呼び声

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おさない声が聴こえる。そっちに行ってはだめ、と。 いつも、たまらずわたしは踵を返して声のほうに戻ってゆくのだ。 そうして、泥で濁った川の夏の光を跳ね返して燦然と輝く様を見る。この道端に来ればいつも同じ”夢”を見る。 同じ声だった。おさないわたしを呼び止める子どもの声は、十数年を経ても聴き違えることはない。わたしはその子どもを知っている。 その子が死んだのは九つになる年の夏だった。 まだ夏休み前の、帰りにどっさり宝のような荷物を背中に背負う、いちばん慌ただしい時期である。その子は遊びに出て、橋を渡ろうとして車にはねられて死んだ。わたしは憤慨した。同じ下校する班にいただけの知り合いだったが、何千何万と行き交う車にはねられて死ぬ一日十人ほどの中にその子が入ってしまった不運に憤慨したものだ。 その子が死んだあと、妙な話が残った。事故現場は事故に遭いやすい場所なのだと。死んだのはその子だけだったが、事故に遭いかけたものは多いという。いつもわたしが通る道とは幾分か離れていて、確かめようがなかったが、見てみればなるほど、そこだけ狭い道筋は事故が多くても何ら不思議ではない。妙な噂話の立つこともない、やや危険な場所であるだけだった。 わたしが噂話を思い出したのはそれから二年の後だった。受験を志していたわたしは塾に通うのに、橋を渡って駅に行く。普段であれば通らないのだが、祭りだの、特別な理由があっていつもの道を通れないときはあの子が死んだ道を通っていかなければならなかった。喧騒に舌打ちをしながら、祭りのある六月にわたしはあの道を通った。 ただ、歩いただけだった。何の気もない、駅に向かうだけの道のりである。暑さに頭が茹ったわけもなし、ましてや、はっきり「死にたい」などと願ったわけでもなかったが―― わたしはあの子の声を聴いた。「そっちに行ってはだめ」と。 ハッとしてみるとわたしは車道に大きく出ていた。轢いてくれと言わんばかりの場所にいた。慌ててカバンを背負いなおして走って橋を渡り切った。 それが、最初の事だった。 そののち、幾度か声を聴いて立ち戻った。中学に入ってすぐ、高校に内部進学するころ、大学受験を考え始める頃、大学受験を終える頃。 十数年を経て、もうあの子と下校していた時間なんかよりずっと長い時間を助けられた。あの子が何を思って助けてくれたのかはわからない。道を行く全ての人を助けているのかもしれない。わたしだけを助けているならば、とんだ友情だった。死してから芽生えるものがあるのだろうか。 ……しかし。 大学卒業も間近、就職が決まって、卒業に向けての研究を行っているような時期。七月。わたしは。何もかも、すべて、うまく行ってはいた。漠然とした不安がありながらも、多少の失敗が付きまとっても、きっと何とかなるところにあった。そうであっても何であれ、疲れていた。わたしは帰り道にあの道を通った。 珍しく、何もなかった。車通りもなく、己の意識がはっきりとしていて、前のような判然としない飛び出しは起こらなかった。こんなに疲れているのに、最もわたしが「死にたい」と願うような心持であるというのに、―― 「もういいよ、もういいよ」 横から何かに突き飛ばされる感覚があった。 こんな狭い場所にわたし以外の誰も立っているはずはない。 青信号を急いて駆けこんできた乗用車が、クラクションを鳴らす。 「もういいよ」 ――ああ。 わたしだけを助けてくれていたのであれば、とんだ友情だ。 最期に手を伸ばすわたしを見た、それだけで死してから十数年の友情を叶えていたのならば。
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