀河って呼んでるんだ。それがぼくの名前」
「ふうん。銀河、か。覚えておこう」
「きみは? ぼくたちみたいな名前ある?」
「жΦ*♭」
名乗ってもらったらしいけど、どうしてもなんと言っているのかわからない。ぼくがかたまっていると、「この国の音だと……」と宇宙人は難しい顔になった。
「……アルゴル」
アルゴル。ぼくもその名を繰り返す。「ペルセウス座の星のひとつとおんなじだ」
ぼくはそこで、ようやく笑った。アルゴルか、とアルゴルも言って、ベンチから立ち上がる。夕立はもう上がり、外は光が満ちていた。
「それじゃあバイバイ、銀河」
少年のような笑顔で去りゆくアルゴルは足音がしなかった。ほんの少し浮いているみたいだ。全身は太陽にうっすらと透けて、水をとおしているかのように道路の街路樹が半分見える。
「バイバイ、アルゴル」
一歩、二歩、とあとを追ってぼくも足を踏み出す。日がすねに、ひざに当たり、じりっと暑くなる。地面の端にたまった砂粒をスニーカーが噛んだときには、アルゴルの姿はもうなかった。代わりにバスが目の前で停車し、ぼくは乗り込んだ。道の先には、鮮やかな虹が空に橋をかけていた。
この日の日記は一応書いたけど、ぼくはだれにも見せなかった。学校に提出する分は、まったく違うことを書いた。
ペルセウス座流星群が極大を迎える日は雨が降って、じいちゃんとばあちゃんは「残念だったなあ」と、ぼくを慰めるようにスイカをたくさんふるまってくれた。だけどぼくは、そんなにざんねんと思っていなかった。アルゴルと出会っていなかったら、きっと今ごろ布団をかぶってふてくされ、この甘くて青臭いスイカにもありつけなかっただろう。
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