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「さて、日比谷君。何か案はない?」 「案って……。そうだな……」 学校のマドンナにお願いされても、さすがに雨を止ませる能力など持ち合わせていない。情けないが、無難な案を提示することしか出来なかった。 「あそこにコンビニがあるから、そこでビニール傘買うとか」 将は、右手の指で指し示す。 道をまっすぐ行ったその先に、緑色の見慣れた看板が立っていた。 「あのね。そこまで私が全力疾走しても一分はかかるわよ。一分もこの雨に晒されたら、もうずぶ濡れになっちゃう」 「まあ、それはそうだね……」 「それに、雨降ってるまさにそのときにコンビニでビニール傘買うのって、完全に負けって感じよね。却下です!」 雨宮にキッパリと言われ、思った以上にショックを受ける。 気になる異性にダメ出しされるとこんなにもメンタルに来るのかと、初めて思い知った将だった。 当の本人は、まるで気にしない様子で、ビニールの屋根に守られた店先をうろつく。 「それはそうと、これだけジメジメしてると喉渇くわねー。雨のおかげか、気温は結構下がってる感じするけど」 そう言って、雨宮はいきなり自動販売機の前に仁王立ちした。 三列ほどあるラインナップを左上から右下まで指を指しながら眺める。 「あんまりメジャーじゃないメーカーの自販機ね。  飲みたくなる欲求が出てくるものが一つもない……。  しかも、この真夏に『あったか~い』やつも残してるし。  これ、入れ替えされてんのかしら?  っていうか、そもそもここのお店って何屋さん?」 「いや、僕も知らないよ。通学経路だけど、開店してるところ見たことない」「そういえばそうね。うーん、そっちの方も気になるけど……。  自販機の表記って、なんで『つめた~い』みたいな書き方されてんのかしら?」 「さ、さあ……?」 「世の中、謎が多すぎるわ……」 雨宮はうーんとうなり始めた。 彼女を悩ませる謎は、喉の渇きを奪ったらしい。 雨宮はひとしきり悩んだ後、何を思ったのか自動販売機の側面に張り付くようにして、もぞもぞと動き始めた。 将はギョッとして、またも半歩身を引く。 「ほら、日比谷君も逆側お願い」 「ええっ!? お願いって、何するの!?」 自動販売機を倒そうとでも言うのか。将は、まさか雨宮にそんな反社会性があったのかと信じられない思いに駆られる。 いくら学校のマドンナにお願いされようと、犯罪の片棒を担ぐのはいかなるものか。将はドン引きするほど躊躇する。 すると、雨宮はひとまず作業をやめ、不満そうな顔で将を見やる。 「なに、その不審者を見るような眼は?」 「いや……、具体的に何するのかわからないから……」 「もう、察しが悪いわね。自販機の裏側あるじゃない。こういう所に、不届き者が捨てていくのよ」 「不届き者って……」 雨宮のことをある種、不届き者かと思ってしまったが、自動販売機を押し倒そうと悪巧みしていた訳ではないようだ。内心ホッとしながら、雨宮とは逆の向かって左側にある自動販売機の裏に手を突っ込んだ。 こんな狭くて薄暗い所に手を差し込むのは非常に嫌であるが、全く気にせずその所業をやってのける女子生徒に後れを取る訳にはいかない。 男の極小なプライドに縋りながら、視界の行き届かない暗がりに手を上下させて探索する。 「あれ、何だ……?」 将の指先に、細い棒状のものが触れた。先端が湾曲しており、指一本分の太さくらいだろうか。将には見えないので、それが何なのかわからなかった。 しかし、自動販売機に付属している部品ではないというのは感触からわかったので、思い切ってそれを引き抜いた。 「あ……、傘かこれ」 将は目の前に出てきた棒状のものを少し細目にしつつ、顔を遠ざけて見る。 湾曲しているのは、傘の柄だったのだ。ビニール傘ではあるが、それが一見わからないくらい傘地の部分が黒く汚れていた。 自動販売機の裏から発掘した事もあるだろうが、年季が入っているのだろう。時間と劣悪な環境がビニール傘を変貌させていた。 「日比谷君、でかした!」 「でもこれ、使えるかな……」 雨宮は自動販売機の前に飛び出し、目の前でパンと自身の手を叩いた。 それにより、手に付着したホコリやらススが鼻元で弾け、盛大にむせていた。将は雨宮に褒められて嬉しい反面、傘に対する不信感が拭えない。 ネームバンドを外しても、傘の形状が全く変わらない。汚れによって、ビニールが張り付いているのだろう。 将はそれを力尽くで剥がしながら、下ろくろをつまんで力を込める。 傘がぐぐぐっと振動しながら、徐々に本来の姿に変わろうとしている。 さながらサナギが蝶になるような、神秘的な姿を想像せずにはいられない。 あるいは、これが夕立を打破する救世具となるのか……。 「うーん、そう甘くはなかったわね」 雨宮ががっくりと項垂れた通り、バッと開いた傘は同時にビニール部分がぼろぼろっと朽ち果てて足下に落ちた。 傘はフレームだけの骸骨と化し、傘としての生涯を終えたのだった。まあ、とっくに天寿を全うしていたのだろうが。 こうなっては開いていても危ないだけなので、将は傘を閉じてシャッターの横に立てかけた。 念のため、二人は自動販売機の裏を何度かまさぐってみたが、他には傘はなかった。 「ああ、もう。手が真っ黒になっちゃった!」 「変な虫とかいそうだし、ストレスしか感じないねこれは」 「手、洗いたいわね……」 そうは言っても、近くに水道はないし、雨だって強いが手を洗うには分散しすぎている。我慢するしかなさそうだ。 もうほとんど諦め果てた将とは違い、雨宮は屋根で覆われたわずかな可動範囲をウロウロと歩いている。 「ふふっ、イイこと思いついた」 雨宮が、汚れた指をピンと立てて得意げに笑う。 将はドキッとしながらその顔を見ていたが、次第に表情が曇ってきたので焦ってくる。表情は変化しても、立てた指はそのままなので、その延長線上を何となく見上げた。すると、何やら屋根に異物が乗っかっているのに気づく。 店先の屋根は、屋根といっても薄っぺらなビニールを張っているに過ぎない。その一部がたわんでいたのか、雨水が溜まってぼっこりと腫瘍のように膨らんでいた。 「これを活用しましょう」 「ああ、そういうこと」 将は、彼女の考えが何となくわかった。 さっそく、先ほどの傘を拾い直し、その先端を屋根へと向けた。 「ちょっとちょっと! 逆側にしないと。  屋根が破けちゃったら色々とまずいでしょ」 「そうか、ごめんごめん」 将は雨宮に指摘され、持ち手を逆にする。傘の先端部分を持ち、湾曲した柄の部分を屋根へと向ける。 「いーい、ちょっとずつよ。  力任せに行ったら、水圧が強すぎて跳ね飛ぶ飛沫で汚れちゃうんだからね」「わ、わかってる。慎重に……」   将はゆっくりと屋根の膨らみを傘で押す。思った以上に重量がある。このまま水が溜まっていったら、その重みで破けそうな程だ。屋根を守る意味でも必要な行為と言える。 屋根をぐぐっと押すと、端から水が滴ってきた。 その下で構えていた雨宮が、すかさずそこへ手をかざす。 「ああー、良い感じ!  半分くらい残しておかないと、日比谷君の分が無くなっちゃうよ!」 「わかってる……。けど、なかなか調整難しいよ、これ」 「くれぐれも注意するように。  うら若き乙女をずぶ濡れにしたら、その罪は重いわよー。  よし、OK! 交代しましょ!」 やたらと焦らせるような事を言ってくる雨宮。 幸いにも、無事に終わったようだ。将は傘を雨宮に渡し、役割を交代する。 「あら、結構高さが微妙ね……。うまくつつけない……」 将が落ちてくる雨水を期待して手を構えながら、横目で雨宮を眺めると、彼女はつま先立ちになりながら懸命に傘をかざしていた。 雨宮は将とは頭一つ分くらい身長差がある。自分の時は気にならなかったが、雨宮は苦戦していた。 将は少し嫌な予感がする。雨宮は、意を決したように、膝を落としてぴょんと跳ねながら屋根を突いた。その勢いは、慎重さのかけらもなかった。 屋根が破けることはなかったが、案の定、溜まっていた水の残りが全て一気に降り注ぐ。足下は地面ではなくアスファルトなので、泥が跳ねるような事はなかったが、雨水が盛大にばら撒かれる。 将はそれでも手を動かさなかったので、汚れを拭う事は出来たが、それ以上の被害も被ることに。 「ちょ、ちょっと!  ああー、ズボンの裾が結構濡れちゃったよ!」 「あははっ、まあそこは男子なんだし。ちょっとしたやんちゃは気にするな」 雨宮はケラケラと笑った。 人の事は散々脅しておきながら、いざ自分がやらかしたらこの調子だ。 将は少々不満を感じながらも、その爽快な笑顔を向けられて許さずにはいられなかった。 こんなに同年代の女子と話したのは人生で初めてだろう。 しかし、ふと気がつくと、普通に会話が出来ていた。 雨宮には不思議な雰囲気がある。おそらく彼女は、幼稚園児だろうが、国会議員だろうが、態度を変えたりはしないのだろう。 ほとんど接点のなかった相手だろうが、友人と同じくらいあけすけなく触れあってくる。良い意味で遠慮がない。 「でも困ったね。万策尽きたんじゃないかな」 「まだまだ。それを認めたら負けよ。手が綺麗になったっていう、前進も見られたんだし」 「前進……、してるかな……」
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