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126.もうしません、許してください
「それ、ほんとうに持って帰るんですか?」
怪訝そうな顔で、アル様が尋ねた。私が運んでいるのは、アル様が作ってくれた(謎)彫刻作品の数々。適当な布を緩衝材にして、大きなビニール袋に入れてある。
「もちろん! いつまたここに来られるかわからないし、捨てるにはしのびないので」
「まあ、カナさんがそう言うなら、止めませんけど」
私の頭を彫ったやつとか、よくできているだけに気味悪いくらい。でも、はじめてミチャの言葉を知る手がかりになったものだ。記念に残しておきたい。
アル様たちは、私が即席で描いた鉢に菜園の植物を植え替えたところ。台車に載せて、地下ガレージのほうへ運んでいく。
「カナ」
後ろからペト様に呼び止められた。振り返ると、大きなダンボール箱を抱えて階段を降りてくる。今朝は、いつものさわやかな笑顔だ。
「重そう。手伝いましょうか?」
「いえいえ。箱は大きいですけど、なかは服だけなので、大したことありません。それより、カナ」
そう言って目の前まで来ると、ペト様はいったん箱を置いた。
「とても懐かしいものが出てきましたよ!」
ペト様がうれしそうに箱から取り出したのは、ボロ切れにしか見えない小さな布。
ま、まさか?
案の定、ペト様が両手で広げてみせたその布は、私が召喚したときにペト様の着ていた、露出度マックスの服! 二人の出会いの思い出がこれって、どうなのよ。
「こ、これも持って帰るの!?」
「もちろんですよ。捨てるにはしのびないですから」
さっきのアル様とのやりとり、聞いてたかな?
この世界に転移した最初の日、ひとりで心細すぎて、プリントの裏に描いたペト様。ナギちゃん発案のBLマンガ第二弾、「イザッコ x ペト様」の扉絵をイメージしたもの。
寂しいし、怖いし、一日歩き通しだったから体力も限界、とにかくめっちゃ眠かった。描きながら、ヤバいテンションになっていたことだけは、ぼんやり覚えている。
「さすがに、もう着ることないんじゃない?」
「ご希望とあらば、いつでも着ますよ?」
「ごめんなさい、もうしません、許してください」
「え、どうして謝るんです?」
ペト様、面白がってない?
基本的に、ペト様の着る服はすべて私が描いている。またあんな服をペト様に着せたりしたら……。オタクの妄想がそのまま実体化する世界って、考えようによっては危険きわまりないな。
「こうして見ると」
きちんと畳まれた服を眺めがら、ペト様が言う。
「全部カナが描いてくれたものなんだなと、あらためて思います」
「そうだね」
まとめると、かなりの量になる。推しに着せたいものを描いて、実際に着てもらえるなんて、絵描きにとっては無上の悦びだ。湖底都市に帰ったら、もうできなくなるのかな? それは、ちょっと寂しい。
「ひとつひとつの服が、楽しい思い出です」
「そう言ってもらえて、うれしい」
「あ、あ、あの! お話中に申し訳ないのですが……」
マテ君が近づいてきた。後ろから三人の女官さんたちが続く。
「あ! 全然だいじょうぶだよ! どうしたの?」
「ハナムラさんは、どちらでしょう? 今朝からずっと見ませんよね」
そういえば、昨晩プールサイドで姿を消したっきりだ。
「うーん、どこだろう?」
「しかたありません。みなさんにキッチンのことをご説明しようと思ったのですが」
そう言いながら、マテ君は女官さんたちのほうを指さした。
「ハナムラさん、出発までに帰ってくるでしょうか」
ペト様が心配そうに言う。もう数時間でここを出発する予定だ。もし戻ってこなかったら、どうしよう?
「私、上の階を探してくるね。自分の荷物も片づけないといけないし」
「わかりました。また後で!」
私は、ペト様、マテ君たちと別れて、二階に上がった。
二階には長い廊下があり、みんなの寝室が並んでいる。私が上がっていくと、ちょうどジャコちゃんが自分の荷物をまとめて廊下に出したところだった。
「この家とお別れとは、寂しいね。空き家にするなんてもったいない」
「うん。でも、またいつか戻ってこられるかもしれないし」
私が答えると、ジャコちゃんはすこし驚いた顔をする。
「そうなの?」
「いや、わからないけど」
「まあ、たしかに」
ジャコちゃんは、スキンヘッドをスルッとなでて笑った。
「この先なにが起こるかなんて、わからないしね」
「そうそう」
自分の部屋に入ると、明け方すこし窓を開けていたせいで、ひんやりしている。作業するにはちょうどいいかもしれない。ダンボール箱やカゴを並べて、荷物をまとめはじめた。
異世界暮らしも一か月以上になる。なんだかんだでモノが増えてしまった。
まずは、PCとペンタブレット。当面、絵は描けないだろうけど、もしものとき(っていつだ)のためにとっておく。ジャコちゃんも言っていたけど、この先なにが起こるかなんてわからない。
昨日になって試作した充電器もある。湖底都市にいる間、充電できなかったから、スマホの残量がけっこうヤバかった。
ふつうの充電器なら電源にさしておかないと使えないけど、この充電器はどうやら自家発電してくれるらしい。これなら湖底都市に帰っても使える(はず)。自分で描いておいて言うのもなんだけど、どういう原理で動いているのかはまったくの謎だ。
服も、けっこうたくさんある。イザベラ・デッラ・スカラが着ているようなドレスは、ペト様と出会って最初に描いたもので、その後は一回も袖をとおしていなかった(わりと着るのが大変)。
いろいろ懐かしいけど、感傷にひたっているヒマはない。
衣裳棚の端のほうに畳んであった制服。うちの学校の制服、何十年も同じデザインだったけど、ニ、三年前、デザイナーとして活躍する卒業生にリニューアルを頼んだらしい。付近の学校のなかでは、まあまあ垢ぬけているほうだと思う。
「もう夏服も終わる時期か」
窓の外は、暖かい陽ざしのなか、濃緑の木々がいっぱいに茂っている。マセトヴォの四季がどうなっているのかわからないけど、気分はずっと夏のままだ。
最後に、異世界に来たときのままのカバンと、その隣に置いてある『完全版〈宇宙艦隊ギルボア〉詳細設定集』をダンボール箱に入れた。
◇
荷物の積みこみは、午前中でなんとか完了。ファレアさんには、夕方までに帰ると約束していたから、時間的にはまだ余裕がある。
出発前、庭に集合してもらった。日も高くなっているけど、ときおり周囲の森から涼しい風が吹いてくるので、気持ちいい。
「みんなで写真ですか? いいですね」
集まってもらった理由を説明すると、すぐにペト様が賛成してくれた。部屋にあったスマホ用の三脚を立て、みんなに並んでもらう。
この間、ナギちゃんから届いていたメッセージでも、ぜひ『チェリ占』メンバーの集合写真を撮って送るよう頼まれていた。これは「アニ同会長命令」らしい(笑)。
「そういえば、ギューゲス君、まだ見つからないの?」
ぽわ男がハナムラさんのことを尋ねると、みんな首を振った。家中をあれだけ人が行き来していたのに、誰も姿を目にしていない。いつもなら、朝はお腹を空かせているはずなんだけど。
待っていてもしょうがない。その場にいる人だけで撮ることにした。ミチャ、エフェネヴィクさん、女官さん三人、アル様、ぽわ男、ジャコちゃん、フェリーチャ、レオ様、マテ君、そしてペト様と私。
ペト様が、慣れた手つきでタイマーを操作してくれる。念のため、写真は二枚撮った。
「あのね、ペーター」
「はい」
二人でスマホの画面を見ながら、ペト様に話しかける。二枚ともよく撮れていた。
「あの後、スマホに入っている辞書で調べたんだけど、ADは、ペーターの言ってたとおり、アンノ・ドミニの略で合ってるみたい」
「やはりそうでしたか」
スマホの写真フォルダの一覧には、「2020年9月22日〜23日」と表示されていた。
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