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夏の高校野球、地方大会の準決勝。
誰もいない広いグラウンドの向こうでは、1-0のスコアボードが濡れている。
人がいない代わりにマウンドを中心とした内野には巨大なシートがかけられ、その上を細い流れがいくつも這い回っている。
10分ほど前から、叩きつけるような雨の音が球場全体を包むようにひっきりなしに続いていた。
僕の目線の少し下では、夏の日差しを嫌というほど吸い込んだ地面がもうもうと湯気を吐き出し、濡れた土の匂いがベンチの空気をより一層重くしている。
周りをぐるりと見回してもベンチの中では誰もが口をつぐみ、どこまでも続いていそうなグレーの空を恨めしそうに睨んでいた。
チームメイトの悲痛な表情を見ていられなくなり、思わず視線を下げるとそこでは泥と同じ色をした水滴がばちばちと勢いよく跳ね回っている。
舌打ちをして目線を上げると、今度は雨に煙るスコアボードがぼんやりと映った。
きれいにゼロが並んだその場所にただ一箇所、6回の表に1という数字が申し訳なさそうに鎮座しているのが見え、僕は思わず目を閉じた。
僕たちの上も下も、視線の彼方も、絶望だった。
今日の僕は調子が良かった。
試合前の投球練習でもキャプテンであり相棒でもある坂下が僕の調子の良さをミット越しに感じていたらしく、今日の球はよく走ってる、と、滅多に聞くことのできない褒め言葉を聞かせてくれた。
強力打線で知られる相手校を5回まで無失点で抑えられたのは、きっと坂下の言葉が僕の背中を押してくれたことに起因するのだと思う。
僕はどこか坂下に感謝しながら、そのリードに従って全力でボールを投げた。
しかしなんだ、6回の表のあのザマは。
フォアボールで歩かせたランナーをバントと盗塁で三塁まで進ませた挙句、ツーアウトからのピッチャーフライを取り損ねて1点をむざむざくれてやったこの僕のどこが調子が良いと言うんだ?
このまま雨が続けば、間違いなくコールドゲームが成立してしまう。
僕が歩かせたランナーを、僕のエラーで生還させた1点で、みんなで必死で流してきた汗が、苦しみが、今年は甲子園に行けると信じてきた夏が、すべて無駄になってしまう。
そんなのは嫌だ!
止めよ!
止んでくれよ、雨!
僕は驚くほど長いため息をつき、地面を見てすぐに顔を上げた。
重力に負けて涙がこぼれそうだった。
ちょうどそのタイミングで唸り声を上げた監督に目を向けると、タブレットパソコンを見ながら眉間に皺を寄せている。
雨雲レーダーを見ているらしいが、その画面の大半が真っ赤に染まっているのが見えて、もういちど僕は下を向いた。
その目の端に、どこかへ行っていた坂下が監督の元へ駆け寄って行き、興奮した様子で何かを話しているのが映った。
何を興奮しているか知らないが、目の前の現実は変わらないのだ。
どうせ試合は終わりなんだ、と、半ばヤケクソになって目の前のフェンスを蹴ろうとしたその時だった。
「よう、下なんか向いて元気ねえじゃんかよ、棚倉」
ばん、と叩かれた肩の痛みに顔を上げると、坂下が珍しく白い歯を覗かせていた。
普段は冷徹で知性派を気取る坂下の、こんな無邪気な笑顔を見たのはいつ以来だろう。
僕は少しだけ気持ちがざわめいたが、坂下の質問に無視を決め込んでベンチに座り、また下を向いた。
「だーかーら! 何をそんなに落ち込んでんだよ!」
頭の良い、データ野球がどうのとのたまうお前が今の僕の気持ちを理解できないはずがないだろう。
それともお前は僕が苦しんでるのを見て楽しむサイコ野郎なのか?
もし僕の口からそんな反論がスラスラと出たなら、この二年と少しの部活はもっと充実したものになっていただろう。
なにせこいつとバッテリーを組んでからというもの、僕のダメなところを容赦なく、しかも反論の余地さえなく的確で短い言葉で突かれるのが苦痛で仕方なかったのだから。
でもそれもこのまま雨が降り続けば、あと20分もしないうちに僕たちの関係は最悪の形で終わりを迎えるのだ。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、坂下は、よっこいしょ、と、わざと大きな声を出して僕の隣に腰を下ろした。
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