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はたして宇宙人は、この世に存在するのか?そんな問いをメディアで見聞きするたび、私は地球人の認識の浅さに呆れてしまう。
地球人の言うところの宇宙人、地球外知的生命体、地球以外の星にいるヒトと似て非なる生物……それは、確かに存在している。
では、どこに存在しているのか?地球から何万、何億光年離れた先にある惑星や衛星にか?それとも、もっと近く。大国の研究所にでも極秘に拘束されているのか?
違う。
彼らは、いや、私たちは、人々のすぐ近くに存在している。人々の隣人や同級生、同僚、親戚、家族でありさえもする。そう、地球人が想像するより遥かに多くの宇宙人が、既に地球上で活動しているのだ。
白とペールピンクに染まった、女子高生の部屋。学習机の前に座って明日のデートについての返事を送ると、ヒトには聞きとることができない高い周波数の呼び出し音が鳴り響いた。
その音は、今手にしているスマートフォンから出ているのではない。音の源を探して机周りの教科書、参考書、ノートをひっくり返した。結局、それは通学用鞄の中に入れたままにしていたのだった。
鞄から取り出したのは手の平に馴染む大きさの一般的なスマートフォン、ではなく、形はそれを真似つつも現在の地球上では製造不可能な高い技術で作られている上に、地球人の張り巡らせた通信網に依存しない、私たち独自のデータ送受信機。画面をタップし立ち上げると、送信元は懇意にしている仲間の一人だった。
『この人知ってる?』
メッセージには、六十歳前後の頭髪の薄い、痩せた男性の画像が添えられていた。
『知らない』と短く返すと、画像の男性は今仲間内で話題のテレビ俳優なのだと教えられた。
『この人、私たちにかなり似てるよね。でも、まだ知らなかったとはね。やっぱりすぐ傍にお目付け役がいると、こういう情報も入りにくいか』
新しいメッセージが表示された直後に、部屋のドアがノックされた。まるで端末でのやりとりを見られていたかのような良すぎるタイミングで、心臓に悪い。
「はい?」
「そろそろ報告の時間です。リビングに下りてきてください」
星々は常に変化している。そして、全ての星には寿命がある。自分たちの祖先を育んできた星が、長い時を経るうち、子孫にとって生きるに適さない場所へと変わるなどということは、全宇宙のどの星においても宿命である。
優れた科学技術をもってしても、巨大な星の営みを変えることは難しい。いつかの遠い未来の話だとしても、今後に惑星系の中心にある恒星が膨張し、自分たちが住む惑星が滅びの時を迎えると分かっているのであれば、今住む星と似た環境の別の星への種族単位での移住を計画するのは当然のことだ。
種族の生き残りの為に、私たちは移住先になりえる星を探査中で、数ある移住候補地の一つが地球だった。
移住候補地に降り立った私たち調査員は、その星のありとあらゆることを調べる。将来の大規模移住に向けて必要とされるのは、自然環境に関する科学的な探査だけではない。先住の知的生物が私たちと共存可能な種族かどうかの調査も含まれる。
私は、地球を代表する知的生命体である「ヒト」を対象とした調査の為に派遣されたうちの一人だ。
頭部を持ち、胴体を持ち、四肢を持ち…私たちと地球に住む「ヒト」とは奇跡的によく似ていた。自分たちとほぼ同じ形をした生物の存在が判明したからこそ、地球が移住の候補地として選ばれもした。しかし、よく似てはいても私たちと地球人とは全く同じではなく、それなりに異なる特徴があった。
その一つは、私たちの方がヒトより痩せた体型であることだった。私たちは健康体であっても、ヒトから見れば栄養失調とはっきり断定されてしまうほど痩せ細っていた。厚みが足りないだけでなく、身長もヒトの平均と比べて一割前後低かった。
もう一つの更に大きな違いは、種族の中での個体差だった。ヒトは性別年齢等によって、ひとりひとり特徴の違いが見てとれる身体を持つが、私たちは成長途中の子供を別として、すべての個体がほぼ同じ形をしていた。その私たちの外見は、皆一様に頭頂が禿げあがっており、顔を含む体全体がたるみ気味の皮膚で覆われていた。
以上の特徴から、地球人にとって私たちの見た目とは「背の低い痩せこけた禿げのおじさん」であると言えた。驚くべきことに私たちは体臭まで、「加齢臭」と言われる中年以降のヒトが発する匂いとほぼ一致していた。
もし地球に私たちのうちのただ一人が降り立ち、単独で調査を行うだけであれば、痩せすぎの身体は多少目立つものの、そのままの姿で地球人社会に紛れ込むことも可能だっただろう。
しかし、実際の私たちは数人でチームを組んで活動し、そのチームの数も百は下らない。そして、私たちの調査は一般的な壮年男性の活動範囲にとどまらない。私たちが皆同じ「背の低い痩せこけた禿げのおじさん」の姿で地球に乗り込むことは、大変都合が悪かった。
解決策として、私たち調査員は特殊なスーツを着ることになった。それは本物の体の上に一枚重ねて纏う、もう一つの肉の皮だ。調査本部から与えられるスーツは調査内容ごとに違い、私は地球のこれからを担うであろう若者たちのリアルな動向を探るため、十代のアジア人女性の身体を模したスーツを着て日本の女子高生を装っていた。
「以上が最近十代に聞かれている楽曲と、それらに対しての若いリスナーたちの反応と感想、その調査を元にした分析結果です。内容に承認をいただけましたら、本部に送信願います」
「わかりました。本日中にこちらで手続きします。では、この件は以上として他に何かありますか?」
一見、父と母、そして高校生の娘の家族三人が集うダイニングは、実際には一日に一度行われる調査報告会の場であった。食卓を囲んだ三人は三秒間、無言で顔を見合わせた。
「それでは、本日は以上です。また明日からもよろしくお願いします」
四十代女性のスーツを着たリーダーが、ダイニングチェアから立ち上がった。それを合図に私と、もう一人のチームの一員である五十代男性のスーツを着た調査員は自室に戻りかけた。
「あ、一つだけ」
リーダーがキッチンカウンターを挟んだむこうからこちら二人に向けて言った。
「送受信機に入っている酸性雨警戒アプリを、必ずアップデートしておいて下さい。今の時期は特に、外出時は夕立ち等の急な雨に気を付けて」
翌日、夏期講習を午前中に終えた制服姿の私は、予備校の斜め向かいにある本屋に向かい、そこで平置きされた本の表紙を眺めつつ人を待った。
「お待たせ」
待ち合わせ時刻の二分前に現れたのは、Tシャツにデニムを合わせた少年……小柄なおかげで中学生にも見える、高校生の彼氏だった。以前、口の悪い友人に彼の背の低さを笑われたこともあったが、私は同じ目線で会話できるその高さを好ましく、そして懐かしく感じていた。
本屋から出ると、ビルの隙間の青空に大きな入道雲が迫っていた。今日使っている鞄の中に、折り畳み傘を入れた記憶がない。私は肩に掛けた鞄の中を探った。案の定、そこに目当てのものはなかった。だが、送受信機の姿は見つけ、私はいくらか安堵した。正確にアラーム音で降雨を知らせてくれるそれがありさえすれば、雨水に濡れる心配はない。
「探しもの?」
「うん。ちょっと…」
聞いてきた彼への説明はそれだけで十分だった。こういった時、女性という性別はとても便利だと思う。
本屋で待ち合わせて、その後その隣にあるファストフード店でハンバーガーを食べる。それが今日だけでなく、いつもの二人の決まりきったデートコースだった。こんなデート事情を誰かに話せば、さぞ退屈だろうと思われるだろう。しかし、私は去年の年末に友人の友人同士として出会った、話していて不思議と誰よりしっくりとくる彼との時間に、退屈を感じたことは一度も無かった。
ファストフード店の一階で注文を終えた後、二人はトレイだけ持って二階の席に移動した。私は彼に荷物の見張りを頼み、手洗いに向かった。
洗面台の前に立つと薄い化粧が崩れていないか確認し、軽く前髪も整える。目の前の鏡に映った姿は、一般的な高校生の少女だ。特別に美しくも可愛くもない、調査の為の姿。
調査員にとって目立つことは御法度で、本部から与えられたスーツも平凡で地味な姿だった。しかし、同じ年頃の少年になら、その程度の容姿でも「少女」でありさえすれば、じゅうぶん魅力的に映ることだろう。
私は最近、鏡で仮の姿を見るたび、地球においては「おじさん」と表される真実の自分の姿を思い、彼に対して後ろめたさを感じるようになっていた。それは、調査対象であるヒトに持つべき感情ではない。私はもう一度手を洗い、罪悪感をなだめてから彼が待つ席に戻った。
お馴染みの油の臭いの中での食事、その後の他愛もない会話。これから午後のアルバイトが入っているという彼との短い逢瀬の時間は、瞬く間に過ぎた。向かい合って座る二人両方の時刻を確認する回数が増えたところで、それじゃあそろそろと店を出た。
呼吸をするのがだるくなるような湿度の高い生暖かい空気の中を、二人並んで少し離れた場所にある駅へと向かう。歩きながらも、饒舌な彼の話は途切れることがなかった。友人たちとの馬鹿話、バイト先での失敗談、自転車での遠出で見つけた景色の感想。私は彼の話を聞きながら、幾度も自分の目線の真横にある彼の横顔を盗み見た。
私は近いうちに、この彼と別れようと考えていた。私たちは本部からの命令によって、数年ごとに居場所を変え、その都度、新しい別のスーツも与えられる。だから、特別に彼に別れを告げなくても、いずれ私は彼の前から跡形もなく去ることができた。
しかし、私はそれよりも前に、今すぐにでも彼と別れなければ自分を許せない。私は、彼を好きになりかけている。それは、あってはならないことだった。
何かが、私の前髪を揺らした。掠めていったものが落ちた先には、濃い点を落としたアスファルトがあった。
「あ…」
呟いたのは、どちらだったか。見上げると黒い雲が大きく広がっていた。いつの間にか、入道雲の真下に来てしまっていたのだ。
雨だ。
しかし、なぜ?酸性雨警戒アプリのアラームは鳴っていない。この雨はほんの少しの間落ちるだけで、すぐに止む類のものなのだろうか?青空の気配はなく、そうは思えなかった。
私は立ち止まり、自分の鞄の中を再び探った。ヒトとして使うスマートフォンはあったが、頼りの送受信機は見当たらなかった。短い時間の間にいつどこで落としたのか、心当たりはなかった。ヒトに拾われた、もしくは盗まれたとしても、万が一にも何かの情報が漏れるような、そんなことにはならない仕様にはなっている。送受信機そのものの心配はないが、それよりも、今はこれから激しくなっていきそうな雨が問題だ。
「雨やどり、してこう」
私は雨から身を守れそうな庇が近くにないか探した。塀やフェンスに囲まれた住宅ばかりがならぶ道で、それは見つからなかった。
どうしよう。スーツの腕を隠してくれない半袖シャツが恨めしい。ふと、ここから二つめの曲がり角の先にある、小さな公園の存在を思い出した。あそこに植わった木の下でなら、いくらか雨を凌げる。助かった。いや、雨は本降りになってきている。急がないと。
公園に向かおうと駆け出そうしたところで、半分意識から消えていた彼が私の腕を掴んだ。スーツの下からでも、強い握力を感じた。そんな扱いをされたことは今までになかった。しかし、そのショックよりも今は雨に打たれないことがなにより大事で、私にとって雨に濡れる場所に留め置かれることこそ、どんな暴力よりも酷い行為に感じられた。
「離してっ!」
彼は掴んだ手の力を緩めることなく、もう片方の手でパンツの後ろポケットを探った。取り出したのは私の送受信機だった。彼が送受信機の画面に触れた途端、アラームが一帯に鳴り響いた。
「鳴ってる。この夕立ち、きっとかなり範囲は狭いだろうにずいぶん正確だな」
送受信機から出る音は全て、「ヒト」には聞こえない筈の音だ。だとしたら、彼は?
ひたり、スーツ越しに腕が濡れたのが伝わった。その箇所に目をやると大粒の雨が当たった部分だけが、蝋が溶けたようなつるりとした質感に変わっていた。そこだけが、どう見てもヒトの皮膚ではない。私はスーツの溶けた部分を手で覆ったが、その手の甲さえ、雨に濡れればひとたまりもなかった。
私たちが与えられ身に着けているスーツは、ほぼ完璧だ。見ても触っても、人間の皮膚そのもの。ほんのりこもる体温やしっとりとしたやわらかい感触も、そのままだ。ただ、唯一の欠点がある。酸性の水に弱い。pH5を下回る水に触れると、粘膜を模している部分を除き、あっけなく表面が液状に変わる。
現在私が調査を担当している場所は、酸性に傾いた雨が降る地域だ。だからこそ、私たちは雨を、特に突然やってくるこの時期の「夕立ち」を、他のなにより警戒していたというのに。
頬に、雨が当たった。私は既に二、三ヶ所が溶け始めている手で顔を隠した。なぜ、彼は私をこんな目に合わせるのか?なぜ、彼はヒトが聞こえない音を聞くことができるのか?分からないことだらけだったが、自分でも意外なことにそれらの疑問を差し置いて、醜く溶けていく顔を彼に見られたくないという、そのことだけで頭が一杯になった。
「こっち、見て」
私の手を顔から引き剥がそうとする残酷な行動に反して、彼の声は優しかった。私は彼の声に導かれ、顔を覆った指の隙間から彼の顔を見た。少年の顔は雨が当たって流れた箇所の皮膚が、つるりと滑らかに線状に溶けていた。
「まだわからない?僕が誰だか…」
悲しそうに微笑む彼の瞳を見て、私の手は自然と顔を離れ下がっていった。
ずっと前から、きっと初めて出会った時から、彼が似ていると気付いていた。姿かたちに面影が全くなくても、瞳の中を揺れる影に何かを感じ取っていた。だからこそ、惹かれかけていた。だけど、まさか本人だったなんて。雨音と共に、顔に、腕に、それまで敏感に感じていた雨の感触まで遠ざかっていく。
「やっと気がついたか」
彼は背負っていたリュックサックから折り畳み傘を取り出し、二人の上に広げた。傘の色は晴れた空の青だった。
恋人がいた。私は男性で、その恋人も同じ性だった。住む種族が男性も女性も殆ど同じ形を持っていながら、しかし、故郷の星にある私たちの国では同性同士で愛し合うことは罪とされ、法律で罰せられた。
誰にも二人の関係を言わず密かに付き合っていたというのに、どうして知られてしまったのか、私たちは逮捕され、裁判にかけられた。
彼は自分の行いを認めた上で罪であるとは認めなかった為、再教育施設に収容された。私は罪を認め、施設行きを免れた。代わりに、誰も行きたがらない辺境の地へ調査員として送られた。
私は彼を裏切ったのだろう。しかし、私は自分の思いを変えられてしまうのが怖かった。真正面から闘い、その結果、徹底的に考えを矯正される方に身を投げるよりも、外面的には周りを欺き、しかし心の中ではずっと変わらず、二度と会えなくても彼を愛し続ける方を選んだ。
だが、そんな言い訳が、全てを捨てて戦った彼に通じるわけがない。青く染まった空間で、私は俯くしかなかった。
「また会えて、それなのに喜んでくれないの?」
「……だって、…」
「もう終わったんだよ。なにもかも。なんで僕が地球に来られたかわかる?」
もう、私を掴む手はない。だが、私はそこだけ雨の落ちない傘の下で、彼に捕らえられた。彼が傘を持っていない方の手で、私の髪を撫でた。彼の手も私の髪も、生身の自身のものではなかった。それでも、それだけで同じ様に触れられた過去の思い出の何もかもが甦る。景色、空気、体温……決して忘れまいと何度も思い出し、しかし思い出すたびに少しずつすり減り変化していった記憶が、彼とのほんの僅かな接触だけで元通りの姿に正しく戻っていく。
「恩赦だよ。王様が変わって、時代が変わった。あんなにどうにもならなかったのに、変なもんだよな。本当に、あっけなく変わった」
声の様子で彼が泣いている気がして、私はようやく彼の方を見た。間近にある彼の顔の、えぐられた縦の筋は雨によるもので、涙ではなかった。
「もちろん、まだ何もかも自由ってわけじゃない。あの星で、二人で一緒になることもできない。でも、ここは地球で、あそこからは遠く離れた場所だ。ここでなら、僕たち」
「許せる?」
声は震え濁った。本当はすべきでない質問を、しかし絶対に知りたい答えを聞く為に、口にしたせいだ。
「私を、許せる?君を裏切って逃げた男を」
彼はほんの一瞬小さく口の端を歪ませ、すぐ後、表情を元に戻した。
「許すよ。本当は結構怒っていたのかもしれない。あなたは他の男を好きになりかけてたみたいだったし。でも、許すよ。今あなたに意地悪して、もうそれで気が済んだよ」
彼は私から目を逸らしながら、傘を頭上から下ろした。私たちの上には傘の青でなく、夕立ちが上がった後の本物の空の青が広がっていた。
私たちは、人々のすぐ近くに存在している。人々の隣人や同級生、同僚、親戚、家族、恋人でありさえもする。そう、地球人が、そして私たち自身が想像するより遥かに多くの宇宙人が、既に地球上で活動しているのだ。
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