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水たまりに跳ねて
「あら、いつの間にか夕立が過ぎ去ってたんだ」
「……これで帰れるね。でも結局、雨が止むまで待ってたんだから、僕たちの負けかな」
「いいえ。それは違う。
私たち、待ってる時間なんてほとんど感じなかった。
私たちの知らぬところで、夕立が勝手に居なくなったんだから、負けてないわよ」
将はあっけにとられる。
さっきは感心したものだが、実は、ただの気分屋なだけではないだろうか。
「ところでさ。日比谷君。キミ、将棋好きでしょ」
「えっ……」
「お祖父ちゃんのことは残念だったけど。私はそれ、あんまり関係ないと思うなあ。だって、すごく強い所まで行ったんでしょ? 好きじゃないと、そんなに強くなること、出来ないと思うよ」
将は答えられなかった。不意を突かれたのもあるが、見抜かれたような気もしたからだ。
確かに、将棋を始めた頃は、駒の動かし型を覚えただけで楽しかったのを記憶している。しかし、今はどうだろうか。思うように勝てなくなって、将棋を指すのがプレッシャーにしかならないと感じている。それが嫌になって、将棋の世界から一歩身を引いたのではないか。
「好きなら、大丈夫。また、やらずにはいられなくなるよ」
雨宮の予言のような言葉が、将の心を刺し貫くようだった。
そう。将は将棋から離れたいと思うほど、将棋の事をより考えてしまっていた。雨宮は将のくすぶった本心を見抜くかのように、それでいながら何も考えていないかのように言葉を投げかけてきた。
将がそれによって動けないでいると、雨宮は一歩屋根の外から足を踏み出し、夕日が眩しいのか、片手で目の上を遮りながら空を見ていた。
「じゃあ、雨も止んだし、全力疾走すればドラマの時間に間に合いそうだから、私はこれにて失礼するね。日比谷君、また明日!」
そう言って、雨宮は店先から飛び出していった。
空は晴れた夕方になっているが、アスファルトには水たまりがいくつもできている。しかし彼女はまるでそれを気にせず、水たまりを踏み抜いて自分を中心に飛沫を上げながら走り去っていった。
将は彼女が視界から消えるまで、その背中をずっと眺めていた。
将にとっては、彼女の方が夕立のように突然で、猛烈で、散々振り回された結果、いつの間にやら消え去っていった。
けれど、不思議と気分は晴れやかだった。
確かに、彼女の走る姿は、とても綺麗で軽々しかった。
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