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* 契約チャンス! *
***
「それでは、以上の内容でよろしいでしょうか?」
「……」
不動産屋の一角で、神妙な面持ちで書類を眺める美雨は言葉に詰まる。
店主の説明に不満もない。
目の前の契約の瑕疵も見当たらない。
というか、周辺の地価を考えると破格の値段に近いかもしれない。
それでも契約を二つ返事で結べないのは、知人から聞いた噂が気になっているからに他ならないだろう。
登山口の奥にある不動産屋、紫苑(しおん)のオマケはすごい!
その噂を聞き、美雨はやってきたに他ならなかった。
そして、オマケを引き出せてない自負があったからこそ、破格の条件を提示されても、何となく素直に首を縦に振ることが出来ずにいた。
「……」
とは言え、闇雲に話を引き伸ばすことは誠意に欠ける。
そう思った美雨は一旦、話を切り上げることにする。
「すみません、もう少し考えたいと思います」
「承知いたしました。納得のいく決定したいですもんね」
「……」
苛立つことも、嫌味を述べることもなく、にこにこと支持する発言に美雨は驚く。
こんな好条件を出してきたからには、もっと圧力が加わるとさえ思っていたからだ。
「お気になさらず。お客様が納得されることが一番なのですから」
「……」
ここまで言われて、素直に帰るのもなんだか気が引ける。
そんなことを思い、立ち往生している矢先。勢いよく雨音が響いてくる。
……夕立だ。
現在の住まいがある市内から不動産紫苑少し入り込んだ山間部にあるため、帰りの運転を考えると少々憂鬱になってくる。だが、急な夕立でも濡れることなく移動できるだけで儲け物だ。
そんなことを考えつつ、失礼しようとした瞬間だった。
店主が奇妙なことを述べ始めた。
「あのですね。今、契約されると先ほどの庭付きの賃貸がこちらの賃貸と同料金、もしくはキャンディーセットがプレゼントされますがいかがいたしますか?」
「……へ?」
そう言って、店主が先ほど最終的に絞り込んだ二つの物件を見せてくる。
最後の最後に庭なし物件より月3万も安かったから諦めた庭付き物件だ。
まあ、月3万異なるのは庭の有無以上に築年数が絡んでいる気がしなくもないのだが……まあ、この際どうだっていい。だって……。
「え、え??? 本当ですか?」
月々3万円ということは、年間36万円。3年暮せば100万以上……。
思わず飛び付きたくなる衝動を抑えて、尋ねてみる。
ほら、甘い話には裏があるって言うし……。
「何か、縛りとか、条件とかあるんですか?」
「ないない。安心して」
「ですが、あまりにも私にとって好条件すぎませんか?」
紫苑のオマケに心惹かれた分際なのに、尋ねることがはちゃめちゃすぎる。
セルフツッコミを入れつつ、店主の返事を静かに待つ。
「んー。強いていうなら、この天気が回復するまでに決断して欲しいくらいかな」
「天気が、回復するまで?」
「そう。だって、タイムサービスだもの」
「まあ、そうですよね。こんな衝撃価格……」
私の言葉を聞きつつ、くすりと笑みを浮かべる店主に引っ掛かりを覚える。
もしかして、衝撃価格がメインではないのだろうか……。
ということは、メインはタイムサービスが現れた事実。
契約条件なしの破格の契約を結ぶことができる状況こそがポイントということだろう。
にこにこと笑みを浮かべる店主に悪意は全く見えてこない。
恐らく断言した通り、契約に際する縛りも条件も一切ないだろう。
では、ここまで大幅値引きを楽しむ理由は一つしかない。
店主の道楽……。
そう考えると、途端に全てのことに合点がいく。
「じゃあ、せっかくなので。庭付きの物件、契約させてください」
「ふふふ、承知いたしました。待っていてね。契約書、持ってくるから」
店主は軽やかに奥へと戻っていく。
「オマケの理由、分かったんだね」
そう呟きながら。
***
予想以上の値引き(オマケ)を提示されて、身構えるのは人の性。
だけど、トリック(理由)が分かれば、安心して手を伸ばしてしまうのも人の性……。
夕立に見舞われた客にのみ提示される不動産・紫苑の衝撃のオマケの正体は庭とキャンディー。言い換えるなら、庭か飴(俄か雨)。
市内から山間(さんかん)部に入った場所にある不動産屋という時点で気付くべきだった。そうなのだ、まさに山間紫苑(さんかんしおん)。天気に纏わるフレーズがヒントになっていたのだから。
店主の言葉遊びなオマケの条件に苦笑しつつ、窓を眺めてみる。
さっきの雨音が嘘のように、早くも夕立が上がり始めていた。
【Fin.】
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