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そうして今、嘘の絵日記を書こうとしている私と、置物みたいにテレビを見ているおばあちゃんの二人が家に取り残されている、というわけだ。
突然降り出した雨は、まるでバケツをひっくり返したように激しくなっていた。
「あらら。お母さん大丈夫かねぇ」
「夕立だからすぐ止むんじゃない?」
相変わらず「海」という漢字に苦戦を続けながらそう言うと、おばあちゃんは驚いたように振り返った。
「夕立なんて言葉を知ってるなんて、美沙はすごいねぇ。今は、なんだっけ……ゲリラ豪雨とか言うんだろ? でも、おばあちゃんは夕立って言葉のほうが好きだね。雨だってキレイな名前で呼ばれたほうが嬉しいはずだよ」
おばあちゃんはまた、窓の外へ視線を移した。
――夏にはね、ときどき世界を洗うみたいな雨が降るんだ。ザーッと降ってピタッと止む雨。夕立って言うんだよ。
そんなふうに教えてくれたのはおばあちゃんだったのに、それも忘れちゃったんだな。また胸がきゅうっとした。
なんでも知っていて、なんでも教えてくれたおばあちゃんが大好きだった。それなのに、今は私をどこへも行けなくする檻みたいだ。
十分ほどしたら、雨はぴたりと止んだ。窓の外から、息をひそめていた夏がうごめく気配がする。
「あー、もう」
何度やってもうまく書けない「海」に、私はとうとう根を上げた。山に行ったことにしようかな。漢字も簡単だし。どうせ嘘なんだから、海も山も同じことだ――と思った瞬間、
「キヨちゃん!」
突然おばあちゃんが叫んで、思わず飛び上がった。間違いなくおばあちゃんの声だったのに、今まで聞いたことがない声だった。それに、キヨちゃんって誰だろう?
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