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「会えるよ」
佐久間は事も無げに断言した。
「東京なんて、飛行機で一時間だよ」
「遠いわ」
元教え子の高校生にとって、受験生にとって、将来なんの約束もしていない年下の同性の恋人にとって、東京は単純にも複雑にも遠い場所だった。
「僕が会いにくる」
「来なくていい」
「なんでそんなこと言うんだよ」
佐久間は見かけによらず頑固者だ。
それに芸術家肌で、奔放で欲張りな面もある。
いつもなら、我儘に付き合うのは阿川の方だった。
でも今日は違う。
通いなれた美術室の窓から、グランドが見える。
運動部が練習する声が、遠くから風に乗ってここまで届く。
「もう会わない」
阿川はそう言って、佐久間の顔を見ないまま美術室を飛び出した。
明日から学校は春休みに入る。
新学年が始まる頃には、佐久間は東京へ戻り、大学に復学する。
阿川は佐久間の絵が好きだった。才能があると信じていた。
邪魔だけはしたくなかった。
すでにいくつかの画廊から佐久間に、実験的に作品を置いてみないか、とオファーが来ているのも知っていた。
来秋には大きなコンクールに出品する予定だとも言っていた。
多忙になれば、そのうち阿川のことなど忘れてしまうかもしれない。
割り切って忘れてしまえればいいが、佐久間は意外とメンタルが脆い。
きっといつか自分の存在そのものが枷になる。
罪悪感ほど厄介な足枷はない。
佐久間には自由でいてもらいたかった。
「悠樹!!」
背後で佐久間の声が響いた。
旧校舎とはいえ、他の教師や生徒がいるかもしれないのに。
「バカだな」
追いかけてくる気配に、阿川はそれでも振り返らなかった。
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